2012年12月8日土曜日

末永國紀(同志社大学教授69歳) ・今こそ「三方よし」の精神を 

末永國紀(同志社大学教授69歳)  今こそ「三方よし」の精神を
近江商人の研究の第一人者  近江商人という一地方の商人が全国に飛躍して、いまも続く
大企業になっている例も少なくありません
近江商人の商哲学として有名な言葉が「売り手よし 買い手よし 世間よし」の三方よしの精神です 
末永さんはいまこそ三方よしの精神が求められている
総合商社 、伊藤忠 丸紅  日本生命 滋賀銀行 ワコール 西川産業  日本酒、醤油等の
醸造企業が近江商人の流れを汲んでいる 理由は不明
中世になると比叡山の荘園が沢山有ったところで 座の商人が栄えたところ 
 
中世は誰でも商売が出来たわけではなくて、許可された者だけが商売が出来ていた
特権的な商人が座と呼ばれた  座商業がもっとも盛んだったのが近江です  
戦国時代になると楽市楽座が日本で最初に発布されたのが近江で其れを政策を踏襲したのが織田信長 安土城下で楽市楽座令を出した 
そういう歴史的な伝統がある 商業活動に対する地理的条件 重要な街道が通っている
 
東海道 中山道 北国街道 琵琶湖を通して日本海に繋がっている  交通の要衝であった 
商業に対してプラス社会的基盤が有った
成功した近江の商人が本宅をずーっと近江に住んでいた 
近江商人は基本的には農民だった 
本宅を立派にする 蔵、家を数寄屋風に作る 
そした事が若い青年に大きな刺激になった  商業をめざす青年を刺激した
商売が出て行った先で成功した  経営理念が良かった それが「三方よし」だと思う
世間よしを含んでいるのが良かった 商売と言うものは世間全体を得意先にして商売を行うもの
だと言う 社会性に気付いていたのが良かった

「売り手よし」 従業員満足の事を言っていると思う  働く人の環境が良い 
販売の現場であれば、お客様をいかに楽しく良い環境で物を買って貰うかとそういう風になってくる、  そういうことは非常に大事だと思う   
お客は良い売買の記憶があって もう一度あの店で と言う事になる(良い循環)
「買い手よし」 顧客満足に成ってくる    近江商人の商売は他国商いで有った 
知恵も血縁もなかった処で自分のマーケットを作り上げて行かないといけなかった
どうしても自分の都合自分の儲けだけを考えていては地盤は築いていけない  
自分の稼いだものを全部持ち帰れば、長くは続かない 存在自体が有りがたい
地域の為に役に立つ「世間よし」でないと続かないと思っていたわけです  

今にも通じるような理念を持つことが出来たのは彼らの商売の有り方が他国での商売であった事です  
三方よしの原点になったのは 1754年に書かれた書き置き(遺言)中村治兵衛宗岸と言う人が書いた
仏教的な表現だが これが明治になって要訳され 「他国に行商する時には我がことのみと
思わず、その国の人一切の人を大切にして、私利を貪る事なかれ」というようになった  
それが太平洋戦争後に小倉栄一郎と言う人によって 「売り手よし 買い手よし 世間よし」 
と言う風な言葉になった

近江商人の商売の仕方は 行商と言われるが 持ち下り商い  
京都、大阪の完成品を地方に持っていって売る  (繊維製品 漢方薬 小物 )地方の物産を
持ちかえる (生糸、ベニバナ 麻布の原料とか) 
持ってゆくものと持ちかえるものが対応している  完成品と原料  
出店が出来ると 諸国産物回しに発展する  現在の商社活動の先取りといっていい   
(有望だと思われるところに出店を複数置いた)

信頼できる商人であると言う事が必要だった 家業の永続が大切だと考えた 
もっとも大事なのが「世間よし」の考え方  経営、商いは商売は社会全体の幸せに
繋がってこそ成り立つと言う考え方  自分の地域への貢献として 隠徳善事 (社会貢献)   
自分達はよそ者だという意識が強かったので 地元の商人とは
違うと言う事を心得るようにと従業員に得々と諭した 
実際飢饉になると米を安く提供したり  橋、道路建設 治山治水にも寄附をしている
昭和10年ごろにも 丸紅 専務だった古川鉄次郎 が 自分の還暦の記念に豊郷小学校を土地
、建物を含め寄付した  設計したのがウィリアム・メレル・ヴォーリズ(アメリカの建築者) 
以前は皆が知っている事だったのが知られなくなる(豊里小学校が平成10年に取り壊しの問題が発生したが古川鉄次郎の事は一切記事に出無かった)

陽徳→陰徳になる   商いと言うものは自分の事だけを考えていてはいけない 
地域の人達に有用な存在であることが必要だった
世間を相手にして商売は初めて成り立つ という考え方 
小野善助 80歳になったときに遺言を残す  「人間は人の情けが判らなければ、どこにいても
住みにくい だから自分は随分と人情に絡むように気を配っている
常に相手の身に良かれと心がけ、自分のおごりの為には 一銭も使わず、無限に有る水と
言えども無駄にしないほどに始末(質素倹約する) 
26歳から北陸東海地方の行商に従事して、ついに南部(岩手)に開店することができた」

