牧秀一(NPO法人 理事長) ・「心の置き去り ほっとかれへん」
1995年1月17日の阪神淡路大震災では、6434人の方が亡くなり、およそ25万棟の住宅が全半壊しました。
牧さんは震災の復興住宅で孤立しがちな高齢者や地震によって障害を負った震災障害者の支援を行ってきました。
25年に渡って被災した人たちの悲しみや孤独に向き合い続けてきた牧さんにお話しを聞きました。
当日、木造の古い家であと2秒地震の揺れが続いていたら家が倒壊して私や家族は亡くなっていたと思います。
定時制高校の教諭で、通勤が困難で自宅近くの小学校の避難所に向かいました。(9日目)
全国から若いボランティアが来ていました。
若いリーダーの女性から「先生なんだから人の話は聞けるでしょ」と言われて、年配の方と話をし始めました。
完全に同じ目線で話をすることはできませんでした。
情報を流そうと思って、よろず新聞を作ることにしました。
足りない情報はボランティアの人と共に収集しました。
そのうち自分の悩みを相談したいという人が現れて、人目のないところで話を聞くようになりました。
一か月後、仮設住宅への入居が始まり、その8か月後には5万戸近くの仮設住宅が完成し、私が通った避難所も解消されることになりました。
ボランティア活動を終えることにしました。
仮設住宅では避難所と比べていい環境になっているので、幸せに暮らしているものと思っていましたが、仮設住宅を訪問すると、酒の瓶が転がっていたり何となく荒れていました。
家は潰れ、仕事もなく、嫁もなくなり、酒でも飲まないとやっていけないという様な事でした。
自殺する人もいました。
もう一回何かやらないとだめだと思い、13名で東灘区の仮設住宅を回ろうということにしました。
300世帯を訪問しましたが、最初なかなか会ってくれることはできませんでした。
行政ではせいぜい安否確認に来るだけで、悩みなどは話す機会はありません。
話を聞くという事はとてもしんどいことです。
自転車で回って3人の人から7時間話を聞いたことがありますが、エネルギーを吸い取られたような感じで自転車には乗れませんでした。
その人を放っては置かれへんといつも思ってしまうんです。
震災後1年災害復興住宅、アパートなどの供給が始まります。
その数は4万戸以上、高齢者母子家庭などの世帯が優先的に入居することになりました。
入居した途端に隣は知らない人という事になってしまいました。
仮設住宅では隣の声とか音が聞こえてしまうという様な面がありますが、新しい住まいでは一挙に鉄の扉という風な状況に置かれてしまいます。
復興住宅ができた瞬間に支援は途切れました。
高齢者は住み慣れた場所がつぶれて、復興住宅に住んでいるという事になると、ローンを組んで家を建てるという事も出来なくて、マイナスからの出発となってしまう。
プラスに転じることは難しくて、中はなかなか見えなくて孤立感を深めることになる。
ぽつぽつと亡くなっていきました。
一番ショックだったのは人と話す訳ではなく、みんな窓から一人で海をぼーっと眺めているんです。
僕らの活動は孤独死をなくそうという活動ですが、孤独死が出てしまいました。
防ぎきれなかったのでもうやめようと思いました。
数か月訪問できませんでした。
亡くなった隣の人からもう一度来てほしいと言われて、時間が掛かりましたが行く様になりました。
25年間続けられたのは、一緒にやってきてくれた人たちと、カンパの存在は大きいです。
そういったことに対して背中を押されている感じがします。
8年間毎月1000円送ってくれてきたりする人がいたり、そういう人達がいてくれたおかげで頑張れました。
仮設住宅でおばあさん(80歳ぐらい)と若い男の人(50歳ぐらい)が仲良くなって、
男の人にはお母さんは亡くなって、私がお母さんになってあげると言って、あなたが自分で生活できるようにという事でご飯、料理の作り方も教えました。
料理を作ってそのお母さんのところに持って行ったりしましたが、結局お母さんは亡くなりましたが、最後男の人の腕の中で亡くなっているんです。
他人でも親子関係みたいなものができるんだなあと思いました。
施策だけでは人は救えない、人は人によってのみ救う事ができるというのは確信として持つぐらいになりました。
3月にNPO法人よろず相談室の代表を退くことになりました。
最期の仕事として5年前から記録してきた被災者22人の証言を学校、図書館に配布し、広く見てもらうという事です。
現在、映像の編集をしていますが、みんなが大事でまとめるのに苦心しています。
ありのままの姿を見てほしいと思っています。
教育の場で見てもらってほしいと思っています。
調査では少なくとも349人が震災で障害を負ったと言います。
震災障害者の存在を認知してほしいと国や自治体に求めてきました。
2017年障害者手帳を申請する際の原因欄に自然災害の項目が追加されました。
震災障害者は孤立無援でした。
震災障害者の交流会を始めました。
日常的な悩みとか、自分が抱えている事とかをお茶を飲みながら話して、輪が広がって話に涙して、参加した人はホッとしたと言っています。
今後支援者としてではなくてお友達としてかかわりたいと思っています。