2015年7月2日木曜日

打山 昇(観光バス会社・会長)   ・超豪華夜行バスで 地方貢献を

打山 昇(観光バス会社・会長)   ・超豪華夜行バスで 地方貢献を
内山さん 67歳は徳島県の南部 海部郡で海部観光バスの会社を平成8年から経営しています。
海部郡は打山さんの故郷 、隣接する阿南市から毎日、大阪、神戸、東京に高速バスが出発します。
東京行き夜行バスは毎日3便でますが、其中の一便は定員が12人、カーテンで仕切られた個室でTVを見たり、155度リグライニングするシートで休む事ができます。
トイレには着替え用のスペースも準備されています。
現在300あまりのバス会社が、一日12000便の高速乗り合いバスを運行しています。
夜行高速バスの大半は、30~40人乗りで12人バスは超豪華バスと呼ばれています。

超高速バスの色は淡いピンクで名前は「マイフローラ」
平成9年以来、平均乗車率は9割を越えている。
一番大切なプライベートな空間を守られたい、というところに魅力があるのではと思う。
日本で最初の12席バス、最初18席が採算ベースかなと思っていたが、16席、14席も図面検討したがちょっと窮屈で、最終的に12席になった。
今は2台で13000円で毎日走っているが、最初1台12000円で運航していた。
バスの製作価格は8400~8500万円。(製作には協力していただいたので本来1億円ぐらいか)
子供の時から車が好きで、トラックをバスを運転していて、お客さんから夜行バスは大変で足はむくむ、腰が痛いという様な声を聞いていた。
採算ベースに合うかどうかはわからなかったが、やってみようと思った。

中学を出て大阪の運送会社に就職、夜は定時制に通っていた。
5~6年して父親が亡くなっていなかに帰ってくる。
トラックの運転業務をしてその後、30代後半に観光バス会社に行く事になる。
1996年今の会社を立ち上げる。
故郷の海部郡は過疎地で、小学校ではマイクロバスで修学旅行をしていたので、何とかならないかと、旅行会社を興こし、1年後にバス会社を興す。
最初は小型バス3台からスタート、妻と長男3人で海部郡内のお客さんに対して始める。
平成12年、小泉政権の時に規制緩和ができて、大型バスに変更する。
観光バスの需要が少なくなり、自分のところで企画した旅行商品を自分のところのバスを利用したらと言う狙いがあり、ツアーバスが徐々に耳に留まるようになり、早くからツアーバスに参入して言った。

2012年に関越で事故を起こす事件が有ったが、それより4年以前にツアーバスをやりながら、今後難しいだろうと、独自の路線の免許を取らなければツアーバスは難しいだろうと、思った。
乗り合いに移行して行った。
バブルがはじけた時期でもあり、大変苦しい時期もあり、お客さんからはバスは綺麗だし、安全も担保されているという様な励ましもあり、現在にいたっている。
今は19年目を迎えて従業員はドライバーが50名、他の業務関係で100名ぐらいです。
他の会社も結構運航しているので競争が激しい。
とにかく事故を起こさない、お客さんに支持いただける様な接客をしてゆくために、日々研鑚している。
バスは劇場、ドラマを演じてもらわないといけない、よかった有難うと言って降りてもらえるようにならないといけないと思っている。
津波対策として駐車場を利用させてもらえないかと小学校からの話が、阿南市、自治体、小学校、海部観光の4者で調印した。
振り返ってみると19年間は短かったと思う。