白籏史朗(山岳写真家) ・南アルプス~我が永遠の山
昭和8年山梨県大月市生まれ 写真家となってからは、ヒマラヤなど世界の山々をめぐってきましたが、特に山梨の南アルプスの撮影は白籏さんのライフワークと言う事です。
82歳の今に至るまで、60年以上にわたって四季折々の南アルプスを撮影し続けてきました。
私にとって山は心の支えでした。
子供のころから大月の周辺の山で、うさぎ、雉を追いかけ山菜を採って、山を歩いていると楽しかった。
素晴らしい景観、小鳥や獣たちと戯れる事、咲く花、新緑紅葉、そういったものを自分の目で見て楽しめること、自然から離れられないのではないかと思った。
職業として写真を選んだ。
ただ綺麗に撮るだけでは、本当の自然ではないんじゃないかと思って、精神、特質があるのではないかと、それを本当に捉えなければ山の写真と言えないのではないかと考えました。
山の本を一生懸命本を読みました。
山からの心を自分に受け止めないと写真は撮れないのではないかと考えました。
美しくて、かつ山の魂を取りとめなければ、本当の写真ではないと、ようやく気付いた。
朝暗いうちから夜暗くなるまで、夢中になって山を歩きました。
山の写真を撮って食えるかというと自信が無かった。
何とか私が一人前になれたのは、周りに山が好きで叱咤激励してくれるような友達が沢山いたからです。
人が撮らない様な写真を撮りたいと思ったが、なかなか撮れなかった。
「山と渓谷社」という雑誌社があり、アルパインカレンダー 365日山の写真で飾ったものに初めて応募してみました。
1枚でも入ればいいと思ったが、5枚も入ってしまった。
芯のあるものが通っていなければいけないという事に、徐々に徐々に気が付いてきた。
「山と渓谷社」の社長から、ヨーロッパのアルプスを撮らしてみては、という事でただで連れて行ってもらって2カ月いて写真を撮ってきた。
社長はこれだ、これだと言って、それで私だけのカレンダーを作ってくれた。
私の弟子の一人がヨーロッパアルプスを主体に撮っていたが、ヒマラヤに行きたいといって、有名なフランスの登山家ボーガンと一緒に行って亡くなってしまいました。
こういう仕事一生懸命なればなるほど命がかかってくる、私も何回も死んでしまう様な場面に出っ食わしました。(クレバスの宙吊り、雪崩、深雪に埋まる等)
ヨーロッパアルプス、ヒマラヤはかっこいいが、花や新緑、紅葉、海もあり、日本には素晴らしい四季があって、こういうものが全部そろっているのは日本だけです。
時々、撮った写真を見て、こんな写真を撮ったのかと、腕が落ちたのかと思うが、或いは贔屓目に見て自分の見る目が少し変わってよくなったのかと思いもあり、両方だと思っている。
64年やってきて先は短いので、今後は質で補わなくてはいけない時が来たのだと考えます。
質の高いものを撮って行きたいと思います、素晴らしいものを撮って皆さんにお見せしたい。
一生は考えた通りに生きていきたいがそれには自分だけの力だけではできない、かならず周りの人の助力があって出来るんだと、感謝の気持ちを忘れないでいます。