2015年7月21日火曜日

吉川よしひろ(チェリスト)       ・「演奏は一期一会のご縁」

吉川よしひろ(チェリスト)       ・「演奏は一期一会のご縁」
片方の耳が聞こえませんが、独自の方法で幾重にも音を重ね、ソロで演奏する独特のスタイルを作りだし、ニューヨーク、マンハッタンのジャズ界で高く評価されました。
日本に戻ってからは、キャンピングカーを運転しながら、全国でコンサートをしています。
その折に、近隣にある養護施設、老人ホーム、ホスピス病棟など400か所を回りボランティアで演奏を続けてきました。
「演奏は一期一会のご縁」 6月の終りに京都での演奏を終えた吉川さんに伺いました。

キャンピング生活、7、8年になります。
キャンピング生活は1年の内に10カ月弱生活している。 
家は大田区にあり2カ月ぐらいいます。
キャンピングカーの中で毎朝9時ぐらいまで2時間やります。(60歳をちょっと越えている)
生まれた時から左の耳が聴覚障害になっている。
33歳の時に東京の病院に入院して手術をうけたが、官が癒着してしまっていて、聴力は戻りませんでした。
弦楽器は全部自分の耳で聞いて、音程を取る楽器なので、その楽器の人にとっては、致命的であり、人の音を聞いて加減する事に対しても、完全に差が出ます。

熊本県八代市のナザレ学園、富田園長から素晴らしい人がいると吉川さんを紹介された。
施設の子供達との付き合いは長い、全国の施設400か所弱、ボランティア活動する。
交通費、宿泊費、食事代も保証されません、自分の持っているものを提供するが、時には自分のメンタル的な部分、肉体的部分が一致しないと、自分がいらついたり、音に正直出ます。
ある時ふっと思ったが、人間の心には、満たされ液が出ていて、両手に満たされ液が一滴一滴たまってゆき、両手から漏れた時に、漏れた部分だけボランティア活動すればいいという事に気が付いた。
満たされ液が枯渇していたら、長続きしないという事が初めて、4年前に気が付いた。
継続して初めて、そういう方々の立場、自分の心の置き方によって見方、感じ方が変わると思う。
全部己の心の置き方、満たされ液をどうやって自分でコントロールするか、気づく。

老人ホーム、重度知的障害者、ホスピス病棟、癌の末期の方々等の前で演奏してきました。
チェロはバイオリン、ビオラ、コントラバス等の中で一番人間の声に近い楽器で、男性の低い音域から女性の高い音域まで唯一出せる楽器と説明して演奏を始めます。
このチェロは弦が5本あるが、普通は4本。(多分日本にはいないと思う)
ニューヨークで個性を出す事が必要だと言われて、それではと思って、このようにした。
弦楽器は弓で弾くのが当たり前と思われているが、つま弾く事も可能。
キャンピングカーの中での練習は、バッハの無伴奏から始まってジャズ、色々バリエーションを取り入れて2時間ほどやっている。
一番尊敬するアーティストは宮澤賢治です。
花巻市から夜行列車で上野駅に着いて+、チェロの先生について、又花巻に帰る、ハイカラな人だった。

特に大好きな一節は「褒められもせず、苦にもされず そういうものにわたしはなりたい」
この部分を聞くと落ち込んだ時には、すごく元気を頂きます。
ステージで「雨ニモマケズ」を何回も朗読するようになってから、深いんだなあと思う様になり、大好きになった。
熊本県八代市のナザレ学園の児童養護施設 2歳から高校生 54人が親からの虐待、育児放棄されたりしながら、そういった子供達が寄り添って生きています。
そういった施設にボランティア演奏に行った時に、ナザレ学園の子供達は、吉川さん椅子に座ってくださいと言って、私たちはなにもプレゼントできませんが、こんな朗読をプレゼントさせてもらいますと言って、2歳から高校生が朗読したのが「雨ニモマケズ」でした、大感動しました。
 
生まれて物ごころついた時には父はいませんでした。
兄2人、妹一人で母は仕事をしましたが食べられず、生活保護を受けながら、生活していました。
小学校の放課後、女の子がピアノを弾いていて、聞いた耳で、音を見つけられる子供でした。
家にピアノが有ればいいと、ずーっと思っていたが、母親が仕事で帰って来て、疲れた切った姿を見ると、ピアノ教室に習わせてほしいとは決して言えなかった。
学校にある楽器に触って我流で覚えてゆきました。(音が出る者は何でも飛び付いた)
理論的なものは全く判らない子供でした。
コントラバスから始めるが、ジャズの専門学校に入りました。
12,3年はコントラバスをやっていて、最初は岸洋子さんのシャンソン歌手の伴奏でプロデビューさせて頂き、そのあと、金子由香利さんシャンソン歌手のサポートを13年間、そのあと、盲目のギターリスト長谷川きよしさんと一緒に廻らさせて頂いて、劇団四季のオーケストラにも一時期はいったことがありました。

食べることには何でもやり、音楽の職人になってしまったのではないかと、思って或る日いっさい人の伴奏とかを一切辞めたが、生活は困窮した。
金子由香利さんのサポートをしながら、コントラバスをやっていたが、他に弦楽四重奏があり、チェロ
にあこがれていて、英才教育を受けてきた彼等に休憩時間にチェロはどういう風に弾くのかと、聞いてチェロにスイッチして行った。(37歳)
コントラバスの奏法を取り入れたアプローチをして行こうと思う様になった。
コンプレックスは誰でも持っていると思う。
障害をもっていても、高学歴でなくても、必ず自分自身の自分なりの才能を引き出せるというところに考えが行ったんです。
自分なりの大輪の花が咲かせられればいいのではないかと思った。
チェロにアンプを通す様にして、健聴者と同じレベルに聞こえる様になり、効果音を使って、一人でも弦楽四重奏の様に音をオーバーラップさせる奏法をすることに気がついて、それをチェロで始めが、日本では私がはじめてだと思います。

ボランティア演奏の時には、いろんなハンディーをもった方々がいます、老人ホームではその方々が青春だった時代の曲を選曲します、聞く側の立場に立って選曲します。
涙を流しながら一緒に歌ってくれ、物凄くうれしいです。
熊本県の老人ホームに伺った時に、演奏すると或るお婆さんがずーっと一緒に歌って下さった。
鹿児島に移動したが、一週間後そこの施設の人から電話がかかってきて、お婆さんがその後もずーっと歌っているとの事で、いいことあったのかと聞いたが、チェリストの人が来て歌ってくれたとの事で、夜の11時でも歌っていて、消灯の時間だからもう寝ましょうと言って、消灯して静かになったなあと思って見に行ったら、そのお婆さんがそのまま亡くなっていた。
今生の最後になる方もいるのかなと思うと、初めて気付いた。
家族の方から、母は最後にいい生き方をしましたと、伺いました。

演奏者は見られている、見透かされる。
ホスピスの患者は表情があまり無いが、私の心を見抜いてる、見透かされているという、そういう気を感じさせる事は多々あります。
1000人の会場でも、10数人の末期癌患者のホスピス病棟でも、一生懸命演奏させてもらっているが、今生の最後の事になって私の奏でることが一期一会になる事があるという、気付きを貰うとその日その日ベストを尽くします。