2017年8月5日土曜日

岸博実(日本盲教育史研究会事務局長) ・視覚障害者と戦争

岸博実(日本盲教育史研究会事務局長) ・視覚障害者と戦争
戦争中視覚障害者はどういう状況に置かれていたのでしょうか?
資料が乏しい中 30年以上資料を集め体験者の聞き取りを行うなど、ライフワークとして調査研究しているのが、日本盲教育史研究会事務局長で京都府立盲学校非常勤講師の岸博実さん68歳です。
戦後72年、戦争中に視覚障害者が直面した悲惨な状況と戦争のむごさを後世に残していこうと活動している岸さんに伺いました。

日本盲教育史研究会は全国の盲学校の現職、あるいはOBの教員、大学の先生だった人、若い学生さんを含めて有志が集まっている研究会です。
盲教育に関する資料が散逸して行く状況を心配して保存のことなどを考えたい、歴史そのものをしっかり調べて論文などにまとめて学びあって行きたい、今後に生かせるものはなにかということを探って行きたいと云う団体で、5年経とうとしていて全国で会員が190人います。
京都府立盲学校に勤めはじめて間もなく創立100周年記念の300ページを超える本を作られて、戦時中のことが10数ページしかなくて、これでいいのかなあと考えたのが最初のきっかけです。
調べて、①障害のある子たちが差別を受けた側面、②盲学校、見えない子供たちが空襲で被害を受けた側面でした。
その後③見えない子供達なども戦争の体制に組み込まれて、参加した事も判ってきて驚きでした。

明治時代に富国強兵政策が設けられ、徴兵制度が敷かれ、体に障害のある人たちが合格できない、国の役に立たない存在と見られがちになって行った、心ない言葉を浴びせられる。
空襲をうけると、どちらに逃げると安全なのか、そういう情報が入って来にくいことになるので逃げまどうと云う風になりやすかったと聞いています。
逃げるときに悲惨な状況にあったと云うことが書かれていました。
障害のある子たちは戦力にならないので後回しにされた。(学童疎開等)
疎開先も行った先が危ないところだったりしました。
盲学校そのものが空襲に会い、学び場が失われたと云うことも沢山報告があります。
沖縄の場合は本当に激しい空襲があり、その中で見えない人たちも逃げ回らねければならなかった。

盲教育、ろう教育の義務化は明治39年から国に要望していたが、国家余算の使い方が軍備の方に偏っていったので、義務教育の実施が遅れた。
見えなくても戦争への参加の仕方があると云うヒント、呼び掛けを色んな形で与えられると、取り組んでみたいというきもちに駆られていったということは判るような気がする。
昭和15年奈良の橿原で全国盲人大会が行われて、決議として全国の盲人の募金を集めることによって海軍にゼロ戦をプレゼントしようと云う取り組みがあり、それには日本盲人号と云う名前が付いている。
お披露目の式には大阪の歌舞伎座で行ったことを示す絵葉書、案内の文書が残っています。
盲人防空監視哨員、見えない人が耳で敵機が近づくのをいち早く察知する、そのことを求められる役割だった。(主に夜だったそうです。)
石川県で盲人を集めて実験して、多少早く聞きわけたと云うことで募集をして10人選び出して配置したそうです。(どれだけ役に立ったのかは微妙とのこと。)

盲学校で良く行われたのは鍼灸で、工場で疲れた人の回復、戦場で失明した軍人たちの治療などにも、間接的に国の役に立とうと云うことが多くありました。
海軍技療手、健常のマッサージ師、弱視の人を全国から募集して、選抜をして技療手として養成して、国内の基地に配置、南方の基地などへ配置して疲れた兵士の疲労回復、けがをした人の治療などに従事させようとしたようです。
軍に属して南方に行き、戦艦に乗り組んで魚雷により沈没して戦死した人もいるそうです。
盲学校の生徒たちへの教育、昭和18、19年に満州建国大学の教授を招いて京都府立盲学校で講演、その3回目に「見えないあなた方は敵に体当たりして散って行く若い人たちに比べて役にたたない存在だと行って、そんな諸君でもできることがある、自分の事は自分ですることにより親への負担を掛けるのをへらす、そうすることで国の役に立っていける、
国のためになると云うことを考えて取り組まなくてはいけない」、そういう講演がありました。

「盲人でさえもこの様に頑張っている・・・」と云うような記事がよく掲載されていた。
国民の士気を高める材料として、盲人の頑張りが扱われていた。
厭戦の言葉を発した盲学校の生徒がいたことも文献から知り始めているところです。
小野兼次郎がエスペラントを学ぶ中で、日本の軍備増強、対外的な争いを求めて行くような動きは反対だと云うことで、ビラまきに参加して治安維持法に引っ掛かって逮捕されたという例もあります。
失明軍人へのリハリビは新職業の開拓という側面を持って展開されました。
それも戦争初期ことで戦争末期には扱いは段々ぞんざいになって行った。
戦争と云うものは最も大量に障害者を作る、命を奪うので、戦争は起こすべきではない、起こしてはならないものと思います。
戦争と障害と云うことについて過去の例から学ぶ必要があると強く思っています。
若い世代に伝えていきたいがそこがカギだと思います。
文字、映像、資料にして次の世代に見聞きして頂ける条件を作っていきたいと思います。