2015年11月23日月曜日

Ko-Ko(コーコ)(シンガーソングライター)  ・ラスト・ディナーは、私の歌と!

Ko-Ko(コーコ)(シンガーソングライター)  ・ラスト・ディナーは、私の歌と!
自らもガンに侵されながら病院の医療活動の一環である最後の晩餐食事会で素晴らしい歌声を披露しているシンガーソングライターがいます。 Ko-Koさんです。
20年前に右足に大きな肉腫が見つかり、その後両方の肺にも転移し手術、抗がん剤治療を繰り返しましたが、その後は免疫療法、温熱療法、心理療法など、自分の納得する治療法などを自ら選択し、現在もガンと闘いながら音楽活動を続けています。
ガンになって初めて自分のやりたかったことに気づき、家族や医師、音楽仲間に支えられて曲作り、ライブ活動に充実した日々を送っているKo-Koさんに伺いました。

最初曲が流れる。 「最後の晩餐」作曲 Ko-Ko 作詩は主治医藤岡先生の奥さん藤岡ふみよさん
「今日が最後の日だとすればただゆったりと美しい木立の中で、優しい風を感じて過ごします。 今日が最後の日だとすれば、私は愛する家族や信頼してやまない友人たちと、過ごします。」

20年前に右足のひざの裏側に大きな腫瘍が見つかり、それが検査で悪いものだと判って、その後抗がん剤や、放射線の治療をして、1年ぐらいかけて手術をしました。
結婚して2人の子供に恵まれたが、下の子を妊娠した時に肺に転移が見つかり、出産した後に検査したら左の肺に転移してかなり大きくなっていた。
肺の潰瘍を取って、悪いものとわかって抗がん剤治療を受けたが、5年後に右の肺に小さいものが見つかり、これも悪いものだという事で取っていただきました。
何回も抗がん剤をやっているのに出来てしまうので、なんかおかしいのではないかと思いだして、その頃に藤岡先生夫妻との出会いがあり、出来たら取ってという事をしていると、最終的に取れない時が来るのではないかと不安があり、抗がん剤を止めて、免疫療法とか食事療法とかの方にかけてみようかという気持ちになった頃です。
抗がん剤治療は食欲も無くなり髪の毛も抜けてしまうので気持ちも萎えてしまう。

食事療法を1年ぐらいしましたが、肉が大好きなのに食べれなくて、食べようとしたが家族から大声で止められ、我慢するのは精神的によくない事に気づいて、話して先生も同意してくれた。
それから精神的にも体力的にも元気になってきた。(今でも肉は食べています)
食は楽しくおいしく食べるのが一番だと思います。
最後に手術したのが12年まえで、5年前に両肺に影ができて、取りましょうという事になったが、音楽活動をしていたので声が出なくなると怖いと思ったし、子供も小学生だったので手間のかかる時期でもあるし、今回は手術も治療もしないという選択をしてみようと思った。
藤岡先生に話したら、「それも一つの選択だからもう大丈夫だよ、いいよ」、と納得してもらった。
ハイパーサーミヤという温熱機械が入ったので、それはやってみようという事でやりました。
病院では先駆的な食事療法をやっていて、誰とどこで食べるかが一番重要で、最後の晩餐食事会といいまして、患者が死ぬ前に食べるご飯とかというわけではない、いままでの病気の私と決別してこれから新しい自分に生まれ変わろうではないかという、再出発の食事会です。
患者さん一般の方も皆で一緒に食べます。

「最後の晩餐」の後半の曲が流れる。
「今日が最後だとすれば貴方は何をしますか。  今日が最後だとすれば貴方は誰と過ごしたいですか。  今日が最後だとすれば貴方は何を食べたいですか。 今日が始まりだとすれば貴方はどう生きたいですか。 人生の最後に思いを寄せて生きることこそが幸せにつながり、人生の始まりの様な生き方が出来る。 今ここに自分はある、 今ここに自分はある。 今ここに自分はある。」

