2015年7月24日金曜日

田中 克(京都大学名誉教授)    ・「森里海(もりさとうみ)で自然再生を」

田中 克(京都大学名誉教授)    ・「森里海(もりさとうみ)で自然再生を」
1943年滋賀県大津市生まれ 京都大学農学部水産学科に入学、大学院に進み、長崎県にある西海区水産研究所で、タイやヒラメなどの研究一筋の生活を過ごされました。
この研究で水際、海岸線がタイやヒラメの稚魚を育むゆりかごであることを突きとめると同時に、海岸線が埋め立てなどで消失している現実に直面しました。
人と自然、自然と自然をのつながりを破壊したのは、半世紀余り続く高度経済成長ではなかったか、自然とのつながりを取り戻し、自然とともに歩む持続社会を築こうと田中さんは2003年京都大学に森里海連環学という学問を立ち上げました。
現在は柳川市のNPOとともに有明海の再生を目指し、東北では森は海の恋人運動で、地域や住民と連携して森里海連環学の実践に取り組んでいます。

現場主義で現場からいろんなことを考えたり、と言う事で東北から柳川までを行ったり来たりしています。
震災前から日本の海がドンドン環境が悪化して来て、生き物がいなくなる兆候が現れてきて、一番象徴的なのが有明海と言う事で、この海を何とかしないと日本の沿岸は良くならないという背景があり、調査をしようと、ボランティアチームを結成して、有明海にかかわっていた人達が気仙沼でも動き出しました。
昨年はシーカヤックで宮城県下を15日間海を回りました。
大震災で顕著に起こったのが、水際で、水際をどう再生するかが、東北の抱えた問題です。
生態系の観点からすると、海と森の繋がりを分断する様な防潮堤ができそうな流れが出来てしまっている。
1997年総工費2500億円 全長7kmの堤防を作った。(諫早湾)
お金の無駄使い、そこだけでなく大なり小なり海岸がコンクリートで水際が固められている。
かつては宝の海と言われた海だったが、今唯一残っているのがクラゲだけです。
有明海の全域の水辺がコンクリートで固められて、陸と海のつながりが大きく断ち切られてしまった、それが魚がいなくなってしまった本当の原因ではないかと思う。
三陸の震災での問題と有明海が抱えた問題が、根っこは同じだという思いに至りました。

琵琶湖もかつては、自然が湖と陸のつながりがあったのが、琵琶湖総合開発計画で、見た目には綺麗になったが、琵琶湖でも同じだった。
今は本当に深刻な絶滅危惧種は、日本ウナギではなくて、海辺で遊ぶ子供達がすっかりいなくなってしまった。
子供達の暮らしと自然が完全に分離されてしまって、この先本当に確かな未来はあるのだろうか、と言う事までに至りました。

研究の原点は海の魚で、その子供達の生態でした、稚魚が暮らす場所は海辺が多い。
陸からのいろんな水を含めた栄養物質が供給されることが彼らを養っている背景がある。
牡蠣が育つのは森の恵みだと、同じような現場の感覚から結論に至った畠山さんと、海の稚魚の研究から必然的に繋がりができて一緒に進めている。
水辺には人がたくさん住むようになり、いろんな負荷がかかって、森と海を分断してきている。
分断しているのは人間そのものなので、人間の暮らし、産業の在り方を自然に寄り添う形に変えない限り、価値観を変えない限り、森と海のつながりは元に戻らないし、自然も戻らない。
キーは里、人が暮らす生活空間、ちゃんと変えない限り森と海のつながりは再生できない、森里海連環学として捉えている。

