2017年8月12日土曜日

河原忍(兵庫県警察歯科医会 監事)・父を奪った日航機事故が出発点

河原忍(兵庫県警察歯科医会 監事)・父を奪った日航機事故が出発点 
32年前 昭和60年8月12日、羽田発大阪行きの日本航空123便のジャンボジェット機が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落、乗客乗員524人の内520の方が亡くなる大惨事になりました。(日本航空123便墜落事故
兵庫県豊岡市の歯科医河原さん(68歳)はこの事故で父親を亡くしました。
現場近くに駆け付けた河原さんは地元の群馬県の歯科医師とともに、検死場に入り歯型の照合で遭難した人たちの身元の特定に当たりました。
その後地元の兵庫県で警察に協力する警察歯科医会の結成を呼びかけ、阪神淡路大震災の被災地などで活動してきました。
父親と共に歯科医院を開業していた河原さんはあの日の夜、兵庫県歯科医師会の幹部だった父の出張先の東京から帰ってくるのを待っていました。
NHKが7時のニュースの最後で羽田発大阪行きの日本航空機が消息不明になったことを伝えたのは午後7時26分ごろでした。

当時36歳で家族と共に日本海の漁火をみに行こうとホテルに入った時に、大変な事故があったみたいですとの話を聞き、自宅に帰って来ました。
母親がTVにかじりついていて、歯科医師会の会長と専務が飛行機事故に会ったみたいだと言いました。(父親と一緒に出張していました。)
父親はANAのチケットを取っていたので、一瞬ホッとしたような感じになりました。
歯科医師会の方から歯科医師会の会長と専務が飛行機事故に会ったので、歯科医師会の方に直ぐ戻ってきてほしいとの電話がありました。
TVで父親の名前が出てきて吃驚しました。
タクシーで急いで神戸の歯科医師会に行きました。(3時間ぐらいかかり12時前到着)
特別便で羽田に行き、そのままバスで群馬に行きました。(10台以上のバスが向かう)
何も決まっていなくてようやく小学校とかの体育館に入る様に言われて暑い中パイプ椅子だけがあり、情報をじーっと待つだけでした。
上野村の山中に墜落した事が判って麓の藤岡の町に向かったわけです。

遺体安置所は藤岡の市民体育館でした。(棺を置く場所もなかった)
ばらばらになった遺体ばかりでした。
DNAの鑑定もできない時代で、在宅指紋の照合をしようとするが、まともに指紋の取れない状態で役に立たなかったりで、歯型の情報が必要だろうということで、警察署から歯医者を探して、歯型の資料を探して調べました。
524名が搭乗していて、520名が亡くなり、歯型身元確認者は45.4%と云うことになっています。
群馬県の歯科医師会では、日本で一番早く医科と歯科が一緒になって、警察医会が組織としてあり非常にスムースに御遺体の確認が出来ました。
群馬県では連続殺人死体遺棄事件とか、連合赤軍の事件などがあり、検死に対する認識があったのでいち早く組織が出来ました。

群馬県の歯科医師会の会長などから、手が足りないということで一緒に検死所に入りませんかといわれて、検死所に赴きました。
体育館には空調もなく42,3度になっていたと思います。
御遺体の悲惨な形を見ると、絶対父は助かっていないと覚悟決めていたので、お手伝いをしなければいけないということで、検死の手伝いを何週間もやりました。
腕にミッキーマウスの人形を抱えた子供さんの遺体を見た時には、嗚咽と云うか、ワーと・・・(話が途切れる)
自分が歯科医師であるということと、みなさんの御遺体を早く見つけたいと、使命感が一番生まれた時でもありました。
父は当時64歳でした。
父は戦時中、中国に軍医として転々としました。
父はラグビーをやっていたし、頑強な体だったが、現場の状態を見たらいくら元気な父親でも駄目だと打ち砕かれました。

母親も来て、「あそこにお父さんの靴がある」と云った、特殊な靴だった。(片方)
それから何週も遺留品を掻き分けて、ついに両方見つかりました。
8月25日に葬儀を済まそうとしている最中に、群馬県から御遺体の一部が見つかりましたとの連絡がはいり、3時過ぎに葬儀が終わって、大阪から急遽新幹線で群馬に向かいました。
指紋で左の腕の部分であることが判りました。
東京歯科大学の鈴木和夫教授が見てほしいものがあると言ってきた、確か白髪交じりでウエーブが掛かっていなかったかといわれて、お父さんに近い年代のかたの頭皮があり、髪も綺麗にしてあり元に近いようにしてあるということで、母親と弟と3人で見に行きました。
棺を開けて頭皮を見た瞬間にみんなが「親爺だ」と云いました。
毛髪鑑定をしようと云うことで鑑定依頼して、間違いなかった。
歯科医でありながら、歯型で親を見つけられなかったのが、一番つらかったところですね。

DNAはこの数年で精度が随分上がって来ましたが、高温度の焼死、長年海中に沈んでいて白骨化した遺体などはDNAの判定のしづらい御遺体はあります。
歯からは年齢の推定、性別の判定もできるし、1本あれば歯から得られる情報はいっぱいあります。
硬組織(爪、髪、骨など)の中では歯が一番硬くて残ります。
同じ形をした歯はないです。
残存歯、喪失歯の組み合わせも千差万別で43億通りあります。
32本の歯のそれぞれの状況を考え併せると10×16乗あります。
日本人の98%は歯科受診歴があるので、情報が得やすい。
スポーツをやった方は絶えず噛みしめていますからすり減ってしまうのでスポーツをやっていた方かなと推測できます。
楽器をやった方はリードをくわえる特徴的な歯の湾曲が生まれてきたりしますし、、美容師はピンをくわえるので糸切り歯が特徴的にすり減りいろいろ判別もできます。

兵庫県にも群馬県のような組織を作ってほしいと要望して、翌年6月には全国で2番目に立ちあげることが出来ました。
その10年後、阪神淡路大震災の時に捜査一課から電話があり、歯科医の先生を集めてほしいということで、そのまま神戸に27日間寝泊まりしていました。
長田で火災があり、焼死体があり、歯からしかわからない御遺体がどんどん増えて来ました。
6千数百名が亡くなりましたが、最終的には70体の検体をしました。
独居老人の死亡、閉鎖されたマンションでは発見が遅れてしまい白骨体になってしまう。
事件とか払拭するために身元の特定ができないといけない。
身元の特定率を上げてゆくためにはどうしたらいいか、もっとデータベースに各医療機関が残して、もっと確認、発見しやすくなるように情報をストックしていかなければならないと思います。
名前、住所など個人情報の取り扱いを慎重にしないことにはなかなか先には進めないので、日本歯科医師会も取り組んでいるのでそのうちにできると思います。
47都道府県全てに警察歯科医師会が出来上がって、臨床以外でも貢献できるようになりました。
兵庫県では昭和61年に発足し、当時は年間15~6遺体だったのが、その後毎年100件近い要請があります。
家族のもとに一日も早く帰してあげたい、その使命感でやっています。