2012年12月12日水曜日

小島路生(地域おこし協力隊)   ・国際貢献を地域おこしに生かす

小島路生(地域おこし協力隊37歳)  国際貢献を地域おこしに生かす
2009年立山町が募集した地域おこし協力隊隊員に応募して、翌年の春から働きはじめました 
地域おこし協力隊員は総務省が2009年度から導入した  
人口減少や高齢化が著しい自治体が地域に暮らしながら農林水産業の応援や住民の生活支援等地域の力を維持するために 様々な協力活動をする人を採用して任期は最大で3年に成っている  
初年度2010年は2県88市町村で257人が地域おこし協力隊員に成っています
小島さんは協力隊員になるまえには、中南米やアジアの発展途上国で10年間ユニセフやユネスコなどで国際協力の仕事に携わってきました
今年1月、週刊誌の企画 「日本を立て直す100人」でその一人に選ばれています
立山町は自然豊かな農村地帯で400年の歴史を持つ越中瀬戸焼の陶芸の里もここに有ります 海外から日本に活動の場を移した思いなどを伺います  

地域おこしのアプローチ 人と人を繋げて行く事  人の集う場を作ること を活動してきました
①農業分野 いろんな人に集まって貰って田んぼで無農薬で根を作って貰う、とか畑を作ること ②自然分野 立山の美しい風景を鑑賞する 
皆で楽しむようなプログラムを立ててツアーを企画したりしている  
③アート 音楽分野  越中瀬戸焼 芸術が生まれる街 陶芸家と一緒に協力して工芸展を開催し たりお茶会を開催すること、陶農館を利用して音楽コンサートを主催すること  
④地域作り  独居の高齢者の方の見守り活動 子供のパトロール活動などをしている

10年間発展途上国の支援をしてきたが、日本に何もしてこなかったのではないかと思って、
地域協力隊と言う制度を知って応募しました  
青年海外協力隊、ガテマラ、インドネシア  識字率の向上 就学率の向上に努めました
大学の時に阪神淡路大震災でのボランティア活動に参加 フィリピンに大学のプログラムに
参加 今まで知らなかったアジア、フィリピンの貧困の問題に直面して
何か自分で出来ないかと思ったのが海外協力隊へのきっかけです
法学部だったので海外支援は難しいと思ったので 海外で発展途上国の教育問題を勉強する
大学院が有ったのでそちらの方に行きました
アメリカ カリフォルニア  スタンフォード大学で専攻して終了しました  
先ずはインドネシアのユネスコで半年間 インターンとしてただ働きをしました
その後青年海外協力隊に応募してガテマラに決まった   試練としては? 好奇心が強い人間なので  言葉、文化食べ物の違いはあるが 
楽しんでいた部分があるので試練とは感じなかった

衝突は結構あったが文化の違い等を考えると 納得するところも有り 歩み寄ってゆくと相手も
歩み寄ってきて呉れて お互いに徐々距離を縮めてやっていけるようになった
ガテマラ  日本でいう県の教育委員会の様な組織に入って 田舎の方の小学校を廻って、
女子教育の研修 算数の教員研修 図書館を作るプロジェクト等をやっていた
中米 4年間ホンジュラスに赴任  シャーガス病 風土病の対策プロジェクトのリーダーをやった  
人間の血を吸って媒介する病気  吸血性カメムシの駆除 
病気の怖さをどのように知って貰うかを活動した  
まだそのプロジェクトは続いている    抵抗は最初かなりあった 
一番感じたのは、人間て根本は一緒なんだと思った  
喜ぶ時は喜ぶし 悲しい時は悲しむし、 楽しい時は楽しむし   
根本の人間の姿はどこに行っても同じだと思った 
 
宗教 文化 食べ物 表面上は違いますが、人間と言う姿には共通性を感じました
イドネシア  ユニセフのスタッフだったので、子供の支援が中心 教育セクションにいたので
、へき地の子供の支援 学校にいけない子供の支援 就学前の子供の支援
震災支援の担当でもあった 2009年に西スマトラ地震が有ったときに 3000人が亡くなったが
、震災が起きて3日後に行って来いと言われて、学校再開の為の支援にあたっていた     
地震に対する思い  入るきっかけが阪神淡路大震災だったので 東日本大震災 も経験して 何とかできることをここからでも出来る事をやって行こうと続けています
立山町とは縁もゆかりもなかったが、インドネシアにいる時に直観的にここかもなと思った
(ホームページを見て)