福島原子力発電所の崩壊、森に広がった放射性物質は海に流れて海をおかしくする。
マイナスのつながりになる。
有明海は火山に囲まれていて、筑後川が流れて込んでいるが、地下水も流れている見えないルートが凄く重要な役割をしている研究もされ始めている。
防潮堤は見えない地下水を含めた森と海の繋がりまで壊してしまうのではないかと懸念される。
このままの暮らし、産業の在り方を続けていくと、孫、その次の世代が幸せな暮らしができるかと言うと厳しい状況です。
森、海、川が分断されていて、社会の構造自身、人々の考え方も縦割りで目先の対応しかできない、対応する側が縦割りで身動きができないのが問題。
森里海連環学の目指すところは今の社会を、自然の再生を思う様にできないのは、縦割りの構造組織、いろんなことが密接につながっているということが大事だという価値観を取り戻すという事が、森里海連環学の一番の大きな目標ではないかと思います。

小学校の頃はよく自然の中で遊んだりしていた、先生が魚が好きだったので、ホンモロコという琵琶湖しかいない魚を先生とともに釣りをして、その最初の一匹を釣って今日が決まってしまった。
稚魚の研究を大学院、博士課程で研究して、そのご 西海区水産研究所に就職。
真鯛の稚魚の研究をして稚魚が浅瀬、水際で生活することに気が付く。
魚の生態、生理、環境等異分野の研究者が集まって合宿生活しながら喧々諤々の議論をしたのはその後の研究の展開に意味があった。
異分野、地域の漁師の人たちとの連携も特徴的だった。
「森は海の恋人運動」畠山重篤さんを社会連携教授として招く。(社会と学問をつなぐ)
森里海連環学の講義の一部を受け持ってもらった。
有明海 水が濁っている、汽水(真水と海水が混じっている) 筑後川が入りこんでいる。
面白い生き物がいっぱいいる、氷河期の遺産的な生き物で、ルーツをたどると中国、韓国の生き物で、地球の温暖化、寒冷化の中で大陸とくっついたり離れたりするが、そういった歴史を反映して、魚類は日本までたどり着いて生き残った、本当に面白い海なんです。

何とか再生に向かわせる為に取り組む事ができないかという事で、地元の旅館の人達と有明海を再生する取り組みを2010年から始める。
高校生、大学生も加わるようになった。
NPO法人SPERA森里海(ラテン語で希望、信頼)・時代を拓く を地元の旅館の人を中心に立ち上げる。
キーワードは繋がり 森と海(空間の繋がり) 時間の繋がり(次の世代への繋がり)
「森は海の恋人運動」と「森里海連環学」をいかに共同して大きな輪を広げてゆくかを主眼にしている。
新しい展開が始まり、その人達と環境省が1014年12月にキックオフの会議が始まり、中間取りまとめとして、「繋げよう 支えよう 森里川海プロジェクトが動き出す。
残念ながらお金が無いが、国民運動的に盛り上げて、生物多様性の問題を含めて、自然と人がいかに共生をしながら持続可能の社会を生み出せるか、という大きな流れに結びつく様なプロジェクトが今立ち上がった。
自然資本経済と言う新しい学問も生まれ始めている。
自然の資本を循環する事によって、いろんな恵みを生みだし、地域の活性化してゆく。

地球が養えるはるかに超えて人が増えているが歯止めはかからない。
物質的には豊かになったが、心の豊かさ、心身の健康からはドンドン違う方向に行きながら、物の豊かさだけをもとめているが、そこを転換しない限り、地球自身が持たないし、本当の豊かな社会の到来もないだろうと、そういう局面に来ていると思う。
そういう流れを作るには、この10年ぐらいでやらないと向かうゴールにはいかないと思う。
各地に芽があるので、うまく繋がれば大きな流れが生み出される可能性はある。
研究所の湾の奥に地震と津波がよみがえらせてくれた湿地があるが、買い取って保全している。
生物多様性の宝庫なので、そこの価値をきっちり研究して環境教育の場に使って、どれだけの価値があるかどうか究明できれば、社会的に大きなインパクトを与えられるのではないかと思う。
「森は海の恋人運動」と「森里海連環学」はアジアに共通の理念になるのではないかと思う。
日本初のそういった学問をアジアに広げる拠点に、「森は海の恋人研究所」ならないだろうか。
フィリピンとJICAで交流が始まっている。