2020年2月22日土曜日

鬼丸昌也(NPO法人 理事)         ・「紛争で苦しむ世界の人々を救いたい」

鬼丸昌也(NPO法人 理事)           ・「紛争で苦しむ世界の人々を救いたい」
NPO法人テラ・ルネッサンスは鬼丸さん(40歳)が大学生の時に、一人で設立したのが始まりで今ではアジア、アフリカ、5か国にスタッフを常駐させ、紛争地に大量に残された地雷を除去する活動への支援、18歳未満で武装勢力にさらわれた元子ども兵の自立と社会復帰復への為の取り組み、日本国内での平和教育などを柱に活動しています。
紛争地に何が起きて、何が残されたのか、活動の意味は何か、お聞きしました。

スタッフは国内外含めると日本人のスタッフは16名、海外の現地人スタッフは5か国で72名います。
カンボジア、ラオス、ウガンダ、コンゴ民主共和国、ブルンジの5か国になります。
「テラ・ルネッサンス」のテラはラテン語で地球、ルネッサンスは復興とか再生という意味になります。
最初は小学校1年生の時に、小さい村に引っ越してきたときに、引っ越し先の小学校で一人になることが多くて、図書館でいろんな偉人の伝記を読むようになった時に、アジア、アフリカの独立運動の指導者の伝記に興味を持ったところ、虐げられた人たちが力を合わせて独立を勝ち取る、現状を変えてゆく姿に関心を持ったところから、こういった海外支援、国際協力に興味関心がどんどん繋がったと思います。
18歳の時にスリランカに行き、サルボダヤ運動という村作り、村おこしをしているNGOがあり、代表のアリヤラトネという方から「君がもし世界を平和にしたい、世界を変えたいのならすべての人に未来を作る力があると信じなさい。
君にも周りの方にもあらゆる人にもそういう未来を作る、変化を起こす力があるという事を信じていたら、目の前の人に裏切られても、目の前のことが上手くいかなくても、まあ変わるよね、変わる事さえ信じていればきっと君は社会や世界を変えることができる」と言われたのが18歳の時でこれが大きなきっかけになりました。
アリヤラトネさんは高校の理科の先生でしたが、活動をしていきました。

家が貧しくて新聞屋さんに住み込みながら大学1,2年生の時には通って、3,4年生の時には住み込みでカラオケやに住み込みでバイトをしながら大学に通いました。
大学4年の時に阪神淡路大震災の時にボランティア団体の神戸元気村の皆さんに出会って、アジアや世界の人々からお世話になったので神戸から恩返しをしようという事になり、地雷除去活動をカンボジアで始めていました。
2001年2月にカンボジアに訪れることになりました。
地雷の悲惨さを目の当たりにして衝撃を受けました。
当時500~600万個は埋まっていたといわれます。
地雷は敵の侵攻を止めるため、どこに地雷が埋まっているかわからないので恐怖心を与えるため、労力を使わずに敵の領地を奪う事ができる、人々の自由を奪う事ができる。
ポルポト政権がなくなったが、1979年以降も内戦が続き、いまだに被害者が出ています。
地雷で亡くなっているのは数十万人単位です、被害は主に一般人です。
地雷は効果も凄くて数十円~数百円なので非常に安いです。
地表から30cmぐらいに所に埋まっていて判りません。
地雷除去作業は炎天下でもあり危険だし大変です。
小さい子が義足をするとなると成長してゆくので交換にも大変な費用が掛かってしまって、未来が見えて来なくなってしまう。

今自分に何ができるのだろうかと思って、お金も人脈もなく、英語もよくしゃべれなくて、無いという事が人と人、人と社会を結び付けるのりしろになると思います。
見てきたこと、聞いてきたことを伝えることはできると思って報告会、講演を2001年に90回やりました。
共感してくれる方が段々増えていきました。
寄付を集めてカンボジアで地雷除去活動をしている団体に寄付、支援をしました。
それをまた報告すると言う事を繰り返して「テラ・ルネッサンス」の活動を始めるようになりました。
企業に就職しようという気持ちはありませんでした。
活動を辞めないという気持ちは最初からありました。
カンボジアの地雷被害者で元子ども兵がいて、話を聞くとやはり大変な問題を抱えていると思って、当時戦争中でたくさんの子供を誘拐しているのがウガンダでした。

2004年にウガンダ北部に調査に行きました。
ウガンダ北部には国の軍隊のベースキャンプがあるので、夜になると親が子どもたちの安全のためにウガンダ北部に向かわせるわけです、その数はおよそ1万人ぐらいです。
朝になると又家に戻っていくわけです、その子たちのことをナイトコミューター(夜の通勤者)と言っています。
戦争は弱い人たちを苦しめ、傷つけるものだと思いました。
聞いた話の中で12歳の時に「神の抵抗軍」に誘拐され訓練を受け、自分の育った村に襲いに行かされた。
そこで残虐な行為をした少年兵や少女兵はもうそこには戻れない。
そうさせることによって「神の抵抗軍」の軍隊から抜けさせないようにするわけです。
ほかの国でも行われており、子どもを軍隊に引き付ける。
「神の抵抗軍」の大人兵士はその子の母親を殺せと命令するが、出来ないというと痛めつけられた後にそれならば母親の腕を切れと命令する、切らないと母親もお前も殺すという。
仕方なく母親の右手を切断する、その話を聞いて今でも心に残っています。

例え脱走してきたり、武装解除されて帰って来た時に、さらなる困難の始まりになります。
コミュニケーションの仕方が判らない、文字の読み書きができない、仕事の技術がないので子ども時代兵士だった大人の社会復帰が難しいのと社会復帰が必要だと痛感したのも、2004年にウガンダへの調査で判った一つです。
少女たちは家事労働、性的な奴隷、強制的に結婚させられて子どもを産む、という事がウガンダでは顕著でした。
ウガンダではそのような少年少女が23年間の内戦でおよそ3万6000人いると言われています。
2005年に日本人スタッフ一人を派遣して地元の元子ども兵18人(平均年齢20代前半)の職業訓練、識字教育、などをしながら、どんなことをしたいか起業してもらってお金の稼ぎ方を学んでもらって3年が経過した時点で、店をそのまま続けてもいいし、その経験を生かしてほかに就職してもいいという事にして、自立して家族を養えるようにする、という事を目指して支援を始めました。
その間、食費、医療費は我々が支援します。
お金では借金の返済とかお酒麻薬を買う事もあるので、お金ではなく食料、医療などが買える店のクーポン券で行っています。

230名近くが卒業して店をやったり就職して継続的な収入を得ていて、平均月収が7000円前後で公務員と同じ平均月収を得ています。
我々の支援前の彼らの平均月収は128円です。
心の傷は消えないと考えていて、サポートして子どもに腹いっぱい食べさせて笑顔を見ることで、自分が幸せを感じることはできると思います。
人は問題をかかえながらでも幸せになれると思います。
問題との付き合い方を学んでもらうため、問題に立ち向かう力を付けてもらうため、それが私たちの支援の在り方だと思っています。
紛争、戦争になる原因はいろいろありますが、コンゴ民主共和国の東部の戦闘の大きな原因は大地に埋まっているレアメタルです、資源の奪い合いがあります。
20年以上で約500万人が亡くなりました、第二次世界大戦後最大です。

大事なことは、今自分にできることがあるという事です。
それを探してほしいと思います。
私たちが使っているもの、選択に、紛争や世界の課題の原因が含まれているならば、私たちの変化は世界の変化に繋がる。
私たちは微力ですが、決して無力ではありません。
微力が集まったら勢力になります。
今自分にできることがあるという事が大事な事です。