山部泰嗣(太鼓演奏家 ) ・【にっぽんの音】
進行役 能楽師狂言方 大藏基誠
岡山県倉敷市生まれ、31歳。
3歳の時から太鼓に親しみ。6歳の時に地元の和太鼓団体である倉敷天領太鼓のメンバーとして舞台に立つ。
2004年には東京国際和太鼓コンテストで大太鼓部門にて史上最年少16歳で最優秀賞を獲得。
50年に一度の逸材、若き天才和太鼓奏者として注目されている。
現在はプロの演奏家として海外にも活動の場を広げる一方、舞台演出、作曲も手掛け和太鼓の魅力を広く発信している。
和太鼓 舞台で太鼓だけで演奏するジャンル自体が1970年前後なので50年ぐらいです。
それまでは歌舞伎、狂言、お祭り、農作業などの時の楽器の一つだった。
太鼓だけの新ジャンルとして海外ではやらして逆輸入しようという作戦で、アメリカの新聞に載り、和訳された。
ジャパニーズドラムという事だったが、日本太鼓は硬すぎるという事で、和太鼓と表記されました。
和訳というのは難しくて、ニュアンスが変わってくる。
楽器としては一番古いと言われている。
太鼓は打つものなのか、叩くものなのか、という事もあるが、面を彫ることを面を打つというが面に対して気持ちを入れてゆくことアウトプットを打つという、一夜漬けで情報を頭に入れることを頭に叩き込むという、インプット、魂を込めるものを打ち込む。
打つはボリュームではない、音量が小さいことを打ち込めていないというが、この表現と解釈を変えていかないといけないと思います。
大蔵:最初舞台に昇ってもらった時に太鼓が僕の今までのイメージの太鼓打ちとは違ったんですね。
細かい太鼓が凄く聞きやすかった。
繊細な太鼓を打つんだなというのが第一印象でした。
山辺:子どものころから太鼓を始めたので、身長、体重、筋肉もないので大人の音には勝てない。
勝つためには綺麗に打つとか音の幅、大きな音のレベルの勝負だと勝てないので、大きな音と聞かせてやった方が勝ちなんだと思って、そういうことを意識して打っていました。
東京国際和太鼓コンテストの時には早く打ったように見せてたように思います。
「早く打てればいい時代は終わった。・・・ しかし早く打てることだけで評価される時代は終わった。 ・・・早いの感覚も変わった。」 SNSでコメント
50年のなかで我々は4代目世代になってきていて、そうあらねばならぬみたいなものから変わって、もうちょっと音楽をしませんか、というのと、ただ早く打つことに何の意味があるんだろうという事で、疑問を感じながらやって行こうという意思表示でした。
大蔵:素人目線では大きな音を出して激しく叩いて、かっこいいというイメージがあるが。
山辺:疾走感を出したいのであれば、速さではなくて、もっと聞きやすくて違う形で疾走感を出す方法は何か考えていかないといけない時期ではないかと思います。
大蔵:狂言では要の演目があり、25歳で「釣狐「」をやるとか、「那須語」、「三番叟」、「末広がり」をやるとか要の演目がありその瞬間自分の芸とかに凄く向き合う。
山辺:そういう意味では30歳の時ですね。 天才少年だという事で安心していたところもあり、これでいいのかと思うようになりました。
去年アルバを作って作曲もやっています。
*「風の孤独」
母親がピアノの先生だったので譜面も勉強して書ける様になりました。
「風の孤独」ではアランビアンぽい感じがあります。
10年掛かって30歳でやっとCDを出すことができました。
「新しい皮を打って伸ばし育てていくように、太鼓を打ちながら自分もいろいろなことに打たれて成長しないといけない。
皮も人も伸ばすところ、間違えると鳴るものも鳴らなくなる。」
教育にも興味があります。
太鼓が教育に若干かかわっているので、深く考えて若干教育にかかわらないといけないのではないかと思います。
楽屋ではいろいろ気を使ってやっています。
太鼓はコミュニケーション作りの一個のツールでいいと思っています、簡単なので。
大蔵:鼓は左手でもって右肩の乗せるができない人が多い。
知っていた方がいいと思う。
狂言とかも人は人を殺めてはいけないというものがほとんどで、そういった文化は平和に繋がると思う。
文化を大事にすることによってそういった事に行きついてもらいたいと思います。
*「荒磯(ありそ)」
日本の音とは、色、景色、人、街、文化が見える音に対しては、楽器が日本のものではなくても日本の音ではないかなあと勝手に思っています。
景色が見える太鼓が打てたらなあと思います。
*「いつかきっと」