是枝裕和(映画監督・テレビディレクター) ・家族をテーマにする理由
「誰も知らない」、「歩いても歩いても」、「奇跡」、「そして父になる」、「海街diary」等家族をテーマに多くの作品を撮っている作品として知られています。
昭和37年東京生まれ、 53歳 早稲田大学卒業後、番組製作会社に入社し、TV番組のアシスタントディレクターをしながらドキュメンタリー番組の演出を務め、32歳の時に「幻の光」で映画監督としてデビューしました。
その後日本だけでなく海外でも様々な賞を受賞して、高い評価を受けています。
「誰も知らない」では第57回カンヌ国際映画祭で柳楽優弥さんが最優秀男優賞を受賞、「そして父になる」では第66回カンヌ国際映画祭で審査委員賞を受賞、「海街diary」では日本アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞など多くの映画賞を受賞しています。
最近上映の「海よりもまだ深く」では、カンヌ映画祭の「ある視点」部門に正式出品されました。
「海よりもまだ深く」は「海街diary」と並行して撮影しました。
話を考えることからやって行く事に拘っていて、脚本と編集は撮影をしながら脚本を練り直して、編集をしながら翌日の撮影プランを考え、そこでまた脚本を書き直すという事で、同時進行で3つ作業が進んでいるので、自分ではそこに全て関わっている関係上切り離せません。
撮影が始まって2~3日すると撮影の夢しか見なくなります。
撮っている間は楽しいですが、編集も楽しいです。
「海よりもまだ深く」は、歌では主人公とは最も離れたテレサテンの歌「愛人」にしました。
阿部寛さん 樹木希林さんを想定して脚本を書いたので断られたら映画自体を辞めようと思いました。
2008年の「歩いても歩いても」でも親子をやっています。
歳を重ねたところでもう一度、もう少し主人公が歳をとったところで、人生のゴールが見えてきた様な段階のシチュエーションで家族の話をというふうに考えました。
主人公は15年前に受賞した作家で、その後芽が出ずに探偵事務所で働いている50歳代。
息子を見守る母親が団地に住む、夫を失った人(樹木希林)
元嫁がいて息子を連れて家を出て行ってしまっている。
主人公は月に一度、別れた息子と会うだけの元夫、元父になりかけていて、その現実が受け入れられない。
元家族が台風の晩にたまたま集まったその家族が家に帰れずに団地で一晩を過ごすという話です。
自分が実生活で感じた実感、疑問、発見から映画を立ち上げてゆく、なるべく足元から離れないつもりでやってきました。
清瀬市の旭ヶ丘団地が舞台での話。
私自身が一番長く住んだ町ですが、撮影するのにはいろいろ許可が降りるまで苦労しました。
9時には完全停止という条件で始めましたが、時間が無く夜の場面を撮るのに苦労しました。
カンヌ映画祭で正式出品 「ある視点」部門 斬新な方法論とかどういうものがある視点なのか判らない部分がある。
例年だと3000本とかあるが、ローカルな日本のホームドラマがここに選ばれて招待されるのは珍しいので有難いと思っています。
カンヌ映画祭の出品は6作目となります。
第8回伊丹十三賞をいただきましたが、身が引きしまる思いです。
冷徹に編集機にむかうのが、監督はなかなかできなくて、本当はプロの編集者に任せた方が多分短くなると思うが、編集が好きだということはあります。
昔撮った痕跡を残したいと言うことはあります、後でいじりたくないという気持ちがあります。
昭和37年生まれで現在53歳、老成した子供でした。
子供らしくないと言われました、やんちゃをしない、学級委員をして、優等生でした。
姉2人で末っ子の長男ですが、家族の中のポジションは大人になっても引きずりますね。
姉の歳が離れていたので母が3人いる様な感じでした。
小学校のころはプロ野球の選手になりたかったが、本当になれるとは思っていませんでした。
高校に行くころには小説家になれればいいなという様な思いも漠然とありました。
中学、高校はバレー部でセッターをやっていました。
監督をやってセッターと同じようだと思いました、役者はアタッカーなのでフォーメーションを考えながら、それぞれのいいところを生かして6人で回してゆくという感じは近いなあと思いました。
早稲田の文学部に入り、直ぐに映画館通いが始まり、映画に興味を持ち始めて脚本を書く様になりました。
映画監督になる資質はコミュニケーション脳力が高い方がいいと思います。
最初は全くコミュニケーション能力は無かったが、ドキュメンタリーをやることによって、交渉、説得、信頼してもらう等いろいろ体験して良かったです。
フィクションだけやっていると人間関係が閉じてくる様に思う。
1995年に「幻の光」で映画監督デビュー。(32歳)
これで多くの賞を取る。
次が撮れるかどうかの瀬戸際だったので、これで次が撮れると思いました。
2作目が「ワンダフルライフ」 ドキュメンタリーとフィクションが一つの映画の中で衝突する様な実験的な映画。
4作目が「誰も知らない」
第57回カンヌ国際映画祭で柳楽優弥さんが最優秀男優賞を受賞。
オーディションで選んだ子供たちなので、覚悟を決めてこの子達と1年付き合うぞと決めて付き合っているので楽しかった、贅沢に時間を使えた。
子供達も自然な雰囲気を出せるようにしました。(台本を渡さないで口伝えで行った)
2011年「奇跡」でも子供が大活躍。
2013年「そして父になる」では第66回カンヌ国際映画祭で審査委員賞を受賞
この時も台本を渡さずに現場でやりました。
子供には福山さんが面倒を見て福山さんだけを見る様に仕向けました。
早稲田大学でTV論と、学生と一緒に映画をつくることを1年かけてやりました。
学生が初めてカメラを使って撮った時にどういう時戸惑うとか、どんなことが判らないとか、新鮮な気持ちになれました。
監督では侯孝賢(ホウ・シャオシェン 台湾の監督) 映画に向き合う姿勢に影響を受けました。
TVのDNAが色濃くあって、脚本家の山田太一さんとか向田邦子さんとか、久世光彦さん、鴨下信一さんとかの方の影響の方が色濃いかも知れません。
海外では小津安二郎監督の孫だとよく言われたりします。
小津と貴方は時間が直線的に流れていないといわれた、円環で、父が死んだり母がいなくなったり誰かが結婚したり、子供が生まれたり、人間は入れ替わるが、街は続いてゆく。
「ゆく川の流れはたえずして、元の水にあらず」、そういうものを描いてる感じが似ていると言われた。
そういう意味で小津と似ていると言われれば、納得します。