冨田章(美術史家) ・【私のアート交遊録】「初老耽美派が行く!」
初老耽美派とは、富田さんと三菱一号館美術館館長の高橋 明也さん、美術史家の山下裕二さんの三人が結成したユニットの名前です。
富田さんはフランス、ベルギー、日本の近代美術が、高橋明也さんはフランス近代美術がご専門です。
山下裕二さんは室町時代の水墨画の研究を軸に、縄文から現代まで幅広く日本美術を論じてきました。
異なる分野で40年近く活躍されて来た3人が美しいもの、好きなものについて自由に語り合おうと結成したのがこの初老耽美派です。
この3人が「初老耽美派よろめき美術鑑賞」という本をこのほど出版しました。
美の王道を極めたこの3人が自由自在に美術について語っています。
富田さんにアートを緩く長く楽しむ極意について伺いました。
東京ステーションギャラリーで展覧会があったときに、鼎談をやろうという事になり、三菱一号館美術館館長の高橋 明也さんと美術史家の山下裕二さんの三人で鼎談をしました。
そのあとに飲み会があり初老に成ったら思い切り美術を楽しんだらいいのではないかという事で初老耽美派だねという事で、そちらの方の仕事が来るようになり本を出すまでになってしまいました。
初老だと思うといろいろな老化現象も当たり前だと思えるようになり、そういうものと仲良く付き合っていこうかと心境の変化がありました。
美術は共存共栄的なところがあり、お互いに判り合えることがが多くて、打てば響くという様な感じで気が楽です。
展覧会に係りあってきたので判りやすく解説する、話すという事をやってきました。
出来るだけハードルが低くて、読みやすく、面白い本がいいのではないかと思いました。
「美術鑑賞に正解はなく、そもそも美術は役に立たないものだ」という文言がありますが、勉強という風な見方で美術を見ると面白くないあだろうと思いました。
美術はまず純粋に楽しむという事が一番大事だろうと 3人とも共通に思っています。
「美術は正解が無いんだ」という事ですが、数学、物理などと違って、絶対的な正解はないと思っています。
解釈の仕方は10人いれば10通りの解釈があると思います。
幅をもともと持っているところが美術の魅力だと思います。
観る人のそれまでの経験、人生、考え方によって絵は見え方が全然違ってしまうと思います。
沢山絵を観てゆくことの方がもっと凄いとかが、だんだん判って来ると、その時点でのその人にとっての正解だと思います。
喰わず嫌いにはなってほしくないと思っています。
ルーベンスについては最初苦手だと思っていましたが、ずーっとみているうちに或るときにルーベンスが判る瞬間があり、そう思ってみると物凄くよく面白く見えてくる経験がありました。
刀剣も興味がなかったが、日本美術の田中久雄先生が武士が何故お茶をたしなんでいたかという話をされて、武士はお茶椀の良さをすぐに判ったはずだと何故なら彼らは刀を見慣れていたからだとおっしゃったんです。
刀の波紋を丸くするとあれは茶碗の景色と同じで、刀は一番大事なものでそれを見ていた人が茶碗の良さを判らなかったはずはないと言ったんです。
刀を見るようになり、工芸的な部分の造形が眼に入ってみるようになり、段々興味がわいてきて面白くなっていきました。
美術はいろいろな面白さが詰まっているものだなあと感じます。
そういうものを少しでも皆さんに味わっていただきたいというのが願いです。
自然科学のノーベル賞をとられた先生方も基礎的な研究は何が役に立つのかわからなくて、ただ真実を知りたくて一生懸命研究するが、何十年か経って実はものすごく重要な発見だったりして、それが将来的に役に立ったりすることはあるが、やっている時には全然役に立たないことだが、それをやる事で人類は真理に近づいていってるわけです。
役に立たない研究、勉強、役に立たないことが切り捨てられようとしている。
世知辛い世の中になってきていて残念だなあという気持ちがあります。
年齢に応じた感性はあるもので、いろいろな経験を積んでくると最初の頃の感激みたいなものを忘れてしまうという事があり、それはもったいないなあと思います。
それが「鈍った感性を刺激する」という章のタイトルです。
「おっぱいとエロス」は好奇心を忘れないでほしいという事です。
好奇心が無くなってしまうと何をしてもつまらないという事になりかねない。
山下さんの凄いところは水墨画の分野でありながら、現代アートまでものすごくたくさん見ていて、それは好奇心がないとできないことだと思います。
「アートは結局 好き嫌い」 まず好きか嫌いかという事が入り口としては大きいと思います。
まずは好きなものを見てどんどん発展していけばいいと思っていて、そのうちに嫌いなものにも興味を持って行くという事もあると思います。
父親が美術好きであったので美術書があったり絵が飾ってあったりして、展覧会などにも連れて行ってもらっていました。
小学校1年生の時に絵を描いたのを先生から凄く褒めてくれて美術は面白いと思えました。
中学、高校と美術に抵抗感なく親しめました。
大学は文学部で小説を読むのが好きで、小説家になろうという夢もありました。
美術史の分野がある事が判ってやってみようかと思いました。
本格的に美術史をやろうと思ったのは実は大学を卒業してからでした。
4年生の時には就職活動はしていませんでアルバイトをしていました。
勉強していた西洋美術を徹底的に観ててやろうと思って、ヨーロッパに放浪の旅に行きました。(3か月間)
凄く面白くてのめりこんで行って、これは一生やっていけるかもしれないなあと思いました。
帰国後、美術を仕事にするならば勉強しないといけないと思って大学院に行きました。
私が美術を始めたころと今とでは情報量とかかなり状況が違います。
当時日本美術は見る方が凄く少なくて若冲など誰も知らないという様な時代でした。
美術には緩く触れていくというのが一番いいと思います。
今観て感激をして観れなかったら観てもあまり意味がないと思います。
義務感に駆られていってしまうとつまらなくなってしまうので、本当に行きたいところに行く、観たいものを観る、それを最低限を守って余力あればちょっと観てみるというところが適当なのではないかと思います。
神田 日勝という画家で絶筆(32歳で亡くなる)になってしまった半身の「馬」という絵があり、好きな絵です。
部分部分を書き込んでいくので馬の前半分は完成されているが、残りの部分はまだ画面の地が出てくて物凄く迫力があり迫ってくる。
私にとって忘れ難い一点です。