安積遊歩(あさかゆうほ作家56歳) 車椅子から見える人間社会
子供が15歳 宇宙(うみ)と言う名前 自分を慰めたいた夜空 宇宙の広さを感じた
子供が出来るのは諦めていた
女性は障害があったのでは選ばれないと思っていたので、選びいたいとの思いはあった
妊娠する前にもし子供が産まれたら、子供の名前はどうしようと思った時に、子供のころに見た夜空からの 宇宙の広さ 無限の広さを感じて 宇宙と言う名にした
妊娠を知ったときは感動と怖さで震えてしまった (39歳の時) 高齢出産だった
109cmと言うと小学校1,2年生 体重は27kgだった
どうやって子供が中に入るのだろうとは思った 世の中の反対をどうくぐるか
障害を持つ人が障害を生む可能性がある事を自覚した
母親は絶対100%子供を産むことは反対するだろうと思っていた
母親はその頃に亡くなったので反対の言葉は聞かずに済んだ
夫は15歳下で、子供を産むことに対しては反対しなかった
夫の親に対しては夫から電話したが、その後家族会議を開いた結果 夫の妹以外が全員反対だった
反対されたので親に対しては「お世話になりました」といって親と別れてきた
毎日の事でなければ、余裕があれば よりそいたいと 思うかもしれないが 家族と言うのは
社会の中で追いつめられる場所になる可能性がある
但し、旨く機能すれば、家族の中に賢く振る舞える人が1人でもいれば、絶対大丈夫だけれども、そうでないと傷つけることになる
社会からは私の場合はターゲットになってきた 2人(私と子供)を彼が支えると言う風にしか見られないので だから彼は耐えられないだろうし 彼に厳しい家事トレーニングだとかしてきたのだが、家に止まってくれた
出生前、診断で身体の悪い事は判った
医師は50%の確率と言っていたが、私は100%そうであると思っていた
私の人生の体験を子供に知らせる事が出来る(同病であるために)
妊娠した時には回りから「おめでとう」とは云われなかった
病院に行った時は「産むんでしょう おめでとう」と言われた 本当に嬉しかった
NHK特集番組で「共に生きる明日」で放送が有った 宇宙さんは15歳 骨がもろい
骨折を出来るだけ少なくしてあげたいと思っていたが、夫は子供が遊ぶことに
対して トランポリンとかさせてあげた、
それで骨折したりした(自分が抱っこしてやれば大丈夫だと思って)
カウンセリング 障害を持つ仲間とか障害を持っていないとかに関係なく 私は自分の人生を楽にしたなあと思って、いろいろ探してきた時に再評価カウンセリングに出会って 私は凄く納得した
泣いてもいいんだよと言うことを積極的に励ましてくれるカウンセラーで 対等に対応してくれる
感情に注目しながら、聞いてくれる 感情を 感性を黙らせたり 我慢させたりすることが多いが カウンセリングの時間だけはなにを言ってもいい時間を持つ事がある
カウンセリングの時間の中で 痛いのを痛いといっていい
面白くないときは面白くないといっていい 聞いて貰う環境がない それを聞いて貰う
過去、現在を含め喜怒哀楽を全部吐き出す リラックスして聴く
伝えていく側は泣いたり笑ったり出来るように 押さえないようにする
人間は感性と思考能力と行動と3つを使って生きていると思う
処が感性だけが余りにも押さえこまれているので思考がうまくいかない
人間は一人では生きられないのだから、一人で生きるなよ 一人で生きているならば
人間ではない
家族と言う単位で一つの孤立がある 子供に虐待 老人の虐待 地域社会との繋がりが無い 高度経済成長時代になってから、助け合わない社会に段々なってきている
人は助け合って人間になる
フィリピンでも助け合いの運動をしている 障害を持った貧しい人に対してスポンサーを見つけてお金を送っていた(6年前)
貧しい人達に対して、奨学金を贈った 中古の衣料を送ったりした
フィリピンに行って判ったのは豊かな国と言われるところが持ちすぎ
分かち合いの無い世界をどうしたらいいのか
どういう風に手伝いたい 繋がりたい 助けたい 助かりたい 前より良くなってきたと思いたいとにかく強欲さ加減をどうやって歯止めをかけ、分かち合いに移行できるかと言う事ですよね 私の出来るところで 人と仲良くしながら自分の命を大事にして、楽しく生きて行かないと、
子供達が見てますから