2016年5月6日金曜日

吉田紗栄子(一級建築士)    ・美しくバリアフリーを届けたい

吉田紗栄子(一級建築士 NPO法人理事長) ・美しくバリアフリーを届けたい
東京生まれ 73歳 高校生の時にローマに住みイタリア語を身に付けました。
帰国後パラリンピック東京大会に大学3年生で通訳ボランティアとして、参加します。
スロープやカーテンが取り付けられた選手村で車椅子でも不自由なく過ごす選手たちの様子を見て感動し、住まいのバリアフリー設計を一生の仕事に選びます。
大学卒業後、1級建築士となった吉田さんは、介護が必要になる前に誰もが自宅のバリアフリーが必要だと感じるようになったと言います。
そこで吉田さんはNPO法人を設立し、安全に長く暮らせる住まいについて、アドバイスやセミナーの開催などを続けています。
来月6月からデパートで美しいバリアフリーの為の相談コーナーを始めることにしています。

一人一人合わせた設計を考えています。
天井走行リフトで身体を吊り上げて移動したり、ヘルパーさんが力を入れなくて移動できるようになっています。
浴槽の縁には赤い縁取りがしてあり、天井走行リフトで身体を吊り上げ移動した時にヘルパーさんが足がぶつかるのを判るようにしてあります。
居心地が良くて安全、自分の好みに合った家を作りたいと思っています。
カーテンも一緒に店に行って好みにあった物を選んだりします。
身体も変化するので、周りの環境、家が変わってくることがあるので、その後も対応しています。
地震、災害が怖いので必ず2方向から逃げられるように設計しています。
バリアフリー、暗いイメージがあるが普通に見えるバリアフリーを考えています、手すり一つについても形、つかまるところを作るとかいろいろ方法を考えています。

父が国連の職員をしていたので、16歳の夏休みにローマを尋ねました。
ローマ時代に作られた水道橋がいまだに使われている事を知り、建造物の凄さを感じて、建築をやりたいと強く感じました。
英語、イタリア語を覚えていって、この事が今日につながっている大事なポイントだと思います。
オリンピックは英語でやり凄くアルバイト料は高かったが、東京パラリンピックでは予算がなくて、通訳部門を日本赤十字社の青年課が受け持つ事になって橋本祐子さんという課長が6人の人達に一人10人探せば60人になると言う事で、声を掛けられてボランティアをしてほしいと言う事で引き受けました。(大学2年)
グランドハイツという米軍が使っていた基地だったがバンガローと呼ばれる平屋建があり、入口に2,3段の階段がありそれに木製のスロープを付けたり、扉を取ってカーテンにしたり、食堂棟が1.5~2m高くなっていたのを自衛隊の人達が長いスロープを作っているのを見ました。
イタリアの選手は普通に生活をして普通に結婚して普通に仕事をし、普通にスポーツをやっていて強くなって選手になったと言う人で、接していて障害者と接しているという感覚は無かった。

障害がある方に取って建築はバリアになっていて、解決してゆく事は建築の力だと感じて、設計に人生をかけようと思いました。
1965年に日本赤十字団の仲間でデンマークの福祉施設を訪れました。
イギリスのストーク・マンデビル病院からパラリンピックは発したが、日本から3人派遣するので通訳として行きましたが、デンマークは私がどうしても見たいと思っていた福祉施設、障害のある方の家を見に行きました。
障害のある家はインテリアが素敵で雑誌から抜け出してきた様で、デザインの力でこのように素敵に住めるんだと衝撃を受けて、憧れました。
1級建築士の試験は殆ど男の方でした。
大工さん、設備屋さん等の職人さんに一つ一つ教えてもらって、経験を積んできました。

障害にならないうちから、大きなリフォームをしたり、新築したりする時には基本的なバリアフリーをやっておいてほしいと思うが、自分の思い通りのものができなくて、仕方なく施設に移って行くのを数多く見て来ました。
42歳の時に工事現場で左足股関節に激痛が走り歩けなくなってしまって(変形性股関節症)2カ月間入院して、車椅子に乗っている人達が生きいき生活していたのに励まされ、絶対に直そうと思いました。
この経験が、その人の気持ちになれるような経験をして、さらにこの仕事にのめり込む様になりました。
阪神淡路大震災の時に家の下敷きになって下半身麻痺になった女性が、車椅子でも生活しやすい家を作りたいと言う事でしたが、近くに専門家の相談に乗ってくれる人がいなくて、全国どこにいても専門家が必要だと言う事で15年前に、高齢社会の住まいを作る会のネットワークを作りました。(50名の専門家を結集する事が出来ました)
2003年にNPO法人にして、いろんなアイディアを出しあったり、イベント、セミナーを50回以上はやっています。

耐震補強が重要になってきて、バリアフリーも一緒に考えていけば良いと思って、そういったセミナーなどをやっています。
2年ほど前に新バリアフリーという言葉を作って、どんなことが大切なのか15項目にまとめた小冊子を作って1万2000部を配りました。
以前は家の中だけでしたが道路、駐車場から室内までをどう安全に入ってこられるかが大切なことになってきています。
キッチン、トイレなど将来のことを見据えて考えてもらいたいと思います。
50~60代の人に早めに考えてほしいと思っています。
リフォームは体力と経済力の勝負なので、高齢になると衰えてくるので、業者さん任せになってしまう可能性がある。
玄関、トイレ、お風呂などはいずれは手すりが必要になるので、耐える下地を入れておくとか、必要になります。

高齢になるとかならず衰えてくるので、住宅がベースになるので、自分自身が元気で自分の家で過ごすことが大事だと思います。
高齢で事故に遭うと寝たきりになる可能性もあるので、安全で暮らせる家を作って行かなくてはいけないと思います。
今年6月から、池袋のデパートで50歳以上の方を対象に、美しく心豊かに暮らしてゆくための提案するスペースを作ろうと準備をしています。
3年前に福祉、インテリア、建築、医療等の専門家が集まって設立した団体です。
200平米あります。
高齢になった使いやすい家具もありますので、いろいろなことを提案できればいいなあと思っています。
「失われたものを数えるな、残っているものを最大限に生かせ」(グッドマン博士)
感銘を受けて私の人生全体がこの言葉で支えられている様な気がします。
次の目標は2020年のパラリンピックまでは何等かの活動をして行きたいと思っています。
1回戦で負ける様な選手は余裕があるので普通のお宅に訪問出来たらいいなあと思っていまして、交通のバリアフリー、家のバリアフリーを考える事になると思っているので実現したいと思っています。