2016年5月20日金曜日

多田 宏(武道家)       ・武術の神髄を探る

多田 宏(武道家)       ・武術の神髄を探る
昭和4年東京生まれ 86歳 子供のころから武術が身近にある環境で育ちました。
早稲田大学入学と共に空手部に入り、その後植芝盛平の合気道に入門します。
そこには少学生時代に父親の友人である武道家が植芝盛平は当代一の武道家だと、そう話していたのが強く印象に残っていたと言う事もあった様です。
大学卒業後、級友たちが官庁や企業に就職する中で、武道武術研究の道に進むと言う事を決めました。

年3回定期的にヨーロッパに行っています。
イタリアには昭和39年にむこうで会を作って、公益法人にしたいと思って随分付き合いました。
今は100カ国以上に広がっています。
ヨーロッパの畳はゴム製で1m×2mになっています。
合気道の書物が沢山出ています、植芝盛平先生の言葉とか、みんな翻訳されていて良く知っています。
江戸時代の芸術は武術、特に剣術の本です。
2011年東日本大震災の1カ月後にイタリア復活祭の稽古に入った時に書かれていたのは、震災で日本人の取った態度に大きく心を打たれた、特に少年少女たちが落ち着いていたと。
大震災にもかかわらず商店の前に静かに並んで平静な心を失わない日本人の姿、合気道で習っていた、心学心法の道を知ったという反応があった。
道の中には二つがあり、二つが一本になって道となっている。
①心学の道 儒教を元にしたその時代の社会倫理の道
②心法の道 人間と自然、人間と宇宙の関係を重要視する道

日本人には黙っていても知らなくても出来る人が多い。
オリンピックや世界選手権でメンタルマネージメント、トレーニングの教えは日本の伝統的な古代からの剣術そのものです。
自分の感覚をようくとぎすまして、対象が良く映る様にするのが集中と言います、一生懸命やっているが対象にとらわれてしまうのを執着と言います。
人間の命の力の高め方と使い方にあると、剣術の本に書いてあります。
身体が病にかかった時に心の方はどういう風にしようかと、そういう問題と直接関係するようになってくる。
病を治すには、心を安定させて出来るだけ生命力を高めて、病を治してゆく力を増やしてゆく。
安定(あんじょう) 集中統一三昧 自分の感覚を研ぎ澄ます。
私たちは地球的条件と宇宙的な条件と、二つの条件の中で生きていて、人間関係の道は地球的条件であることがおおい、宇宙との関係がありそっちを大事にすると言うのが老子、荘子が説いた。

家には江戸時代ずーっと昔から日置流弓術竹林派の弓術が伝わっていた。(対馬藩)
曾祖父から父が受け継いで、家伝の弓術を習いました。
曾祖父から教えてもらったことを、父から何気なく話してきました。
「人の技を批判するな」 曾祖父から父は言われたそうです。
他とものを比べるものではない。
人によって解く事が違う、本を読んで、あっちの先生のいいところ、こっちの先生のいいところを取って、ということは一番上達しない道です。
往々にして本というものは最上位の人達の心構えの様なことがでていて、鵜呑みにしてしまうと極意にかぶれるということになる。

植芝盛平先生の本
「武は愛なり」
「合気は万有を愛で結ぶ紐で有ります、世の中は全て愛によって形作られているのであります。
日本の武は決して戦いや争いの道では無いのです。 
全てのものを兄弟としてゆく道であります。
一つの道を貫く為に無欲になって、進まねばなりません。
無欲になった時こそ絶対の自由になるのであります。
世の中はすべて無欲のものの所有になるのであります。」
全ては宇宙の根本の力の変化した力であり、宇宙の力を受け入れて、宇宙の力の法則のままに生かされてその法則を宇宙の心と言ってもいい、宇宙の心は愛である。
武術も愛でなければならない。

700年近く武家政治が続いた、武士は責任を持って、公を主体として、公の為に命を捨てると言う事を日本の武術の技にはっきりとでてくる。
武術は破壊ではなくて世の中を安定させてゆくためにあると、そういう考えが達人で有ればある程あったと思う。
瞑想的な訓練をやってゆくのが日本の武術の条件です。
相手と対等になってはいけない、武道の条件です、相手と競う心になってはいけない。
病と対等になってはいけない。
眼前に敵ありだが、我が心中には敵なし。(心の中に敵がいないから、安定した心の状態)
弘法大師 命の力の使い方、長生き出来るか、元気でいられるか、自分の仕事や学問でも幅広く取れるか、専門の分野で深い状態を探究できるか。
植芝盛平先生は私から見ると神道の行者ですね。
大学在学中に、植芝道場に入門し、植芝盛平植芝吉祥丸に師事する。 その後、天風会・中村天風、一九会道場・日野正一らに師事する。
植芝盛平先生に初めてお会いした時には、こちらは学生服だったが、帽子を取って、「私が植芝盛平でございます」と非常に丁寧に挨拶されて吃驚しました、今でも鮮明に覚えています。
中村天風先生のところには東郷平八郎、原敬、山本五十六、双葉山等そうそうたる著名人がいた。
中村天風先生はいつ死んでもいいと思っていたが、日露戦争が終わって軍医から肺潰瘍だ、後3カ月だと言われて、死ぬのは平気だろうと言われたが腰が抜けたそうで、死ぬのが怖くなって驚いて、世界を回って3カ月たっても死ななくて、エジプトのヨガ行者にあい、3年間修行して日本に帰ってきて、銀行の頭取をしたりしたが、或るとき心身統一法、医学を研究した。
或る人が30日間断食をしたことを話してくれて、理解できない所もあり私は断食を21日間行う。
水が飲める場所で静かなところで、指導者がおられる所ですが、問題は終わった後、軽い重湯、お粥などを少しづつならして、その後10日ぐらいたつと異常な食欲がでてきてそれを我慢するのが大変、その時に大食すると死ぬことがある。
断食には病がない、心の安定、親しい指導者がいる事が大事です。

86歳になると小学生と同じではないか、武道で一番重要視するのか呼吸法 収気 宇宙エネルギーを受け入れると言う事。
我々の本体は宇宙の本体と一緒なんだと宇宙の子なんだと自覚すれば安定した心の働きでやっていける。