2015年8月21日金曜日

深野晃正(つりしのぶ職人)     ・江戸の涼を守り伝えて

深野晃正(つりしのぶ職人)     ・江戸の涼を守り伝えて
つりしのぶとは竹や木炭を芯にして表面をコケで覆い、その上からしだ科の植物しのぶ草を巻きつけたものです。
そこに若い緑の葉が出てきて作品が完成します。
軒先になどにつるして涼しさを演出するもので、江戸の昔から伝わる夏の風物詩です。
深野さんは今年74歳、、今東京都内にただ一軒残るつりしのぶ園の二代目として、丹精込めてつりしのぶを作り続けてきました。
伝統的な形のものはもちろん、最近では大学生等若い世代と協力しての新作作りにも取り組んでいます。

一番ある時は3500ぐらい。
いろんな形、大きさがある。
屋形船、灯篭、帆掛け船等、をイメージして作る。
芯に竹を入れて、竹にコケを巻き付けて、適度な太さ(ソーセージぐらい)にし、縦横に使い分ける、巻き付けるのにエナメル線を使う。
思いがけないところから葉が出てきたりするが、それがまた面白い。
江戸時代、庭の手入れをする庭職人が遊び心で、自分で作ったものを人に見せたいあげたいという事で、お中元に差し上げたという事から世に広まったという文献がある。
浮世絵などにも、描かれているのを調べるのも楽しみの一つですね。
しのぶの葉は色々あり、常盤しのぶとか、根株だけでなく、根茎が伸びてくると、葉の出もよくなる。
5年ぐらいかかる。
岩山でロープを張って数10メートル下りたりして、コケを集めることが仕事の一つだが、人出を必要としている。
専門にやっている人はいなくて、炭焼きの人、まむし取りの人等に頼んで、ついでに集めてもらうが、人は少なくなってきている。(後継者もいなくなってきている)
葉が色づいてくると集めてもらう、10月~11月に取る。

この仕事を続けるには、苔もいっぱいほしいが、集めてくれる人がいなくなってきてしまって、一番頭の痛いところです。
父親がやっていたころは、取り手がいっぱいいて苔等は、注文すれば注文するだけは入ってきた。
数も1万個近く作れたが、今となっては環境とか全て変わってきているので厳しい。
20年前ぐらいから変わってきた。
3~5年手元で楽しむことができるが、苔の元に水が届く様にしないと水持ちがしない、バケツの水に2~3分浸けてくださいと言うが、めんどくさいと言われてしまう事もある。
秋めいてきて黄色く葉が黄ばんで来たら、2~3日陰干しして、乾かして、乾いた新聞紙にくるんで、ポリ袋で密封して、なるべく寒いところにしまっておいて、桜の咲くころに出してもらって、水を与えると、日だまりの温かいところで、葉がまた出てくる、その繰り返しで3年~5年楽しめる。
形が自由に出来るのがしのぶです。

父親から食いっぱぐれが無いと言われたが、山に入って怖いこともあるが、材料を探すのが面白い。
一人っ子で、母親が中学の時に他界して心細いところもあって、父親のところでやっていれば、という気持ちがあったと思う。
作ったものを良くできたと言われるのはめったになかった。
細いと水の含みも悪いし、太すぎても格好良くないし、その時代に作っていたものは昔からのものばかりで新作はなかなかできなかったが、美大の生徒と新作を考えている。
プロジェクトを13年やっているが、「くっつきしのぶ」を学生が作った。
しのぶの丸い球に洗濯バサミを付けると、どこでも挟んでくっ付けられる。
「青流」 竹の筒にちょっとしのぶを詰めていろんな形ができる。
つりしのぶだからと言ってつるすだけではだめで「青流」みたいに置いておくとか、お客さんが判断していいと思わないと販売にはつながらない。

家の杉の廃材を利用して作ったこともあり、好評だったので大分作った。。(井型の形状)
息子も一緒にやってくれていて、継いでくれるものと思っている。
厳しくても好きな仕事に全うできればいいと思う。
私は途中でこの仕事をやめて転職を考えたことはない。
今都内でも一軒となってしまったが、皆大勢いたころは持ちつ持たれつで分けあって、智慧、力を出し合っていた、競い合って作ったのでいいものができる。
協力してくれる山人がいつまでも、お付き合いしてくれるように願っています。
冷房に入ると暑い時は気持ちいいが(体感)、目で見る涼感を味わえる環境と違うのではないかと思う。
しのぶは私の言う事を聞いてくれるから、かわいいのかなあ。
思った様な形にもできるし、芽も出てくるし、お客さんに嘘をついてる事は一切ないし、丈夫にお客さんのもとで育ってくれるし、裏切ることが無いし、一番の魅力だと思う。
学生に新しいものを考えてもらうが、一緒にやる事は刺激が多すぎる思い。
父が昭和10年に開業したが、もっとしのぶを一本やりで頑張っていきたいと思います。