保阪正康(ノンフィクション作家) ・昭和史を味わう 第22回 日本国憲法の公布
昭和22年5月3日 日本国憲法が施行された。 公布 昭和21年11月3日
公布から施行まで半年あるが、憲法は大きく変わったのでどういう風に大きく変わったのかの周知徹底する期間と言える。
大日本帝国憲法のもとで、軍事主導体制で戦争を選択して負けることになり、憲法を変えなければ
新しい時代に即応する国作りができないという事で日本、アメリカのGHQ、双方の動きがあり、幣原(しではら)内閣の国務大臣、松本烝治という人が松本委員会の名のもとに、どういう風に憲法を変えていこうかと考えますが、大日本帝国憲法に則った形を考えます。
マッカーサーと幣原首相の会談では日本に民主主義を要求している。
松本委員会の憲法草案があまりにも大日本帝国憲法を踏襲しているのではないかという事で昭和21年2月1日の毎日新聞がスクープをする。
これを読んだマッカーサー、GHQが激こうする。
模範を作ろうではないかという事で、GHQの将校に2月4日から13日まで作らせる。
東大教授高野岩三郎、鈴木安蔵氏らが作っている憲法研究会の作っている憲法草案はかなり民主的、同時に各政党 自由党、民主党、進歩党、社会党、共産党なども独自に憲法草案を考えるが、松本委員会の草案に対してGHQが反対する。
マッカーサーは3つの原則を憲法に盛らなければいけないという。
①天皇制を象徴にせよ
②戦争放棄
③イギリスの議会政治に似ている様な形の民主政治を確立する条文をいれる。
日本にも同様な考えのグループもあった。(東大教授高野岩三郎、鈴木安蔵氏ら)
GHQの草案とかぶったところもあり、GHQが全部作ったというわけでもなく、アメリカの知恵、日本の知恵が寄り集まって出来たと考えていいと思う。
GHQの民政局が主導権を取って作業を進める。
軍人より弁護士、学者が多かった。 2月4日から14日まで。
女性の参政権、労働者の団体の団結権等が新しく取り入れられた。
日本側にも考えていた人たちがいた。
GHQの案をもとに手直しして、政府案を作るが、マッカーサーも了解して、国会に提案される。
公布 昭和21年11月3日
大日本帝国憲法は明治23年から77,8年続いて、崩壊するが、軍事主導体制で富国強兵のもとでの軍事体制が中心だったが、今度の憲法は非軍事の方向に行く、憲法9条戦争放棄になるがこれが大きな特徴、又臣民を取りはらって市民としていろんな民主的な権利を持っているんだという様な形で民主的権利を認める方向に行った。
この二つが大きな違いです。
平和憲法だというが、非軍事憲法だと思っていて平和憲法にしてゆくためには、努力、時間、エネルギーが必要だと思っている。
平和憲法にしてゆくためには、自分たちの力で獲得していかなければいけないと思います。
昭和21年1月1日 昭和天皇が人間宣言をする。 (神格化はしない 新日本建設に関する詔書)
昭和天皇は新日本建設に関する詔書の最初のところで、五カ条の御誓文について言っていて、私は日本にも民主主義があった、それが五カ条の御誓文で五カ条の御誓文に代表される民主主義の考え方を私は国民に訴えたかったと言っている。
昭和22年5月3日 日本国憲法が施行された。
憲法施行式典での 芦田均 憲法普及会会長の言葉(放送あり)
新しい憲法は紙芝居を作ったり、学校教育では「新しい憲法明るい生活」という冊子を2000万部を作って学校に配布する。
施行された時は三党連立政権、社会党片山哲首相(社会党右派、クリスチャンで温厚な人)
旧憲法は軍事主導体制で57年間続いて、いまの憲法はそれを教訓にして、68年続いているということは、今の憲法は国の柱といろんなものを教訓としながら出来ているんだなあという気がします。
これをどういう風にするかは次の世代の問題ですから、あれこれ言うのは控えますが、国の柱である以上、そこにかつての人たちのいろんな思いがこもっていたという事は、忘れることは出来ないなあと改めて思いました。