2020年2月7日金曜日

稲本薫(自然農法実践家)         ・「出会いが生んだコメの自然栽培」

稲本薫(自然農法実践家)         ・「出会いが生んだコメの自然栽培」
稲本さんは熊本県八代の出身66歳。
農家の後継ぎとなり農薬と肥料を使わない自然栽培による米作りをして42年になります。
稲本さんが自然栽培による米作りを始めるきっかけとなったのは、「複合汚染」や「沈黙の春」など 農薬による環境汚染が社会問題となり、農薬に頼る農業でいいのかと疑問がわいたことでした。
10アールの広さで始めた米作りも今や100倍近くに規模を拡大し、酒米作りにも取り組んでいます。
生産された酒米は国内や海外のお酒のコンクールで金賞を取るほど、酒米としても認められる存在になりました。
米作りは昔から88の手間がかかると言われ大変な苦労を伴います。
その一つが田の草取りです。
除草剤を使わず人手を使わずに田の草取りをするにはどうすればいいのか、稲本さんは自然農法の先人や農業研究者たちに教えを請い、水田を観察し、米作りに取り組んできました。
人との出会いによって生み出された人生哲学が、人に聞き、勉強し、自分で考えるという事でした。

八代は殆ど水田地帯で海から10kmぐらいあります。
田植え前後は大雨が降り、冠水したこともありました。
8月ぐらいにはほとんど雨が降らないで、異常気象がますますひどくなって読めなくなって来ています。
イグサの産地でもありますが、いつ終わってもおかしくならないぐらい減っています。
20歳の時に米、イグサ、ミカンなど複合経営の農業を受け継ぎました。
化学肥料、農薬、除草剤を使わない。
化学肥料は1890年代にドイツに生まれて、日本の農家で一般的に使われ始めたのは昭和20年代になってからだと思います。
はじめたころに有吉佐和子さんの「複合汚染」がベストセラーになり読んでちょっとと思いました。
八代高校を卒業して果樹園芸、専修学校(熊本県立農大の前身)で2年間ミカンの作りの勉強をした時に、山本茂先生という果樹の病理学の先生がいて、玄米を包んでいる皮が糠、玄米を精米して糠を取った白い米は何と読むかと、脱線授業をしました。
粕であるという読み方です。
一番自分の身に付いた授業でした。

そして24歳からこの道に入りました。
教えてもらえる環境ではなかったので、自分のところの一番狭い田んぼ10アールから始めました。
1年後に結婚して妻も草取りもしてくれました。
病院の中に自然農法で作った野菜類をおいた店が病院の中にありました。
その先生は市の医師会、栄養士会、有機農業者、健康指導師会4つの団体を纏めて健康フェアを始めて、人の健康の基には食べ物があるという事、食する食べ物を食べる事という事は命を頂いているという事と言われて凄く感銘しました。
福岡正信さんの書かれた「自然農法わら一本の革命」という本があり読んでびっくりしました。
米麦連続不耕起直播は、稲を刈る前にクローバーの種を蒔き、裸麦の種の粘土団子を蒔き、稲を刈ったら稲わらを振りまく。麦を刈る前に稲籾の粘土団子を蒔き、麦を刈ったら麦わらを振りまくという栽培技術です。
直播をするがねずみ、雀などに食べられないように工夫して種の周りを土団子で囲む訳です。

先生のところに行って話を伺いました。
まずは自分で勉強しなさいと言われました。
やってみて考える実践論でした、自分の自然農法栽培にも一番生きていると思います。
教科書は自然相手で毎年気象も変わります。
失敗もするがしっかり考察すると言う事が自分の教科書にもなって行きます。
片野学さんとの出会いは我が人生一番の出会いだったと思います。
東北から東海大学農学部に赴任されて30年間お付き合いさせていただきました。
稲の根の研究者でした。
根は見えないが根を見れば地上が見えてくるということです。
根が大事で、肥料をやらなければ根がしっかり育つようになるんです。
ナチスドイツが行ったのが戦争に向けての食糧増産、少ない面積でいかに増収をするかという事に目を向けました。
ドイツのリービッヒという人が1837年に土壌分析学を始めました。
空気中に窒素があることが判り固定する技術ができて、日本にも入ってきて水俣に窒素工場ができました。

化学肥料をたっぷりある稲の根っこは簡単に伸びてゆくが、根っこは伸びていかない。
自然農法の稲作りをしている先人たちが東北には沢山いました。
昭和50年は冷害が一番ひどかったが、岩手大学が自然農法の田んぼを見に行ったが、周りの田んぼは収穫皆無だったが、自然農法の田んぼは殆ど平年作だった。
それを見た先生は唖然としたそうです。
自然農法の田んぼの土は周りの慣行農法の土に比べて2度前後地温が高かった。
長年の化学肥料が蓄積していて、肥料分が蓄積している肥毒層が地温を妨げている。
自然農法ではそれがだんだん取れてくる、根っこの力がある。
異常気象に一番強いのが自然農法です。
「ひごひかり」と「あきたこまち」を4年前に自分で改良して「稲本1号」という品種を作っています。
塩害でも実りました。
食べてもらったら高評価でし
た。

除草には苦労しました。
一町歩ぐらいの田んぼ時代に一か所が草が無かった。
田んぼの中にはタニシが一杯いました。
知りあいの自然農法の田んぼも同様なところがあり、やっぱりタニシが草を食べているという事が判りました。
ジャンボタニシは水があるところでしか動けないことが判りました。。
水の深さを管理してやれば稲を食べられずに草だけ食べさせることができるようになりました。
ジャンボタニシが増えすぎる問題が出てきて、5cmぐらいに浅く起こしてやればジャンボタニシ潜れないのでカラスが食べに来て減らすことができました。

ウンカという害虫が偏西風に乗って中国大陸から来ます。
慣行栽培の稲と無肥料無農薬の田んぼでははっきりとした差が出ました。
慣行栽培の稲は根がしっかりしていないから、作物が不健康なんです。
弱ってる作物にウンカが来る。
言い換えれば、肥料を使っている稲を枯らしているウンカは、肥料で出来ているものを人間に食べさせないために存在しているんだなという事に気付きました。
無農薬でも虫も食っていないのが本物だという事が見えてきました。
宇宙の論理だという事に気が付きました。
こういう農業を実践してゆけば地球環境回復に直ぐにつながってゆくと思います。

立花隆の「宇宙からの帰還」という本との出会いがあり感動しました。
彼は12名の宇宙飛行士を取材して回りました。
宇宙から見た地球は国境がないんです。
地球は凄く綺麗だが、いがみ合って戦争している、化学物質を垂れ流して公害を生んでいる。
上海が5年で空気が濁ってしまった。
地球に帰って来た彼らは環境活動とか活動家になっている。
国が種子法を作って種の権利を守る法律です。
最悪のシナリオは相手の国に種をやらない、兵糧攻めするという可能性もあるのかもしれない。
地球環境回復というでかいことを考えてやらないと、実は続かないんだという考え方に到達しました。
母からは「常に強い思いを持ち続ける」という事を言われてきました。