2015年7月3日金曜日

朝原雄三(映画監督)       ・50歳を過ぎて、映画への思い

朝原雄三(映画監督)          ・50歳を過ぎて、映画への思い
1964年高松市生まれ 50歳 京都大学を卒業後、1987年、松竹に入社、「男はつらいよ」、「学校」
等で山田洋次監督のもと、助監督として力を付けてきました。
29歳、「時の輝き」で監督デビュー、その後「釣りバカ日誌」、「武士の献立」などのメガホンを取り、「釣りバカ日誌15 浜ちゃんに明日はない」では、2004年度の芸術選賞新人賞を受けました。
監督20年目の今年、14本目の映画となる「愛を積むひと」を監督し、現在公開中です。
映画は中高年の夫婦をモデルに夫婦愛がテーマとなっています。

「愛を積むひと」 あらすじ
東京で工場を経営した夫婦が倒産してしまって、北海道に移り住み、石塀作りを妻に依頼され、完成する前に妻が心臓を悪化させなくなってしまう。
或る日妻からの手紙を見て、その手紙を読んでいる中で新たな人生へと導かれてゆく。
アメリカの小説が原作、 エドワード ムーニー Jr. 「石を積む人」
辛い話にするよりも、ロマンチックな映画にしたいとのプロデューサーからの要望もあり、美しい村でこの物語を広げて見ようかと思った。
まともな人間がまともに考えたらどう振る舞うか、と言う事を中心にはしていたつもりなので、全然毛色の違うものと言うわけではなかった。
ロケ地をえらぶとか、色々と4年もかかってしまったが、登場人物に愛情をもって映画を作れたと思います。

超然とした生き方、たたずまい、いろんな意味で樋口可南子さんしかいなかったなあと思います。
感情を身体の中心で受けとめて芝居をするという意味では、主役として佐藤浩一さんは信頼出る俳優さんだと思っています。
本番の時の手紙の朗読よりも、北海道の自然とその家の雰囲気、彼女がいかになりきっていたのか、現場での最初の手紙の朗読の仮録音が一番良かったので、それを採用した。
メッセージは夫婦愛が中心ですが、横のつながり、縦のつながり、共同体として生きて生きてゆくときに、初老の人たちがどういう繋がり方を求めてゆくのか、次の世代にどう手をさしのべるか、どう接していけるか、自分の人生を最後に充実させていくときに、唯一出来る大事な事ではないかと、想って、こんなふうに生きられたらいいだろうな思って、主人公に反映させてメッセージとしてどうだろう、と言う事はありました。

1964年香川県高松市生まれ 比較的おとなしい子供だった。
父は少林寺拳法の師範だったが、全く習わなかった。
父は映画が好きだったので、小さいころから父と一緒に映画は見ていた。
高松高校時代、映像同好会があって、撮影をして楽しんでいて、文化祭で上映していたりした。
音楽は苦手だったが、友達に誘われて、音楽などもやったので、監督をしていい経験にはなったと思う。
映画を見る方は時々見ていたが、男はつらいよ等は見ていなかった。
「ET」を見に行ったら満員で見られなくて、仕方なく松竹に見に行ったら「男はつらいよ」で、樋口可南子さんが出ていた。
京都大学文学部に入学、シネマ同好会に入った。
イタリア映画等沢山見ました。

松竹で助監督の採用試験が17年ぶりに復活した年で、公開記念イベントで採用しようという事が有り入社する事になる。
当時はあまり映画を作っていなくて、6月過ぎまで何の仕事もなかった。
1本目が山田洋次監督の「男はつらいよ 知床旅情」 助監督がたくさんいて、5人目でなにもすることがなかった。
山田洋次監督はとても真面目に後輩を育てようとしていた。
監督としても人間としても、とても大きな存在であります。
現場にいると、山田さんの真似をしているんだろうと思います。
「釣りバカ日誌」をやるのには抵抗が有ったが、二人に挑みかかる様なつもりで一作目をやって、戦った覚えがあるが、やってゆくうちにドンドン相性が深まって行って、最後の方は力を合わせて映画を作っていって、たのしい時期でした。

10年前だったらこの企画(「愛を積むひと」)はやらなかったと思います。
この年齢になって、一番主人公達に共感できる映画になったのかなあと思います。
これから、これまで培ってきたものがそろそろ滲みだしてくるかもしれない。
一人、二人、でもいいから登場人物に自分自身が共感できる、こういう人間ているんだよなと言う風な事を感じられる、美しい共感のしかたでありたいとは思う。
人間味のあるものを撮るしかないと思うし、一人一人にじっくりと取り組めるような映画を撮れればいいと思います。
シンプルな話をシンプルに撮れるようになれれば嬉しいと思います。
ドンドン単純化してドンドン単純であるが故に、深みが出てくる方向に演出の力がいければいいと思います。