2015年8月11日火曜日

山領まり(絵画修復家)        ・戦没画学生の絵を修復する

山領まり(絵画修復家)       ・戦没画学生の絵を修復する
1934年 昭和9年福島市生まれ、 東京芸術大学専攻科を卒業、絵画の修復と出会い、自らの工房を立ち上げて半世紀にわたって絵画の修復に取り組み、絵画修復の基準を作り上げてきました。
太平洋戦争当時、日本軍が描かせ、戦後はGHQに接収された戦争記録画の修復や、パリ日本館の藤田嗣治の作品の日仏共同修復事業のほか、浮世絵、版画、文書など紙の美術作品、文化財の保存修復に取り組んできました。
平成9年長野県上田市に開館した無言館に展示する、戦没画学生の作品の修復を依頼されました。
戦争に行かざるを得なかった画学生の作品は、描きたいという思いが強く伝わってくる一方で、戦後時間の経過とともに絵代が変わり、保管状態が悪いことも多くて修復は極めて難しいものです。
その時代を物語るものとして、修復して保存する意味は非常に大きい、だからこの仕事はずーっとかかわっていきたいと言われます。

45年前山領絵画修復工房を立ち上げ、昨年代表を退く。
絵画の修復というのは、物を直すという観点から見ると、特殊なものとは思えないが、絵画の特殊性、世界中に一つしかないという観点から見ると、修復家がすべきことはその作品を子細に観察する事から始まる。
絵画を構造的に考えると、一番下に麻布、目止めをしなくては行けなくて、目止め材はにかわ、(現在は合成樹脂)、次に地塗り層があり、その上に絵具層が何層かあり、そのうえにニス層がある。
キャンバスの状態から最初に筆を置いた薄い褐色等が、あたり線(どういう言う構図にするかとか、鉛筆の場合もある)では多い。
その状態が想像できるぐらい観察しなければならない、そのうえでそれが今どういう状態なのかをきっちり掴む。

カビ、絵具がひび割れてある面積で落ちてしまったり、裏から破れたり、埃等様々なことが起きる。
現状をあまり大きく変えないで、劣化が遅くなるように手助けするのが、修復家の立場です。
修復が確立したのが1970年代だと思います。
どういう補強方法がいいか、現状の画面なりの印象をなるべく変えないというのが、難しいがやって行かなければいけない。
今の問題は、現代美術の問題が出てきて、別の要素が加わってきている。
明らかに退色する事が予測されているような画材で描いているとか、作品がモーターで動く、電球が消えたり点いたりするとか、平面的な絵画の知識だけではやっていけないので、若い人に譲るべきだと思いました。

無言館 窪島誠一郎さんとは随分前から知り合いで、最初デッサン館を立ち上げて、其時に手伝いしながらきました。
無言館の作品は物置などに置かれていたものが多くて、時代も経っているので痛んでいる作品が多いので、修復しなければならないものがほとんどです。
野見山暁治画伯、窪島誠一郎さんとの出会い。 
無言館に寄託しようと思った遺族の方の中には普通の修復(ぴかぴかに戻す)して、寄贈した作品が混じっていて、とっても飾られて違和感がある。
作品に介入するという形ではなく、本当に裏から落ちそうなものは支えている、そういう修復をしたいと思っている。(名だたる名画すべて)
「最後の晩餐」等は、顕微鏡をのぞきながら吟味しながら、絵具層を洗いとって行って、オリジナルな姿が残っているのが、今の私たちが見せてもらっている「最後の晩餐」です。

日高安典さんの作品 「ホロンバイルの夕暮」(満州) 14cm×31cmの小さな作品ですが、拡大鏡を使って仕事をしました。
夏の風景を描きながら寒い冬を思っている。
満州からフィリピンに行って、27歳で亡くなっている。
絵を描く事によって自分を残しておきたい。
無言館の絵の修復は10数点になると思う。
材料としては必ず元に戻し得るものを使わなければいけないのが修復の原則ですが、其れをやると遠近法で描かれている風景画の一点の欠損が埋まると、ふーっと風景の遠近がはっきりしてきて、風が吹くみたいな感じがすることがあるが、無言館の作品に対しては風まで吹かしては困るわけです。
無言館の修復の難しさは、埃などをどこまで取っていいのかという事ですね。
飛行兵の肖像画があるが、大変無残に剥落していて、顔、手、あらゆるところに剥落があって、それを見て皆さん衝撃を受けるかもしれないが、あの作品を綺麗にして描かれている様にしてしまったら、あれだけの力は持たないと思う。

無言館は空調していないので環境が厳しいので、年中手当てしていかないといけない。
当時の画材はいいいものが手に入らなかったと思う。
麻の布の織り目も粗いし、絵具もなかなか手に入らず、画学生には絵具の配給はあったとは思えない。
いしいまさお?さんの作品 「模型建鑑」(戦艦)? カビ 剥落がある。 戦艦の模型を作っている絵。
20歳そこそこで亡くなっている。 
無言館 或る時期の20代の若い人たちの作品として見ると、美術史を輪切りにしたような面白さが別に有るのではないかと思う。
自画像、肖像画が多い。(これで死んでいかなければならないかもしれない、自分を見つめたい)
無言館は無言館を訪ねた自分自身が何かを見出す、発見する美術館だと思います。
修復する事によって絵に力が戻ります。
戦後70年経って、又力を取り戻してゆくもののお手伝いを出来る事は、意味があったと思います。