藤藪庸一(白浜バプテスト基督教会 牧師) ・「隣人といのちの電話」
白浜町の海岸に連なる断崖絶壁の名称三段壁は高さ50m長さ2kmに渡ります。
ここは観光とであると同時に人生を終わらせようとする場所でもあります。
藤藪さんはこの地で自殺を考える人たちの声を聴き支援をする活動をしています。
断崖近くにある公衆電話の横には「いのちの電話」の看板、相談の電話番号を記しています。
これまでに900人以上保護してきました。
自殺を思いとどまったものの帰る場所がない人には住む場所を提供し、生きる力を取り戻していけるよう支援しています。
自殺を考える人たちにどう寄り添い、どう信頼関係を築いていくのか、その背景にある信仰とともにお話を伺います。
これまでに900人以上保護してきましたが、基本的には助けてというのが難しくなっていて、いろんな方とはかかわってきたけれど、お世話になる訳にはいかないとか、迷惑をかけるわけにはいかないとか、辛くてしょうがない所から兎に角逃れたい、そんな感じのことをみんな話します。
電話ボックスのそばに「重大な決意をする前にここに連絡ください」という看板。
生きるのか死ぬのか葛藤しながら決心がつかなくて、振り返ったら看板があったとか、ちょっと場所を移動している最中に看板を見たとかという形で家に繋がってきます。
「すみません」「助けてほしい」とかそんな感じでおっしゃいます。
「迎えに行きます」、と話を聞かないで行っています。
兎に角早く会った方がいいと考えます。
大事にしているのは、とにかく最後まで話を聞く、という事です。
その人に興味を持つようにひたすら頑張ります。
その人の考えている事、やってきたことなど全体像が判ってくるとなおさら細かいことを知りたくなって、という感じで聞いていきます。
放浪してきていると不潔になっているので、早い段階でお風呂に入ってもらいます。
きれいさっぱりしてもらった方がほっとしたといって話しやすいし受け止めやすいです。
最期には目標を作っていきたいので、次にはこういう風にしてみようかという風に持ってきたいです。
落ち着いてきて気持ちの整理がついてきたら、家族に連絡しようとか、捜索願が出ているかもしれないので警察に連絡しようとか、窓口は僕がするので自分はいなくてもいい、ここには警察は来ることもないから大丈夫といいます。
連絡を嫌がる人もいるので一晩泊って朝会おうという風に言います。
僕も信頼してゆき、その人もちょっとずつ僕のいう事も判ってくれる。
小さな約束を繰り返してゆく事でお互いに距離がちょっとずつ縮まります。
神様は私たちに一方的に約束をくださって、その約束に神様は生きてくださる。
神様は自分で決めた約束を自分で守られて本当の正しいというのはこういう事だとか、これが義というものだとかを教えられる。
神様が決めたことを結局神様が自分で犠牲を払って実現するというのが、イエスキリストの十字架の話で、旧約聖書のなかで約束が大事なウエートを占めている。
僕がみんなと約束を交わしてゆく中で、僕がその約束を守るか守らないかはとてもみんなにとっては重要で、僕の信頼が崩れることもあれば、本当に強固になることもあって、
約束は重要なものにしています。
約束を積み重ねてゆくという事は、相手をどれだけ愛するのか、信じるのか、相手の人格を認めるのか、そういうところが影響してくる。
キリスト教に出会ったのは小学校一年生の時に近所の友達に誘われ日曜日の教会学校に通い始めたのがきっかけでした。
人のために貢献する大切さを学び始めた12歳の頃、ペテロの言葉に出会いました。
ペテロが物乞いに対して言った言葉です。
「私をみなさい、金銀は私にはない。 しかし私にあるものをあげよう。
ナザレのイエスキリストの名によって立ち上がり歩きなさい。」
物乞いは足が不自由で歩けないが、立たせて歩かせてしまうという奇跡の物語です。
僕がその人と一緒に神様を見上げることはできるので、させてもらえるんじゃないかなあと思いました。
東京基督教大学に進み、牧師になることを目指しました。
卒業後、故郷白浜教会の牧師江見太郎さんから自分の後を任せたいと依頼されました。
江見太郎さんは「いのちの電話」を始めた人でした。
若かった(26歳)からかもしれませんが、周りからは「いのちの電話」を引き継ぐことには反対がありました。
