山寺宏一(声優) ・【時代を創った声】
山寺宏一(第二回目)
子供のころは内弁慶で、家庭内ではふざけたりしていました。
小学校のころ、3,4年生は物まねとか始めていました。
5,6年生で思春期を迎えて、そこから高3まで女子と話が出来ない、そういった時期でした。
高校3年生の時に仲のいい女の子が出来て、それをきっかけにそこから他の子とも話せるようになりました。
でも女子の前では物まねはできませんでした。
宮城県で生まれ、大学まで仙台でした。
物まねタレントを目指そうとは思ったが、TVを見てとても駄目だと思って、大学で落研にはいってた友人がいて、誘われて入りました。
直ぐに落語が好きになって落語にどっぷりはまりました。
最初小話からはいって毎日稽古をして、発声練習したりしました。
訛っていたので訛らないようにするのが大変でした。
大学で勉強することはほとんどなかったが、毎日部室にはいっていました。
CMのオファーが落語研究会に来て、でないかといわれてそれに出て、就職が決まったのか聞かれたときにまだと言ったら、うちに来ればいいじゃないと言われた。(広告代理店)
「声優になるためには」という本を読んだら、養成所があると云うことが分かった。
広告代理店への誘いは辞めて、演技の基礎から学ぶことになりました。(週5日)
舞台の面白さが判りました。
大学まで親に面倒見てもらっていたので、養成所に入る前は不安はありましたが。
養成所に入ってからは何の不安もなく楽しかったです。
2年間通ってオーディションを受けて、合格して事務所所属になりました。
1985年『メガゾーン23』のロボットアニメの主人公の友人役がデビューでした。
そこから徐々に仕事が増えていきました。
「別撮り」と云う意味もわからず、やってしまってひどく怒られた時もあります。
他の人がやっているのを聞くのも凄く勉強になります。
観察力が演技力に繋がって来る。
印象に残ったものは一杯あります。
「どんどんドメルとロン」のポリス役でセリフは無くて、ホイッスルで表現する。
(変わった役)
難しかったのは一杯あり、大変だったのはセリフの量が大変なのはデンゼル・ワシントンが主役をやった映画『マルコムX』という作品は演説がすごく多くて、演説にオーバーラップして芝居する様なことがあって、大長編もののふきかえで、リハーサルの時間(徹夜になてしまう)と喉がやられず声が持つ時間を考えてやったのを覚えています。
名優がやるのを違う言語で吹き替えすると云うのは難しいと思ったのは一杯あります。
どれもこれも難しいです。
先輩の引き継ぎはやりたくないが、他の人がやるんだったらやってみたいと思います。
「銭形警部」「ヤマト」など大好きでした。
富山敬さんの後を色々継がせてもらいました。
声優はやる幅が広いので、色んなものに興味を持って引き出しを多くしておくことは大事だと思います。
いろんな俳優さんの吹き替えをするときに、余り自分のクセが強すぎると全部同じになってしまうと云うことがあるので、己を知る、自分の癖は難しい、人のは直ぐ判る、それを何とかしようとすることは大事なのかなあと思います。
個性は必要だが、クセとはだれもがもっていると思う。
KUSE へこんだUを伸ばしてOにしてKOSE そのあとにIを付けるとKOSEI
個性になる。
ときめくような役に出会いたいし、準備を怠ってはいけないと思います。
舞台の方も充実させていきたいと思います。