塚本こなみ(樹木医 はままつフラワーパーク理事長) ・物言わぬ樹木が教えてくれたこと
1949年静岡県生まれ 結婚相手が造園業で、結婚を機会に植えた樹木を守り育てる緑化の仕事を始めました。
女性として初めて樹木の病気の診断や治療に当たる樹木医の資格を取りました。
1994年には栃木県のあしかがフラワーパークで移植は不可能とされた、幹の太さが1m以上ある藤の移植に成功、その後あしかがフラワーパークは藤のガーデンとして年間入場者数が100万人に達する迄になりました。
塚本さんは現在静岡県のはままつフラワーパークの経営を任されています。
世界一美しい桜とチューリップの庭園をキャッチフレーズに魅力ある庭園作りに取り組んでいます。
言葉を話さない木や花から生きる力を貰っているとおっしゃる塚本さんに伺います。
樹木全体の形、先端枯れが無いとか、幹にむろが無いかとか、虫が無いかとか、まず見えるものから目視をして、原因が判断できる場合はいいのですが、そうでない場合は土を試し掘りして、土の中の根の様子を見たり、土の中から病原菌、腐朽菌が出てきたりして、きのこ等が付いているのを見たり、環境とか(踏まれて土が硬くなる)、樹木が弱る原因はいろんな事があります。
1km先に道路ができた、河川改修、マンションができたという事で木が弱ることがあるが、地下水道が変わって、水が届かなくなってしまったりする。
診断は幅広く見る必要がある。
20代前半でこの世界に入って、環境が悪いのに土壌改良をしないで植えざるを得ない時もあり、枯れるのではないかという危惧を持ちながら植えてゆく場面とかあるが、先祖から譲り受けている樹木が元気が無いので見てほしいとか、移植してほしいとかあり、どうすれば元気になれるのか、どうしたらうまく移植ができるのかなどの場面がいろいろあり、木にかかわるようになった。
造園業はほぼ男性社会でした。(今は少しずつ変化)
栃木県あしかがフラワーパークの藤の移植
幹周り3.65m 棚面積 1本で600平方m それを20km運びたいとの要請だった。
大学や、造園業何十社に相談したがどこも引き受け手がなくて、移植してくれるところがなくて4年間放置されていて、電話があり依頼があった。(樹木医を始めて1年3カ月の時)
藤の木を見に行って、素晴らしい生命力を感じた。
これは動くと感じて、引き受けることにした。
文献を調べたら、或る本から藤の移植は容易である、長い根があるから長い根を切らずに掘り上げ、土は根には付けられないから土はふるって落として、わらとかこもでまいて2月の末にやれば移植は可能である、しかし藤の移植は直径60cmまでであると付け加えてあった。
明治時代の文献だったので、今は重機等があるので、直径1mなので何とかなるのではないかと思った。
棚面積600平方mのものを300平方mに切りつめ、トレーラーに合わせて16mの直径に根をきって引っ越し用の新しい根を作る作業をした。
切り詰めた枝から5~6.m腐りが入って、一夏過ぎてから枝が落ちてしまった。
藤は木ではなく草に近いものだと思った。
幹を傷つけてはいけないので、どうやって吊りあげるかが問題となる。
幹の養生をどうするか、吊りあげをどうするかが課題で悩んで悩みぬいた。
300平方mに切りつめ枝を、さらにトレーラーの12×6mの大きさに切り詰めねばならず、運ぶ1か月前に気が付いたのが、幹に石膏包帯を巻いてギブスを作る方法を考えた。
直径1mある幹に石膏包帯を巻いてギブスをして、その上にベルトをかけてベルトを鉄骨に固定して、鉄骨をクレーンでつり上げる方法で行った。
土壌改良をして根が直ぐに活着して、根から吸いあがった水で新しい蔓が伸びるようにしてやると、そこで腐りが止まるので、早く元気な蔓を出させることが腐りを止める方法です。
腐ったところは全ての薬でだめだったが、最後に炭の液を考え、木材を被膜して保護して腐りを遅くするのではないかと考え、実行したが駄目だった。
