リチャード・フレイビン(和紙アーティスト)・漉き舟がわたしのカンバス
1943年アメリカ、ボストン生まれ 73歳。
美術大学を卒業し、広告代理店で仕事をしながらボストン美術館に通い、浮世絵、水墨画、日本画など日本美術に魅かれ、25歳で来日しました。
以来48年日本に在住し、和紙をすいてアート作品を製作しています。
作品はふすまや屏風、和紙のインテリア、壁紙、かみこなど多彩です。
こうぞの素材の魅力を巧みに生かしています。
来日して2年間、東京芸術大学で学び、その後日本各地にある和紙の産地を訪ね歩き、埼玉県小川町で手すき和紙の技術を身に付け、小川町を拠点にアート活動を続けています。
日本に長年伝えられてきた手すき和紙の技をこれからもしっかりひき継いで行きたいということです。
紙を薄い藍色に染めるが、染め方がいろいろある。
刷毛染め、スプレイに入れて染める、その後乾燥させる。
これは千切って張って、壁紙にします。
漉き舟は畳1畳ぐらいあります。
けたにすだれを敷いて、濡らして紙すきが始まります。
からまりがいい、こうぞの繊維が長い、薄くてもできあがった紙はとても丈夫です。
紙すきは重労働です。
特に展示会などがある前には漉き舟の前に立ちます。
もみじの葉を漉き込むときは位置など色々考えます。
紙を作る技術を覚えれば自分の作る作品の発想が変わる。
現在は二つ目のアトリエ、最初は慈恩寺があり、そこに蔵がありお布施によりそこで暮らして、工房がほしかったが、それは簡単に建物は立てられなくて、京都の本山と話し合い、座禅堂という名目でアトリエを作ってもいいと云うことになり(紙を作ることも禅の一つと云うことで)そこで紙すきが出来ましたが、2005年に大火事に会って消失してしまいました。
縁がありこちらの生越の方に来ました。
入ってきた正面に4枚のふすまの作品があります。
上の方はごつごつした岩があり、下は青い水が流れている図になっています。
作品はほかに写真に撮ってありまして、和紙の中にかえで、花などを配置したりしています。
書を書いて漉き込んだり、古い紙を生かして入れる。
漉き込むことと染めることで色々な和紙の作品を作り上げます。
普通の紙を触ってみると味がないが、和紙の魅力は、和紙を触ってみると、音を感じたり、丈夫でもある。
これは杉の皮、こうぞの黒い皮をアクセントのために入れています。
繊維が長いからにじみが多い、綺麗に滲みます。
かみこ、着物の羽織、帯を作りました。
ボストン美術学校にいたときに、ボストン美術館があり東洋のコレクションが沢山あって、浮世絵、水墨画などがあり日本文化が好きでした。
浮世絵はできないが、ぼかしたやりかた、抽象的な作品に浮世絵を取り入れたいと思いました。
25歳の時に、日本に行きたいと思い両親に話ました。
東京芸術大学に入って、木版教室に入りました。(2年間勉強)
和紙に魅力を感じて全国を回りました。(金沢、美濃、高知など)
紙すきは家族、地元の人だったら入りやすいが、地元の人は入りたがらない。
体験センターがあり、いろんな先生がいて、1年間紙すきのやり方を覚えました。
小川町でスタートしました。
小川町は和紙の産地として有名で昔はこうぞなど原料もたくさん作っていたが、最近は無くなってしまって、対策としてこうぞの苗を栃木県から買ってきて、こうぞの畑が増えました。(その声かけ運動をしました)
25年前は100本植えて、いまは600本になりました。
小川町にこうぞをよみがえらせる事が出来ました。
里山クラブのメンバーで畑を管理しています。
会長は学校の先生で若い人も入っていて自然保護したいと、さまざまな活動していて、そのひとつがこうぞの栽培ということになります。
和紙の保存、和紙の展示会も増えて和紙を理解してくれる人は多くなったと感じています。
現在東京の西荻窪に住んでいてギャラリーがあり、ワークショップもやっています。
和紙の魅力が段々理解する人が多くなってきました。
来日して50年を越えていて、ダイニング以外は坐る生活をしています。
夕食はご飯を食べます。(毎日和食です。)
楽しめればいい、アートの場合は、発想を色々変えて自分の作品に満足すれば金よりも宝物だと思います。
2週間前に宇都宮で二人展を妻と一緒にやりました。
和紙を沢山使って家の壁を和紙で飾る事を考えています。
和紙の作りは1300年の歴史があり、この時代で無くなったら日本人の大きな責任になると思うので、あと1000年続ければ和紙の良さは世界中で判るので、和紙を大事に守りたい。
(リチャード・フレイビンさんは2020年5月に亡くなられました。)