稲田 信(松江市史料編纂室長) ・「松江城国宝」への長い道のり
島根県松江市にある松江城が今年の夏に国宝に指定されました。
現在江戸時代の天守閣が残る城は12か所ありますが、国宝に指定されているのは、姫路城、彦根城、犬山城、松本城で、松江城は5例目の国宝です。
国宝の決め手になったのは城が完成した時に、城が長く栄えることを祈る儀式が行われたことを記す、祈祷札が発見されたことで、松江城は1611年に完成したことが実証されました。
現在松江歴史館でおよそ400年前に墨で書かれた祈祷札が展示されています。
この祈祷札を探し出したのが、松江市資料編纂室のスタッフと室長の稲田さんです。
稲田さんは島根大学で歴史を学んだ郷土史家でもあります。
国宝の指定を目指して資料を収集しているうちに、松江城は町民や市民の力によって守られてきた城である事も判明してきました。
それだけに国宝になった事の喜びも大きいのではないかと稲田さんはお話になります。
夢がかなったことは嬉しく感じます。
観光客もたくさん訪れています。
西先生も御尽力していただきました。
平成22年に松江城の国宝化を目指して、松江城調査研究委員会を作って委員長に西和夫先生に就任していただいて、建物の調査を進めて多くの新しい発見をしました。
松江城は心の中のシンボルだと思っています。
かつて国宝だったが、一旦取り消されて、それからもう一度国宝になるまでに65年掛かった。
昭和25年文化財保護法が出来て、、制度改正によって、それ以前の国宝が重要文化財に成り、
その中からさらに貴重なものが国宝になることになり、松江城は国宝には成らなかった。
12万人位の署名活動をして文化庁に行ったが、叶わなかった。
それ以後地道な新しい発見、国宝にふさわしい情報を研究、調査をする動きに変わっていった。
いつ作られたのか等の実証が必要だった。
3年前に松江城が竣工した時の祈祷札が見つかり、松江城が1611年に出来たことが判った。
城が完成して最後の儀式として行った祈祷札に年号が書いてあり、慶長16年正月吉正日が書いてあって(2枚見つかるが一枚のみ判読可)、完成した時期を特定した重要な資料になった訳です。
城の特徴等も調べ上げた。
柱が二階部分までの通し柱が特徴、又寄せ木柱ではなく木の周りに板を包んだ包み柱であることも特徴となっている。
堀尾吉晴と息子忠氏と共に出雲にやってきて、初代藩主が忠氏だが早く亡くなり、忠晴が幼くて吉晴が助けて、お城、城下町を作ったと言われる。
吉晴はお城を作る名人だったといわれる。
着手してから5年で作った。
松江城を中心にしたところは湿地帯だったといわれ、短期間で行ったことは凄いことだったと思います。
明治になると廃城令が有ったが、松江城は生き残ることができた。
明治8年頃、勝部本右衛門(豪農) 高城権八(旧松江藩士)が松江城が入札にかけられ無くなるところを、入札金額と同じ金額をおさめる事に依って残したといわれる。
当時のお金で180円(今では100万円ぐらい 不要なものと思われていた)と言われる。
いろんな危機があったが、そのたびに多くの人が支えて今日に至っていると思います。
明治25~27年頃に撮影された写真があるが、瓦は落ちているし、周りの板塀は朽ちかけている。
明治27年に松江城の大修理が行われている。
市民が松江城を修理するためにたちあがって、有力者と共に募金をして大改修をおこなった。
祈祷札があった場所の特定が必要だったが、上下に釘穴があり、何かに打ちつけられていたことは判っていたが、証拠を見つけようと松江城の中を調べようと松江城に入って行ったが、最初にあたりを付けた釘穴がぴったり合って、奇跡的だった。
地階にある柱だった。
昭和21年に後の名古屋工業大学学長になられる城戸久先生が松江城の調査をして、その時に2枚の祈祷札を見つけて、貴重なものだと認識されたが、昭和25年~30年にかけて大改修をして、何故か祈祷札の話は全くなくて、昭和40年代になってから論文の中に昭和12年に調査した祈祷札について記載され、写真も一緒に掲載されていた。
私たちは論文に祈祷札が記載されていたことに、初めて判った。
今から3年前に、松江市内の神社、お寺等の古文書を調査していて、松江神社の調査をしていたら祈祷札が見つかった。(本当に嬉しかったし驚きでもあった。)
「ふるさと文庫」 西先生が書かれた本(新しい知見も盛り込み)を文化庁でも読まれて、国宝化に動いて行ったのではないかと思う。
学生時代から古代史をやっていて、地域の歴史を明らかにしてゆくという仕事をずーっとやってきました。
松江は長い歴史の中に位置付けると権力の中枢にあった時期もあり、はるかに他のところと比べて多くのお城が作られていて、明らかにする作業が必要だと思っています。
古代出雲の中心地は松江地域の中にあったと考えたらいいと思います。
松江はまだまだ明らかにできる様な素材は沢山ある場所なので、明らかにしてゆく、多くの皆さんに行っていただく事は大切なことだと思っています。