西川甚五郎の家訓では、「品質をよく吟味した商品をできるだけ薄い口銭で売ること」と指示している。口銭とは、単なる手数料というよりも
利益全体を薄利で我慢することを要求している
初代中井源左衛門  「金持ちになるには、酒宴 遊興 おごり を禁じ 長寿を心掛け 
始末第一に商売に励むしかない  
一国の長者になるためには、何代にも渡って善人が続く事はなくてはならない 
自分が亡くなった後に善人の子孫が続く為には、「陰徳善事しながら祈るしかない」と 言っている
塚本定右衛門  「金持ちになるための一番大事なことは 勤検(倹約しながら一生懸命に働く事)正直であること それ以外にない 
片時も忘れてはいけないのは一つある 得意先の儲けを考える事である  
お得意の儲けをはかる心こそわが身の富を致す道なり」  
よっぽどしっかりした理念が無いと出来ない  自分の利益を遠くに見据える

二代目中井源左衛門  薄利広商 薄い利益を積み重ねれば、重なって大きな利益になる
 「商いで一番大事なことは 人を欺くような商品を取り扱わない事で、地道な商売を行う事 
そして 家業の永続を図るべきである  商家の本意は信用を重んじて内外の好評を得る事にこそある 
悪徳の当主が出た場合は強制隠居にしていい」 と 家訓の中に書かれている
実際に行われている
家業の永続が大事  そのためには陰徳善事(社会貢献)をしながら、良い子孫が続くように祈る、不幸にも悪徳当主が出た場合は排除してもいい (強制隠居)
善悪両面に備えながら家業の永続にはかった

矢尾治兵衛の遺言  、「勤勉を守り、貧人を憐れみ、家人を愛し、有功を賞し、天命を恐れ、
諫を聞き、祖先の恩を忘れず、養生を勤めて
子孫血脈の長久を祈るべし。古語の福禄寿を守りて、万善足るべし」
家業永続を願う多くの近江商人が陰徳善事に努めた。
彼らが商いに優れていたからではなく、陰徳善事を厭わないように
自利を遠くに見据える理念の下で、活動したからこそ、商いに成功したのである
日本は100年以上続く企業は 5万社以上 200年以上続く企業は世界の44%を占めている  
そういう国は世界に他にはない
 
カナダに調査で行く  日系のカナダ移民が多いと言う事を知ったことがきっかけ
なぜ滋賀県からカナダ移民が多いのか  カナダの自然の豊かさの情報をもたらされた
出稼ぎでカナダに渡る 近代になってからの広域指向としてカナダ移民が出たのではないか
どうやって定着したのか興味が有った 
最初は明治中期以降  明治29年に琵琶湖が大水であふれた 沿岸の農家 仏壇まで浸かった 
打撃からの回復の復興に一挙に沢山の人達が移民したと言われる
移民に対して抵抗が無かった国境を越えることに抵抗が無かった
1993年から調査に行った  シルクライナー 絹を扱う商社が滋賀県の移民の人によって作られた 
それを中心に調べた 昭和のはじめから活動開始して太平洋戦争中も活動 戦後にカナダの中西部を中心に18の店舗を持つほどに成長する 
現地の人を雇って、現地の人に販売すると言う風に定着した会社が存在した
それはまさに近江商人の出店と良く似ている  よその国に入りこんでいる 

現在の課題 と関係する  経済のグローバル化は避けられない 
地球規模な今日の問題も沢山出来ている
解決の糸口として 現在ではCSRが言われている  企業の社会的責任   
現在のCSRは従来と違う  今までは結果としての責任をすればよかったが
これからの企業は、企業の存在 活動そのものが世の為 人の為 社会の為になるものでないといけない 
そうしないと先ほど言った問題は解決出来ない と言う事がある 
CSRと言うものは単に経済的な利益を実現するだけではなくて、社会的な価値を実現してゆく 
様な企業でないといけない 
  
存在そのものがその人々の為になると言う事が必要  他と競争しないような利益を得る事が
出来る 良い人材を集める事が出来る
企業が社会の中で活動できるんだと言う事  別に横文字である必要はない 
 三方よしは(CSRと) 底通する
近江商人の求めたものは やっぱり今でも企業経営に必要な根本的な問題を含んでいると思う  
むしろこれからもっと必要になるだろうと言う事です
企業の不祥事 増加している  企業経営の倫理観の欠如が問われている  三方よし
おごり 不正直(誤魔化す)が原因になっている 短期的な利益を求める  
自分一個の利益を求めやすい 
世の中あっての商売だと考えたら、そういうことはできないと思う 中々重い課題だと思う 
 「世間よし」を考えない企業には明日はないと思います