野田圭一(声優・ナレーター) ・【時代を創った声】
野田さんはアニメの主役をはじめ多くの映画やドラマの吹き替えを担当しながらナレーターとしても活躍されてきました。
伝えるという点では声優もナレーターも同じであるという考え方の元、現在も様々な仕事に取り組んでいる野田さんに伺いました。
私はアニメ「グレートマジンガー」ーの主人公の剣鉄也、「バベル二世」で変身能力を持つ黒豹のロデムなどを演じた野田圭一です。
山口県出身で小さいころ人見知りで恥ずかしがり屋でした。
兄たちが出て来いという事で中学生の時に上京することになりました。
5人兄弟の末っ子で長男とは23歳ぐらい違いました。
高校2年生で就職のことを考えて、社交性に欠けていたので芸能界に行こうと思って、応募したら決勝まで行きました。
卒業して王手の繊維メーカーに就職しましたが、劇団に入ってしまって、時間的にきつくなり、会社を辞めて「現代喜劇」という新劇の劇団に入りました。
そのうちに声の吹き替えをやってみないかプロダクションを紹介され、アフレコに出会いました。
段々声の仕事が増えてきて、劇団が行き詰まってきていましたが、当時劇団の顧問が富永一郎先生でした。
松竹新喜劇の人たちと一緒に「チンコロねえちゃん」をやろうという事で蓋を開けてみると、とんでもないメークをしてきたりしました。
人見知りはなくなって臨機応変にやるようになりました。
お客さんの事とか意識しながら芝居をするんで、魅力を感じました。
声の仕事よりも芝居の方が魅力がありました。
当時は小さい劇団が沢山あり段々食えなくなってきました。
27歳ぐらいの時になると、声の方が向いているのではないかと考えるようになり、声の専門になろうと思いました。
プロダクションが変わって東映のアニメーションの仕事をやっている人と出会って、アニメの仕事をすこしずつやるようになり、吹き替えよりもアニメの方の仕事が多くなってきました。
外国映画の吹き替えは役者が役作りをやっていてこちらはできないが、アニメーションの場合はこちらができる訳です。
どういう人物にするか、どう画面からはみ出させるかなど、それが面白いと思って変わってきました。
「一休さん」の寺社奉行は真面目過ぎるので砕けた風にして自分なりに作って行けるという点で面白かったです。
最近の若い人は上手いんですが個性がないというか、画面からはみ出ない、おんなじに聞こえてしまう。
昔のアフレコは全員がそろってやっていましたが、最近はそうではなくなりまして、噛まないですね。
1968年「サイボーグ007」、1969年「もーれつア太郎」、1971年「アパッチ野球軍」その後「バベル二世」。
この頃夕がたに仕事が終わると居酒屋に行って反省会をするわけで、意志の疎通はできたと感じました。
当時レギュラーを3,4本やっていてコマーシャル、バラエティーがTVで始まってこれが大変でした。
ナレーション取りが夜10時から始めて朝の5時終了とか、こんなのばっかりでした。
寝る暇がないぐらいでした。
芝居の方もナレーションもあって初めて僕らの声の職業が成り立つんだと思います。
こっちだけというとひずみが来ます、だから僕は一体だと思っていて、芝居の方も大事だしナレーションの語りも大事だと思っています。
ベストな状態でやりたいと思っていますが、なかなかそうはいかないので、ちょっと体調が悪いときには歯がゆさはたまらないですね。
身体が大丈夫だったら何とかなるという思いがあります。
どんな作品であろうとも相手の身になって自分を聞いてみるという事が必要かと思います。
人間として生きていくうえでも、相似のものがあると思います。
声優学校、プロダクションの塾などがあるが、すごい数の新人が出てくるが 残ってゆく為には光るものを何か一つ持っていることが抜きんでて来ると思います。
自分の持っている特徴を最大限に出せる、そういうものを作ってゆく事が大事だと思います。