周りに相談したが、腐りは止まらないとの事だった。
体力を付けさせると、どんどん腐りが収まってくる。
腐りとの境目に防御層ができてくるが、人間ではかさぶたができてきてそれを取ると駄目なので、藤のその境が明確になったのが5年目だった。
藤が教えてくれたと大騒ぎした。
足利フラワーパークの再建
まずは市場調査(同業他社)を行った。
ピンポイントでチラシを群馬県藤岡市、埼玉県春日部市、東京亀戸天神周辺等、藤の名所3か所に「あしかがフラワーパーク 世界一の藤のガーデン」という内容で配布し、挑戦状の様な感じで、却ってその名所の方の車が増えて見学者が増えました。
藤が美しくなるまでには年月がかかり、72平方m→工事中200平方m→翌年300平方m→園長就任時には500平方mになっていた。(運営も戦略を立ててうまく行った)
あしかがフラワーパークからは色々な事を学ばせてもらった。
はままつフラワーパークの運営責任者に成る。
担当者からこのパークにはこんなにいっぱい種類があるとの説明を受けたが、一杯種類があるのは何にもないと同じ事だと言って、これしかないというのを作りなさいと言ったら、桜1300本とチューリップで呼びたいという事で、チューリップ10万球だったものを1年目に30万球にして日本一美しい桜とチューリップの庭園を目指そうという事にした。(方針と目的を明確にする)
1年目で30万人呼ぶ目標を立てた。
通年800円だったが、3~6月に65~70%入場者数がおり、7、8、9月は2%なので無料にする。
10~2月も実質的に無料、3~6月は600~1000円の変動料金制にする。
はままつフラワーパークは公立の植物園なので、議会にかけて条例を変えてもらって、変動料金制を導入した。
あしかがフラワーパークは100万人になり、はままつフラワーパークは1年目30万人目標に対して40万人(黒字化する)、昨年は77万人入りました。
チューリップは50万球、桜は1300本と両方あるのはどこにもない、世界一を目指す。
「樹恩」という言葉をやっと今、自分の言葉としていろんな風に発信をするようになりました。
50年60年しか生きてこなかった私が大自然の樹木を治療してもいいのかという思いがあった。
大きな樹木を前にしていつも感じるのは自分の未熟さしか感じない。
樹木医に成って23年経ちましたが、ちょっと木の気持ちを少し理解出来、木をどうしたらいいのか等沢山の学びをさせて頂き、初めて「樹恩」と言う本当の意味と言葉の重みを感じながら使えるようになりました。
手紙等の最後に「樹恩」という言葉で結びを出来るようになりました。
人生は一本の線ではない、一日と言う点である、その点が365日打ってゆくと1年という線になり、10年20年となり、人生は一日という点をどれだけしっかりした点を打ってゆくか、一日という点を打ち続けることが人生だと思っています。
線だと思うと惰性で行ってしまうので、次の日は又新しく生まれて一日と言う人生を過ごす。
海外に藤を植えるプロジェクトが進んでいます、私は藤に会うためにこの世に生まれてきたのかと思うほど藤を愛しています。
園芸療法
植物の成長過程を自分の喜びとしていって、自分の心が整う。
はままつフラワーパークで園芸療法を越えて園芸福祉までやっていきたい。
引きこもりの人たちが3人来てくれて、就職が決まったり、はままつフラワーパークで働きたいという人が来てくれた。
時間はかかるかもしれないが技術を身に付けながら、職人さんになってくれればいいと思っています。
園芸療法は自分が手を掛け心をかけたものが花を咲かせる、その喜びを感じて、お客様が見て人様が喜んでくれて、その喜んでくださることが自分の自信につながり、生きてゆく力になる。
はままつフラワーパークで園芸療法をやっていただいて、心が整ったところで社会に出て頂く、そういう場所にならなければいけないと思います、それが一番やりたいことかも知れません。