雪の多い時に来たが、この風景に魅了された
高齢化率34%  最初よそ者としてこちらに来たが、よそ者のだから出来る事があるのではないかと思った  なにか種まきが出来るのではないかと思った
最初一軒一軒回って 知って貰う事から始めて、地域のイベントの祭 いろいろな機会に
ださして貰って、知って貰った
土が豊かな場所 陶器 美味しい米  富山湾 と立山連峰の両方が見えるので  
人を繋げる様な拠点に出来ないかなと思った
陶農館 を拠点としてさまざまなイベントをやって いろんな人に集うきっかけを作っています
コンサート 震災支援のチャリティーコンサート  11回行う  陶芸の展示会  お茶会等をやっている 田んぼだったところを借りて、ひまわりの迷路を作って1000人ぐらいの人達が来た   
コンサートは最初アマチュア ピアノコンサート  南米のフォルクオーレ民族音楽 地元出身の声楽の人に出て貰ったりしている
地元にはちらしだとか 繋がりが生れたのでそういう方を通して口づてで伝えて貰ったりする   入場料は1000円程度
コンサートの後にバザーを行う  コンサートにはあまり多くは来ないのでバザーで野菜を売って貰ったりして繋がりを広めて貰っている

高齢者の見守り活動 高齢者と若者とが、感じあってくれるような活動をしていきたい   
話し相手になって貰う
高齢者の健康作り  ノルディックウオーキング  ノルディックスキーの夏のトレーニング用 2本のストキングを
使って歩く  参加者 数名~20名
最初余り歩けないような人が今では40分位歩けるようになった人がいる  
冬は公民館の1室で歩いている
皆の畑  野菜とかを皆で作って 農薬を使わず有機でやっている  
去年はみんなの田んぼで米を作った
私のアプローチはどこへ行っても人と人を繋がって何か動きを創り出すと言う事なので 
外国でも立山でも同じだと思っていて経験が役に立った
越中瀬戸焼き 陶芸家 5名いるがお互いが交流はなかった 
 
私が来ていろいろなことをやっているうちに 陶芸家の皆さんも今年初めて かなくれ会を作って 初めて一緒にやられた  私もサポートさせて貰った  1週間で700~800人来た  
お茶会も180名ぐらい来た  感無量だった  
2年半になる 今年の週刊誌で日本を立て直す 100人に選ばれる   
予想していたよりも大変だったかもしれない いろんな事が有った 辛いこと 苦しい事が有った 泣いたときも有る だがそれ以上にいろいろな人との素敵な出会い
とかいろんな人に支えられて、私が支援したと言うよりは私が支えられた事が多かったと言うのが2年半でした

色んな繋がりの人が訪ねて来て、一緒に何かやりましょうと言う人が凄く増えてきて、
地域起し人としては何とかいうか、こたえられないほど嬉しい事
私がまいた種が ちょっと芽を出しかけたと 言う風に思う事を感じましたし、
一緒に育てていけたらなあと思っています
3年契約後は、まだ具体的には決まっていないが、立山との繋がりはずっと続けて行きたい
地域おこしもやりたいし、海外支援もやりたいし 災害支援もやりたいし、 どうしましょうと言う
感じだが 出来る事を模索して少しずつ形にして頑張っているところです
継続することは難しいが、いろんな人が繋がって いろんな人が参加してくれた事によって 
継続する仕組みが出来てきたんじゃないかと思っている

今後多くの人が係わって ひとりでも多くの人が地域おこしをやって行こうと増えてくることで継続性を作っていきたいと思っている
地域協力隊は400名を越えているんじゃないか思うので 日本全国で隊員が種を蒔いている
と思う そういう人達が更に繋がって行って さらなる動きが地方、田舎から日本を少しずつ変えてゆくと言う波紋が広がってきているんじゃないかと感じている