頭木弘樹(文学紹介者) ・シェークスピア【絶望名言】
「後で1週間嘆くことになるとわかっていて、誰が1分間の快楽を求めるだろうか。
これから先の人生の喜びの全てと引き換えに、今欲しいものを手に入れる人がいるだろうか。
甘いブドウ一粒の為にブドウの木を切り倒してしまう人がいるだろうか」シェークスピア
代表作は4代悲劇、「ハムレット」、「オセロ」、「リア王」、「マクベス」のほか「ロミオとジュリエット」、「ベニスの商人」など多くの作品に渡ります。
「甘いブドウ一粒の為にブドウの木を切り倒してしまう人がいるだろうか」
後になったら後悔するに決まっているわけだが、でもやってしまう。
痩せたいと思っているのに目の前のおいしそうなケーキを食べてしまう、等々。
人間の弱さを見事に表している。
今は社会一般の風潮として自分をコントロール出来た方がいいと思っている人が多いと思う、健康管理、体重管理、感情管理・・・。
病院に入院しているときに50歳代の人が入院していて、血液がサラサラになってはいけないという人で、納豆を食べると血液がサラサラになってしまうので、納豆を食べないようにと云う風に言われていたが、或る晩血が流れて来ていて、夜中に処置して命は大丈夫だったが、あなたは納豆を食べたでしょうということで、その方は大出血をするのがわかっていて、その人は納豆を食べてしまった。
逆にきちんとコントロールできる人には、判らないこと、出来ないことがあると思う。
人間はここまで逸脱してしまうということがわかっているからこそ、人を使えるということもありうる。
一概にコントロールできているからいいとはいえない、出来てないからこそ判ることもある、出来ることもあるという面もあると思います。
ハムレット
「不幸は一人ではやってこない、群れをなしてやって来る。」
右手でグラス、左手でお皿を持っているとして、うっかり右手のグラスを落として割ってしまうと、あわてて左手のお皿を割ってしまうということは、ありがちです。
不幸、失敗があったときは更にそれが次を呼び込んでしまうかもしれないということは、気持ちの中に持っていたほうがいいと思う。
一病息災と云うが、一病あると合併症、副作用、そこをかばうあまり他に問題が起きたりする。
次の不幸を呼び込まないようにする。
リア王
「どん底まで落ちたと言えるうちは、まだ本当にどん底ではない。」
私は20歳で病気になった時はどん底だと思っていたが、まだまだ底があった。
生きているうちはまだ本当のどん底ではないのかなとも思います。
息しているだけでも、本当のどん底ではないかもしれない。
恐れ、は大事だと思う。
人生を恐れないからいい加減に生きてしまう。
宮古島で物凄い台風が来た時には、どうしようもなくて、ただ祈るしかない、何に祈っているわけでもないがただ祈る、そう言う境地も大事なのではないかと思うようになりました。
宗教心とも違ってどうしようもない状況に恐れを感じて、ただ恐れて祈る、そういう境地もあった方がいいような気がします。
*「わが涙よあふれよ」 ジョン・ダウランド作曲 演奏
「明けない夜もある。」
「明けない夜は無い」と云う言い方があるがこれは一般的、マクベスに出てくる言葉。
嘆き始めたばっかりなのに、「明けない夜は無い」はちょっと早くはないですか。
「明けない夜は長い」と云う意味でもあるわけで、泣きだしたばっかりの人に涙はいずれ乾くよといきなり云うのはおかしいと思う。
覚悟を促す言葉ではないかと思って、「朝が来なければ、夜は永遠に続くからな」と松岡さんは訳した。
私としては更に「明けない夜もある。」と訳したい、そう思うぐらいです。
「明けない夜は無い」と云う言い方は自然現象のように時間が経てば自然に消えてゆくと思われるが、心の闇はそうはいかないと思う。
時間とともに癒されない悲しさもあると思う。
そういったことを知っておくことも必要だと思います。
お気に召すまま
「逆境がもたらしてくれるものは素晴らしい、それはヒキガエルの様に見苦しく、毒があるが、頭の中に貴重な宝石が隠れている。」
ヒキガエルは身体の表面に毒を分泌している。
頭の中に貴重な宝石が隠れている。 当時宝石でトード(toad=蛙)ストーンと云うのがあってヒキガエル石、指輪に使われていたが、魔よけ、毒消しとかに効果がありといわれていた。
トードストーンはヒキガエルの胎内に発生するものだといわれていて、頭の中に出来たトードストーンは貴重だといわれていた。
トードストーンは本当は魚の化石らしい。
逆境の中で素晴らしいものを見つけることは、ヒキガエルの頭の中に綺麗な宝石を見つけると云うふうにたとえられている訳です。
辛い目に会うと初めて気づくことはあります。
正直には逆境がない方がいいと思うが。(無理だとは思うが)
不幸なことがあって逆境に陥ってしまったときに、周りの人が求めるのは、元に復活してくるか、別の分野で頭角を現してくることを求める。
逆境の中から何か大切なものを見つけて、それを教えてほしいというようなことがあるが、逆境に陥って必ず宝石が見つかることがないかもしれない。
私が逆境を経験して得た宝石は、文学です、絶望名言は私にとって宝石ですが、立ち直れるという宝石よりは倒れたままでいさせてくれる枕のようなものだと思っています。
マクベス
「明日、また明日、そしてまた明日、一日一日をとぼとぼと歩んでゆき、ついには人生の最期の瞬間にたどり着く。
昨日と云う日はすべておろかものたちが塵と化して行く死への道を照らしてきた。
消えろ、消えろ、つかの間のともしび、人生は歩き回る影法師、哀れな役者だ。
舞台の上では大見えを切っても出番が終わればそれっきり、我を忘れた人間のたわごとだ。
劇場にとらわれてわめきたてているが、そこに意味などないのだ。」
いまの世の中にもそのまま通じるよう感じがしました。
太宰治のような感じがします。
ろうそくと云う感覚は凄くあります、ちょっとしたことで大きく揺らいで消えかねない。何とか風の中で頑張って、消えそうになっても点いて居てくれる危うさがあります。
シェークスピアの絶望名言の魅力は常にもっと先があるぞと暗示している所ではないかと思います。
たかをくくってはいけない、まだまだ自分の知らないもっと深い悲しみ、どん底があるかもしれない、現実に対する畏敬の念を持つことは人生に対して、他人に対しても、もっと優しく丁寧に接する事に繋がるのではないかと思います。