2015年11月25日水曜日

東山彰良(作家)         ・流れ流され直木賞(1)

東山彰良(作家)            ・流れ流され直木賞(1)
1968年台湾生れ47歳 9歳の時に父親の仕事の関係で福岡県に移り住みました。
大学院在学中に小説を書きはじめ、2002年第1回「このミステリーが凄い」大賞の銀賞読者賞を受賞し、デビューしました。
2009年にはお金も、学歴も定職もない若者の行き場のない日常を描いた作品「路傍」で大藪晴彦賞を受賞。
今年の夏に第153回直木賞を受賞しました。
受賞作は「流」 1970年代から1980年代の台湾を舞台にした長編小説です。
戦時中、国民党側に付き台湾にのがれてきた東山さんの祖父や父がモデルになっています。
何者かに殺された祖父、その死の真相を追う主人公の成長と青春を描い作品です。
作品のテーマである流れ流されることについて伺いました。

台湾に行ったが、まだ台湾版は出ていないが、サイン会もさせてもらったし、結構いろんな方にお会いし、忙しかったです。
台湾の若い世代の方たちにもこんなことがあったのか知らなかったとご意見をいただきました。
インタビューで政治的な意図は無く純粋な青春小説として読んでほしいと再三強調しました。
ミステリーでもある。
祖父が亡くなった後に周りの人から聞いて、ドラマチックな人生だなと思い至り、祖父を主人公にした小説を書こうと思ったがまだかき切る力がないと思って、父親を主人公にこの小説を書きはじめました。
縦糸がミステリー、主人公の成長物語、ものもののエピソードを描きました。
年配の読者がかなり多い、一番に感じたのは懐かしさなのではないかと思います。
舞台をどこに設定しようと、空気、時代を書き切れたのであれば日本の読者が読んでも、ノスタルジーを感じて頂ける自信はあったが、自分が書き切れる自信は無かったです。
今回は特に楽しんで書けたと思います、自分が熱くなって書けたと思います。

祖父を書きたかったが、1930年代の中国大陸を舞台にした大長編になるのではないかと思っていたので、その出力は足りなかったと思う。
「ブラックライダー」を書く事によって家族の事を書く事が出来る自信になった。
家族の歴史をノンフィクションで書くと加害者の要素が強くなりすぎるからと思います。
小説とした書いた方がより良かったと思います。
祖父が10年以上前に亡くなり、祖父が若いころいろいろやってきたダイナミックな人生をして来たことを知るに従い、物語が少しずつ芽吹いて行ったと思います。
父親は自分で或る程度家族の歴史は調べていたが、山東省に祖父の兄弟分が生きている事を突きとめて、父は会いに行っていたが、6~7年前に父と一緒に行ってそのお年寄りから直接聞きました。
馬爺さん 物静かな人だった。
戦争中の血なまぐさい話等もいろいろ聞きました。
父が山東省に初めて行った時に祖父が村人を殺したという石碑が有るが、それを父は見ていますが、開発で取り壊されて今は無いです。

中国の馬爺さんを訪ねて腑に落ちたのは、戦争はイデオロギー的な切り口で語られることが多いが、馬爺さんはそんなことは一切言わずに、友達がこっちの味方だったから自分もこっちの味方だったなど、という話し方しかしなかったので、腑に落ちた。
祖父は社会を良くしようとか、革命を起こして自分の理念を実現しようというのではなくて、巻き込まれて行って自分の生きるための最良の選択をしただけなのではないかと思いました。
最良の選択で守りたかったのは家族だったと思います、
戦争というのは一人の力ではどうにもならず、大きな流れに押し流されてその中で自分に出来る最良の選択しかなかったので、祖父としてはささやかな日々の暮らしをしたかったのだと思います。
母方の祖父も軍人だったが、鉄砲の弾を受けて撃たれた跡があり、それを見るたびに凄いと思っていました。
戦争に行って家族を連れて中国大陸から台湾にのがれてきたので、凄いなあと思いました。
私は台湾で生まれて、日本で育ったので、アイデンティティーに揺らぎを感じることがよくありますが、40年以上日本に住んでいるが、家族次第です。
家族が台湾にいれば台湾でいいし、家族が日本にいれば僕のいる場所は日本でいいと思います。

漠然と概念として思っていたことを言葉にしたことで、家族を守っていくんだという覚悟が芽生えてきたと思います。
流されるということは良いも悪いもない、個人であらがってもどうしようもなく、その中で個人がなにができるかという事だと思います。
ままならないことがいっぱいあるが、大きな流れで普通に考えれば利口ではない選択肢も、彼にとってはそれは友情を大切にした結果であったり、愛情を大切にした結果であったり、そういう所を描く事によって祖父の事も間接的に描きたかった。
流れを全身全霊で受けとめるときもある、損得ではなく理性を越えた行動というか。

この本の主人公に関しては、流されながらも自分であがらって、自分の少しでもなりたい自分に成っていくという少年を描きたかった。
大切なものが十人十色で違うと思うが、守りたいものさえしっかり守る、大事なものさえしっかりしていれば多少のより道はいいと思っています。
流れが自分の大切なものさえ押し流そうとしたときには、そこは本当に死に物狂いであがらうべきだと思います。
踏みとどまるポイントはその人のキャラクターの性格、キャラクターの色という事になるのではないかと思います。
最終的な漂着地、皆が自分を曲げずに到着できる地点を一番最後の章で模索したつもりです。
主人公も犯人もお互いに容易に歩み寄らせたくなかった。
覚悟が定まるまで、流れにあがらう足がかりを主人公が得た瞬間、流れの中に自分が手を伸ばして掴んで、離してはいけないものを見つけた瞬間です。
主人公が少年時代と決別して大人になってゆく、というところです。
不自由になって何者かになってゆく。
少年時代と決別して大人になってゆく、という事は不自由になってゆくという事だと思います。