東山彰良(作家) ・流れ流され直木賞(2)
青春小説、危うい年代だから物語が作り易いという事があるかもしれません。
私は小説を書くときに、きっちりプロットを固めて書くタイプではなくて、いくつかの場面が浮かんだら、つないでゆく様なタイプで自由に物語が進むに任せる書き方をします。
無鉄砲さと親和性がいいのかもしれません。
青春時代にしたかったというのが作品に反映されているのかもしれません。
音楽が好きで中学、高校とギターをやっていましたが、行く行くは自分のバンドを作って音楽で食って行きたいという夢はあったが、それに見合う努力はしていなかったと思います。
覚悟という点で言うと全く足りなかったです、青春のやり残し感があったと思います。
中学はバスケットをやり、高校時代にはバンドをやろうと思いましたが、碌なバンド活動はしなかったです。
大学を出て、バブルがはじけた直後、まだ簡単に就職できた。
長い間の旅行にでたいという夢があり、会社を一旦止めて、大学院に行けば旅行に行けるのではとは思ったが、修士までは取れるが、博士号までは取れなくて、結婚もして、どうにかしないといけないと2000年頃思ったが、その時に逃げ込むようにして始めたのが、小説を書く事だったんです。
その年に、台湾に帰ったんですが、バンドの人達と知り合って話をしてゆくうちに、自分はいままでの人生で何かを積極的に掴み取ろうとしたことがなかったと気づいて、ふつふつとしていて、自分は音楽では楽器は大したことはできず、博士論文は何度も却下されていたが、長い文章を書く持久力だけはついていたと思った。
準備もなく或る夜ほとばしるように書きはじめました。
好きで読んでいたレナード(アメリカのミステリー作家)の様な小説を書くことしか思っていなかった。
論文は書きたくないが、机に向かっているという言い訳がほしかったのかもしれません。
ものを書いているという事で癒されました。
書きあがって自己満足で終わるのか、誰かほかの人も同じように思ってくれるのか知りたくなって周りの人に見せたら反応が良かったので、新人賞を探して投稿を始めました。
この仕事はやりたいとは強く思いました。
作家というのにはおこがましいというという感覚です、自分が満足できる作品を書けなかったからですかね。
自分はまだ作家になる力量がないのにデビューしてしまったという感覚がずーっとあるんです。
デビュー作は準備もなく或る夜ほとばしるように書きはじめた作品です。
思う様な商業的な成功とは無縁だったので、作家だけでは食べていけず、いまも大学で中国語を教えています。
40歳過ぎまではあまり自信は持てなかったですね。
台湾で生まれて、日本で育っているが、本名は中国名なので日本で暮らしていると日本人ではないことが判るが、台湾に帰ると子供達の間に交わると異和感を感じるみたいで、どこに行ってもしっくりこない感があって、でも子供のころからそれは悪い事ではないと開き直れた。
作家になった後も、作家として定義できないという部分もありますし、したくないという部分もあったのかもしれない。
定義をしてしまうと、後で自分とは違う大きな力で否定された時に、自我の揺らぎを経験してしまうのではないか。
例えば国家の話で言うと、自分は台湾人だと思っているのに、或る日国家からお前は違うと言われる様な揺らぎを経験したくないから定義をしない。
作家と思ってしまうと後で大きな力でお前は作家ではないと言われた時に、揺らいでしまうのであえて定義しないという側面もあったのではないかと思います。
定住しないで、出来れば一生移動していたかった、旅人の生き方に強くひかれた。
子供時代は台北の垣根の低い地域で大家族で住んでいました。
周りにはほらを吹く人達がいっぱいいて、楽しくてそんな大人になりたいとは思いましたが、そうはいきませんでした。
日本に来てからは急に核家族になり、素っ裸にされたような感じでした、怒られれば怒られっぱなし、守ってくれる人もいないし、心もとなかった。
いじめなどにも会ったが、問題は何人という事ではなくて、僕という人間なんだと気付いた時に、別にどこ出身だろうが、関係なく個人と彼等との付き合いなんだと判った時にアイデンティティーの問題を有る程度克服できたと思います。
「逃亡作法」 根なし草的な人々、いろんな国の犯罪者が出てくる。
中途半端に逃げるとにっちもさっちもいかなくなる、逃げた先には死に物狂いで逃げ込まないと逃げてる意味がない、逃げているのに何時の間にか追い掛けているような生き方をしないと逃げてはだめじゃないかと、思います、
僕が小説を一作だけ書いて駄目だという事で別の道に逃げてしまったら、ドンドン状況が悪くなるだけだと思うので、僕は運よく自分のやりたいことに逃げ込めたので本当にやりたいことを追い求めてゆくばかりだと思っています。
デビュー作から一貫したテーマです。
小説を書いている時は、自分は小説に、自分の人生に立ち向かっている感、があるからかもしれない、それで癒されるのかもしれません。
どこまで自分が新しい物語がつかめるか、という好奇心があり、書き続けたいと思っています。
物語はそこらじゅうにぷかぷかと浮かんでいるのではないかと思うのですが、どの物語を掴むかは、作家の筋力、センス次第だと思うが、自分の筋力、センスがどこまで通用するのかを見てみたい気がします。
自分で処理しきれないどろどろしたものが、身体の中に溜まってそれを書く事によって吐き出しているんだと思います。
「ブラックライダー」を書き切った時に、作家と名乗ってもいいのかなあと思いました。
デビュー作から何作かは、どこかで映像化を意識していたが、「ブラックライダー」に関しては物語は自分の力では終わらせないと思って描き続けました。
最後に一行を書き終えた時に、おわっちゃったとパニックになってしまいました。
「流」もそうです、終わらせない、物語が勝手に終わるまで終わらせない。
「流」 自分では凄いものを書いた感覚がなくて、手ごたえを感じたのは「ブラックライダー」なので
僕の目標は「ブラックライダー」を越えることなんです。
誰も書いた事もないものを書いてみたいです。