僕はやらなければいけないことだとは僕の中にはありましたので、辞めるという選択はありませんでしたと江見さんに言いました。
4月1日に引き継いで4月2日に電話がかかってきました。
26歳の女性でべろべろに酔っぱらっていて、死ぬのが怖くてお酒を飲んだ勢いで飛び込もうというそういう事だったようです。
次の日正気に戻った彼女に連絡先を聞いたりして、母親が迎えに来ました。
次は4月5日当たりで、その人も酔っぱらっていて、飛び込もうと思ったらしいです。
僕が若かったので、相手にしない様子でしたが、正気に戻ってきたときに本当にいってもいいかと何度もいってくれて、その人が俺は帰る場所が無いんだと言い始めました。
2か月前に出てきて知りあいもないという事でした。
約束したので自分としては泊めるしかないと決めました。
関わった方で何人かは亡くなっている方がいます。
1,2年目ぐらいに20歳前半の男の子を保護して、家で休もうと連れ帰って、1か月ぐらいして元気になってきたころに仕事に行くと言い出して、僕はまだ無理だと思ったのですが、仕事に行き始めて表情も明るくなって元気になってきましたが、その後仕事を辞めたいと言いだして、自分の実家に帰ると言い出しましたが、失敗したと思ったが止める手立てがなかった。
帰ったものだと思っていたら2か月後に九州の警察から電話がかかってきました。
僕の名刺が入っていたので彼の遺体だと思いました。
僕らが最善を尽くしても死にたい気持ちが変わらない可能性もあるわけで、それでも僕らはこの活動を続けると、自分が後悔しないように最善を尽くすだけだなと思ったし、後悔しないように出来ることをその時その時一生懸命やるだけだなあと思いました。
共同生活をしている人が自立できるようにとお弁当屋の運営をするようになりました。
手作り弁当の店頭販売のほか、病院や高齢者への配達も行っています。
地域と人とを結ぶ活動が結果的に人を孤独になることから救い自殺防止につながると考えています。
町内会の会長もしています。
活動を通して人とのつながりが広がってゆく事を望んでいます。
孤独になってしまったり、一人で背負いきれなくなってみんな命を断とう考えているので、人のなかにもう一回戻ろうという事、つながりがめんどくさいと思ってる人もそのつながりが自分を助けることになるという考えで、その人たちとの関わりを持ちたいと思っています。
イエスキリストの「隣人(となりびと)」に関する話がありますが、「隣人」になるということは、必要最低限のものしか持っていない状況で、本当に必要がある人を見つけたときにその人の必要に答えてあげる、でも自分の必要なものを渡すことになる訳ですが、その人のことを気になってかかわってゆく、そこに「隣人」の本質が出てくるのではないかと僕は思っています。
自分の良心が働くかどうかだと思っていて、良心は神様が人に与えている心で、それが働けば後から信仰はついてくると僕は思います。
65歳のおじいさんで飛び込もうと思ったができなくて、野垂れ死にしようと思っていたら、通り過ぎていった女性たちの一人が自分の目の前に戻ってきて「おっちゃん馬鹿なことをしたらあかんで、死んだらあかんで」と言ったそうです。
その子は2000円出してくれて、手に握らせてくれた。
翌朝、意識がしっかりしてきたときに手に2000円があり、2000円で食事をして僕のところに電話をかけてきて、うちで9か月生活しました。
その後ホテルのナイトフロントに就職して7年間仕事をしました。
その女の子はよく勇気を出して声を掛けお金を差し出したなあと思います。
おじいさんはその後脳梗塞をして、がんも見つかり僕と出会ってから10年後に天に召されるんですが、彼は「この10年本当に生きてきてよかった」と言ってくれて僕は嬉しかったです。
そして「あの女の子のお陰やな」と言ってくれました。
本当に本人が生きようと思ったのはまさに女の子の行為、2000円であり、改めて思いなおすことになりました。
僕が伝えたいのは神様に愛されているというメッセージですから、それが僕の周りでみんながそうだなと思ってくれることが広がってくれるとい嬉しい話で、これからも続けようと思います。
関わる人と僕が分かち合いたいです。