小沢信男(作家) ・【ぼくの“東京今昔物語”】アンコール
*「明日への言葉」が今日で累積投稿数 2000回を迎える事になりました。
最初の投稿が2011年2月22日で、奇しくも東日本大震災が発生した3月11日の21日程前のことでした。
その後、2014年10月23日から頸椎を痛めてしまい、左腕が痛くて投稿を中止して、もしかしたらこれで投稿を終了するようかとも思いましたが、その後大分回復したため、改めて続けることが出来ました。
但し、現在でもその後遺症が若干残っており、左の親指と人差し指に若干しびれがありますが、キーボードを叩くにはほぼ影響がありません。
これまで、高校時代からの友人、Mさんからは何時も励ましの言葉をいただきました。
又Kさんには或る時期から、私の誤字、脱字に見かねて、指摘して頂きまして(校正)、読み易い文章にすることが出来ました。
時々一緒に飲む仲間のHさんからも励ましの言葉をいただきました。
改めてこの方々にこの場を借りて御礼申し上げます。
風邪をひいたり、二日酔いになった時も何とか続けてこられました、しかしこれからどの位続けられるか判りませんが、一歩一歩進んでいきたいと思います。
累積投稿数 2000回記念と云うことで、これにかこつけて飲み仲間4人で飲み会を行う予定です。
トラブルにより録音できませんでしたが、改めてパソコンの「聞き逃し」で対応します。
1927年生まれ、90歳
小説、詩、俳句、評論、エッセー、ルポルタージュ等多くのジャンルを行き来しながら60年以上に渡って執筆活動を続けて来ました。
代表作「犯罪紳士録」、東京の各地を歩いて書き上げた『東京骨灰紀行』,『裸の大将一代記 山下清の見た夢』などがあります。
新しい処、商店街などを歩くのが好きです。
今は元気ですが、若い時は病気(結核)をしました。
若い時から詩を書いていました。
50歳代から俳句をやりだしました。
垣根をまたいで行くのが好きです。
小学校2年生の時に綴り方をまとめるようにと、先生から言われました。
花電車 (2年生の1学期)
「この間、家の人と花電車を見にゆきましたが、 人が大勢いるので一番前で見ていると、お父さんが一番後の方が見えると言うので、後ろの方に行ったが良く見えないので、僕良く見えないと言ったら、お父さんは僕をおんぶしてくれました。
良く見えました。
花電車を数えてみたら、10台ありました。
そのうち一番綺麗なのは一番うしろでした。
孔雀が羽根を広げているところでした。
帰りに花電社の絵葉書や満州国の皇帝陛下の絵葉書を買って帰りました。」
花電車が出るときはみんな見物に行きました。
色んな絵葉書があり、集めている人もいました。
父は銀座でハイヤー業をやっていました。
アメリカの中古車で6~8人乗っていました。
銀座西8丁目地図
蕎麦屋、民芸品店、魚屋、風呂屋、芸者置き場などがありました。
このへんが新橋芸者の本拠です。
芸者が風呂屋に来るが、母親に連れられて小学校3年生ぐらいまで女風呂に入っていました。
芸者さんは人力車で来ていたので、人力車を見ると芸者が来ているかどうか判りました。
谷中銀座みたいに銀座もごちゃごちゃしていました。
戦争は時期に終わると思っていました。
支那事変がはじまって南京が陥落して、もうおしまいだと思っていた。
旗行列、提灯行列が何日も続いた。
ところがちっとも終わらない、ガソリンが入らなくなり商売ができなくなり、米が配給制になりひどい世の中になっていった。
日本は経済封鎖されて(今北朝鮮に対して行っているが危ない)今のうちに戦争をしないとガソリンが入らないということで、真珠湾攻撃をすることになる。
空襲は無茶苦茶だった。
8月15日戦争が終わって、戦争に負けるのは良かったですよ。
宮城前の二重橋でみんなが土下座をしているということで見に行ったら、有楽町で証拠書類を皆焼いていました。
占領軍が来たら、女性陣を揃えるとか、大人はしょうがない奴だと段々見えてくる。
権力が変わるということは面白いですよ。
銀座で商売できないから世田谷に引っ越して、渋谷によく遊びに行きました。
結核になり何年もぶらぶらしていました。
日大芸術学部に入り(池袋)、一つ一つ街を体験してそのことが面白かった。
東京は面白い、現在と歴史が重なっている。
総じて言うと世の中がつまらなくなる一方で、人類は滅びる方向に向かっているんだろうと、大まかに見るとそう思います。
お茶の水の本屋街だったところが、楽器街になって行ってあれは今の若者たちは楽器で表現するというふうになってきているんだと思う。
それぞれの分野が、実を言うと、文壇、俳壇、歌壇とか○壇があって階級社会ですね。
保守的ですね。
私はそういうことにとらわれることはありません、ジャンルをまたいでゆく楽しさです。
割と喜怒哀楽があるが、それが長生きの秘訣かもしれません。
2020年東京オリンピックがありますが、オリンピックはあっという間に終わります。
大工事をしてゼネコンが儲かる、それだけの話ですよ。
前回のオリンピックでは都市改造がありプラスの面がありましたが、マイナスもありました。
東京は江戸と云う街を薩長土肥に占領された非占領都市であって、薩長土肥が占領者、いまだに占領されている。
占領者が勝手気ままにいじくりまわしている。
近代が行き詰っているというのは、世界の常識じゃないですかね。
近代をどう乗り越えて行くかと云うことが、人類に課された課題だと思います。
そういう意味では私は絶望はしていません、若い人たちを頼もしく思います。
グローバルがやってきているのに、支配階級は国民に向けて教育勅語など冗談ではない。
我々も国境を越えればいい。
民衆次元で国境を越えて行く、近代の限界を越えて行く。
私の元気の秘訣は好奇心だろうね。
友人が大事ですよ、女の友達も大事ですよ。