食事の料理を作って下さるのが国境なき料理団 の本道佳子さんです。 
野菜ばっかりだが満腹になる素晴らしい料理です。
ご飯を食べてから私の歌を聞いていただきます。
歌が好きになったのも父の影響で越路吹雪さんが大好きでした。
父が亡くなった時にはお経ではなく、越路吹雪さんの歌と赤いバラで見送りました。
ピアノを教えて、ボイストレーニングの教室、ライブ、CDも出して、今年の熊本町のマラソンの応援ソングとして「ランナー」(作詞作曲 Ko-Ko)を選んでもらって嬉しかったです。
ガンになったから良かったことは、全てです、いろいろな事を学びました。
結婚する前、父が事業を失敗して、絶対に頑張るぞと、わたしも保育士をしながら昼も夜も頑張って体をいじめていましたが、病気になってなんか違うなと、せっかく生まれてきているのに色々、自分自身を見直すことができたと思います。
結婚して、いま子供達は高校2年生と高校3年生です。

私が病気だということは彼女たちも十分判っているのですが、言葉に出せないというか、私を見てる事によって安心してくれるというか、そんな感じです。
周りに支えられているというか、理解がある人ばっかりで、病気になってから音楽活動にもささえてくださる方にめぐり合う事が出来ました。
病気になってから、今日死んでも悔いのない生き方、でもそのもう一つに絶対死なないよという強い生き方みたいな潔さと強さみたいなもの、二本の柱で生きていると、何でも受け入れられるし、何でも引き寄せられるし、不思議な力だと思います。
いまの病気の状態は、左の肺にテニスボールぐらいのものがありまして、右の肺にピンポン玉ぐらいの大きさが二個、肝臓とお腹の方に転移があり、お腹の方に放射線治療をやっています。
でも歌えるんですね、先生に言わせるとゼイゼイやっていて起きていられることが不思議だっていわれるぐらいの大きさだそうです。

音楽活動はライブ等をやっています。
ライブでは私がエネルギーを与えている様で、実は私がエネルギーを貰っている様で、エネルギーの交換ができるのでとってもライブは好きですね。
少しでも多くの人に病気でもそんなに落ち込まないで、怖がらないでという事を伝えたいです。
自分の納得いく治療法だったり、情報を集めて自分の体なんだから、自分で決めてくださいと言いたいです。
納得してやると自信もつくし、絶対治るという気持ちの強さが出てくるので、又やらないと言う事も一つの治療の選択肢だと思います。
家族にたまには病人扱いさせてよと言いたい時もあります。

「手と手と手」 (作詞作曲 Ko-Ko)
「貴方の笑顔、貴方の泣き顔 貴方の声を、私の命を 手をつなぎあえたのは偶然それとも運命、
ひとすじの光に導かれながら辿りついて  澄み渡る青い空 、流れゆく白い雲、花も鳥たちも
生きる力を与えてくれる。 I belive myself 手と手と手つなげば、
love my friends 一人じゃないよ、 貴方のその手信じてご覧、手と手と手繋ごうよ。
孤独に泣いた夜も、明日が見えなくても、希望に満ちた新しい朝が迎えてくれる。 
嬉しいこと、悲しいこと、揺れ動く心、光と影に試されながら生きてゆくわ。
 I belive myself 手と手と手をつなげば、 love my friends
一人じゃないよ、そばにいるから信じた道を歩こうよ、手と手と手つなごうよ。
love my friends 手と手と手つなげばlove my friends 一人じゃないよ そばにいるから 
輝く道を歩こうよ、 歌を歌って歩こうよ、手と手と手繋ごうよ、 手と手と手繋ごうよ」

皆一人じゃないんだよという事を伝えたかった。
出会いは偶然なのか、運命なのか判らないが、会うべくして会う人たちなんだなと、それが
手と手と手で結ばれて行って大きな輪になってゆくんだよという、一人じゃないんだという事を伝えたいです。