五味弘文(お化け屋敷プロデューサー) ・”怖い”で人を楽しませたい
お化け屋敷は仕掛けが加わった恐ろしい情景を順番にみてゆくという、いわば展示型の施設でしたが、五味さんはお化け屋敷にそれぞれオリジナルの物語を作って、お客さんに登場の役割をになってもらい、体験型のスタイルを確立して、お化け屋敷に新風を吹きこみました。
今が一番忙しい時期です。
お盆があって、死者があの世からこの世に戻ってくるという言い伝えがある。
四谷怪談が8月に歌舞伎で行われたのが、もうひとつの要因ではないか。
仕掛けをみて、火の玉が飛んできたりとかと思っていたら、違っていて、人がお化けに扮して、隠れていて、現れるというのが特徴になっている。
今出たら嫌だなというタイミングを計って驚かす、それが人間がお化けに扮する強みです。
子供の頃 長野、諏訪の自分の家の部屋をお化け屋敷として何年か作った。
大学卒業後劇団を作って芝居をしばらくやっていました。(台本を書いて演出を担当)
アルバイトの一つにイベントのアルバイトをしていて、お化け屋敷に興味があり、白塗りをして頭、眉毛をそってくねるように動く、怖い様な雰囲気があり、白塗りをしたダンサーが現れたらさぞかし怖いだろうなと言うのが最初の取っ掛かりだった。
人間がお化けに扮するのが一番怖いだろうなと思って、1992年にそういったお化け屋敷を行った。
判っているのに怖いという事は面白い。
2時間、3時間待ちは当たり前だった。
お化け屋敷はストーリーが無かったが、「赤ん坊地獄」は入り口で人形の赤ん坊を渡して、出口で
お母さんに届けて欲しいとのミッションをお客さんに与えられて、赤ちゃんは魔界の男性と、人間界のお母さんが結婚して生まれた赤ちゃん、その赤ちゃんを大勢のお化けが取り戻そうとして襲いかかってくるというもの。
それ以後、色々ストーリーのあるものを企画する。
古いものは人を経たものなので、前に使った人の気配を感じる。
恐ろしい物語を想像すると恐ろしい感じがする、それをお化け屋敷が行う事で恐ろしいものとして映ってきます。
お化け屋敷は昔からあった。
江戸時代、大森にあった、化け物茶屋を作って人を楽しませた、という歴史があるがもっと古い平安時代からあったという人もいる。(定義によって違ってくるが)
怖いというのはなんか魅力があって、海外でも日本でもある。
自分がコントロールできない物の怖さ、それが怖い事。
物語性を作る事によって更に怖さを増す。
地方のお化け屋敷を作るときは、地方の歴史とか、そこの土地のいわれなどから考えていって、ストーリーを編み出すという事はよくやる。
物語の場面を一つずつ体験してゆく様な形、重要な役割をもって、ひとりの登場人物として、演劇的な空間になっていると自分でも考えている。
初めは認知度が無くて、そんなことやってんの、と変わった目で見られることが多かった。
この仕事の先人がいないので、どうやったらお化け屋敷がもっともっと面白くなって多くの人に受け入れられるようになるのか、社会的に認知されるような存在になるのか、相当模索している時期は長かった。
お化け屋敷にいってお客さんの反応を見ているが、思ったように自分の演出が効かなかったり、タイミングがずれていたりとかあって、修正したりするが、反応のないお客さんを見ると色々考えてしまう。
ゴキブリの怖さ 家の中にいて人間の生活から距離が無い、動きが速かったり、飛んだりする、飛んでいるとどこへ飛んでゆくかわからない、コントロールできない怖さ、安心できる家に入り込んでくる怖さ、お化けも同じだと思います。
髪の毛 腐敗しない、亡くなってしまっても残り続ける。 髪の毛にかかわる事は海外にも多くある。
女性が主人公になっている事が多いが、海外の場合は男性の場合が多い、ドラキュラとか、怖いもの=強いもの、西洋的な構造、日本の場合は弱いものが怖い、四谷怪談、お岩さんが毒を盛られて、衰弱していって髪の毛が抜け落ち、立ち上がることができなくなり亡くなる、伊右衛門に依ってさいなまれている物語で、怨念という形になって幽霊として現れる。
お岩さんが健康的で、朗らかな女性が亡くなって、お化けになっても怖くない。
か弱い女性で痛めつけられたからこそ、怨念がたまって強くなる、怖くなる、という構造がある。
物語を背負っているというのが、日本の怖い話の背景にあってそれがあるからこそ女性の幽霊は怖いという、そういう風な成りたち方をしている。
ひとりではなく、2,3人の関係の中で怖さをみる、ここが大事でより怖くなったり楽しめることになったりする事が出来る。
私は物凄く多くのカップルを成立させたと思っています。