2015年8月24日月曜日

野崎健作(漆芸作家)        ・今、伝えたい 犬養木堂のことば

野崎健作(漆芸作家・元県立高校講師)    ・今、伝えたい 犬養木堂のことば
昭和18年岡山県たまの市生まれ 中学卒業後電力会社に就職、定年後、社会人教員の募集に応募して、岡山県高橋工業高校電気科の教員として採用されて11年間教壇に立ちます。
22年前平成5年岡山市の犬養木堂記念館で開かれた講演会に行きました。
講演は昭和7年5・15事件 首相官邸で犬養首相襲撃の生き証人の今木あさ子さんの体験談でした。
その時の犬養木堂(毅)の言葉「話せば判る」は暴力を否定した民主政治の原点という想いで、自らの体験を通じてこの言葉を語り伝えていたのでした。
野崎さんは今木あさ子さんの話に感銘を受けてその体験を録音させてもらいます。
戦後70年野崎さんは幼いころの記憶、戦争で手足を無くした傷痍軍人の姿が今でも忘れられず、いまきさんの残してくれた犬養木堂の言葉を今こそしっかり伝えて行きたいと思っています。

犬養木堂記念館で講演会があり、参加したが、最後に夕方来られたら詳しい話をして上げますという事で出かけたら、話(テープにとった)をしてくれた。(その時友人と二人だけだった)
今木あさ子さん(お手伝いさん)が隣りでお茶を入れている時にパンパンと音がして、行ってみると、首相が血まみれになって「いまの若いものを呼んでこい、話せばわかる話せばわかる」という話を伺った。
犬養木堂記念館は平成5年10月に開館、その記念講演だった。
今木あさ子さんは明治44年生まれ 宮城県立石巻高等女学校を卒業後、犬養家に勤務、電話交換手兼お手伝いさんとして犬養総理の世話係の一人、当時22歳、平成10年87歳で亡くなる。

「昭和7年5月15日 日曜日の夕方のことです。 耳鼻科の大野先生が来られる日でその用意やら3時のおやつを出し、5時頃お茶にしました。
・・・・軍人が入ってきて軍靴のままけ破って「総理どこだ総理どこだ」と言って来た、「悪漢だ、悪漢だ」いっていたが、其れまではなにがなにやら判らなかった。(まさか軍人が総理を殺しに来るとは思わなかった)
・・・首相が血まみれになって「いまの若いものを呼んでこい、話せばわかる話せばわかる」と言う最後の言葉として言葉を聞いた。
軍法会議に毎日呼ばれたが、軍人を悪く言えない時代だった。・・・・。」
あの悲しむべき狂変を知っている人は極めて少なくなりました。
私は総理の最後を知る生き証人として、あの時のお言葉を多くの人に語り続けて今日に至りました。
武力暴力を否定した民主政治の原点と言うべき「話せばわかる」のお言葉が永遠に不滅の大教訓として生き残る事を切に願っています。
「話せばわかる」という言葉は今の若い人でも知っている人が多い。
今木あさ子さんは郷里の墓のところにこの言葉を、後世に残すために碑にして残した。

私は直接の戦争の記憶はないが、小学校の頃は戦争の後遺症は残っていた。
学校教育に於いても非常に影響(軍事教練的な)したと思う。
長男は大学に行った、次男も高校にいったが私は中学を卒業して就職する事になり、その辺の運命は非常に違う、大学を出ていれば違った人生を歩んだとは思うが、これがいいと思わなければいけないと理解している。
夜間高校を2校卒業(当時夜間高校卒業するのは半分程度だった)
岡山県の教育委員会が一般からたまたま教師を募集する、電気、工芸、福祉に関する各分野を募集していた。
電気は電気会社にいた、工芸は漆芸をやっていた、福祉は手足の不自由な人のボランティアをして全国を回って、お母さん方に数百人聞いてきたりして、心のケアをして認められて、デンマークに半月行かせてもらった経験がある。
大野昭和斎 倉敷市出身の人間国宝の人と一緒に作品も撮っている。

お母さんたちが心の中で悶々としていて、殺したり、捨てたりする事件がいっぱいあるが、泣きながら叫びながら話す場が必要だと思って聞いてきました。
遺伝学の先生の言われるには、おなかの中で交通事故に遭う様なもので、何万人に一人は生まれています。
お母さんたちは話して自分の気持ちが晴れる場が欲しい、子供を育てる励みになると思う、そいう意味で聞いてきた。
サラリーマンと教師は仕事の内容はまるで違う、一番最初教壇に立った時公式を書いたりしたが、或る生徒がそれは違いますと言われてしまった。
生徒の参考書の内容と説明は違っていたので特にことなきを得たが。
問題を起こした生徒に特別教育をする、学校には出るが教室には入らずに、別の部屋で個人的に行うが、印象に残った先生は誰かと聞いたら、2人居てその中に私もいてその生徒は良かったと言ってくれた。
「話せばわかる」 すべて人間が生活する上で、かならず対話、会話、心と心の話、個人のレベルでも国と国との話でも同じで、話すことの大切さ、言葉の大切さが大事です。
戦争ほど残酷、悲惨なことはない、平和こそ幸せなものはない。