2015年7月23日木曜日

張 偉(作家・親鸞研究家)    ・「親鸞に学んだこと」

張 偉(チャン・ウェイ)(作家・親鸞研究家)   ・「親鸞に学んだこと」
中国吉林省 長春市生まれ 中国伝統の漢方医の父と看護師との間に生まれた張さんは、文化大革命の時、ごく普通の人が烈しい動乱の中で、非人間的な行いをしてしまうのか、思い悩んできました。
救いとなったのは野間宏を通じて知った親鸞の思想でした。
張さんは長い歴史の中で、何度も戦争を体験した日本と中国が、未来に向けての友好な関係を築く鍵の一つが親鸞の思想に在ると考えています。
20年ほど前、野間宏から親鸞の数々の著作が送られてきました。
中国の人々に親鸞の思想、考え方を知ってほしいという思いで、去年、8年かけて親鸞の著作「教行信証」を中国語に翻訳しました。

20年前に日本に留学、名古屋市の大学の准教授として、作家、親鸞研究家として活躍。
「教行信証」は沢山の経典の引用の様になって成りたっています。
親鸞の独自の訓読と読み換えによって、親鸞の思想を表す書物になっている。
中国の漢文で書いた経典は、多様な意味が一文のなかに含まれている。
日本語に訳される時に、一つを選ばなければならない。
親鸞は独自の読み替えによって、理解をしています。
「教行信証」の核心は「他力本願」です。
「他力本願」は自他対立の他力ではありません、自力を否定する他力でもありません。
自力を包んで、全て抱擁する包み込む大いなる他力です。
全て溶け込む大いなる他力です。
一滴のしずくが海に落ちるような、自力と他力の関係があります。

「他力本願に帰依する」 →何か介在する力にゆだねるのではなく、一滴の水が海に入る様な感じです。
親鸞の教えを長く味わっているうちに、言葉を越える大切な感覚が育まれるという事です。
「慈悲」の根源的な意味は、子を慈しむ親心で、感謝と痛みや喜びを共有すると言う事です。
「同体大悲」 悲は他者の命と痛みを共有する事を意味します。
全ての命が一つの体になるように、全ての命の苦しみを自分自身の痛みとしてして感じ、全ての命を苦しみから救いだそうとするおおいなる働きです。
絆よりももっとおおいなるもの、おおいなる働きに包まれるような感じです。
野間宏 1982年中国作家代表団の招待で招待されて、日本文学の紹介雑誌を作ると言う事で長春で野間宏の「暗い絵」という作品を中国語に翻訳してほしいと、私(張偉)のところに依頼がきました。(25歳の頃)

戦後文学の代表的な作家、終戦を迎え、日本人の心はいままで信じ込んでいた物を失い、これから何を心の頼りにして生きていくかわからず空っぽになった。
日本人の心の頼りを求めて、戦争を体験した文学者たちは文学創作を始めました。(戦後派文学)
「暗い絵」は戦後文学の第一声と言われるが、私はそれを中国語に翻訳し、出版されました。
私に親鸞の著作を送ってくれ、自分の文学の中の親鸞を明らかにしてほしいと、私に託しました。
未完の課題を誰かに託さなければならない、最も言い残したいことを誰かに吐露しなければんらないと痛感したようです。
野間さんが病気で入院する前に、是非親鸞を徹底的に学んでくださいという手紙をくださいました。
送った論文に対して厳しい怒りの手紙が突きつけられた。
野間宏が自分の文学の中の親鸞について触れた初めての言葉であり、最後の言葉であり、野間文学の研究にとってはとても貴重な言葉になりました。
日本の研究者ではなく中国人である私に託されたことであるという事、最も言い残したいことを洋々たる海を越えてはるばる中国大陸にもとめた事、この行動はとても不思議だと思います。

「暗い絵」 ムンクの叫びの絵があるが、其れに似たような感じがあるが、ブリューゲルの絵の持つ暗い痛みや呻き、嘆きに突き上げられるのを感じた、その絵は存在、社会の欠陥をむき出しにし、噴き出し訴える様な、肉体の嘆きの様な、腐敗した大きな腫れ物の様な表情で、痛い傷の痛みの様な調子で、心に一斉に迫ってきたと感じた。
言葉を越えて何か訴えている様に感じた。
親鸞の思想は「命の平等、無差別」という大きな考え方。
私が親鸞に魅かれたのは文化大革命の体験があったからです。
私は少女時代から青春時代にかけて文化大革命を体験しました。
文化大革命は文化的な革命を装いながら、裏には凄まじい人間闘争が渦巻いています、毛沢東は自分の権力を維持するために、中国人の中に階級的貴人?(よく聞き取れず)が存在すると主張して、人民に彼らをいじめる権利を与えました。

階級的?にされた人々は毛沢東の政敵、元の地主、文化人みたいな人々。
文化大革命の本質は階級的?にされた人々をいじめる運動でいじめは過酷でした。
酷い時には毎日のように殺されたり、自殺したりしていました。
毛沢東は10代の少年少女を利用して、彼等に革命を呼び掛けて、毛沢東崇拝の中で育てられた彼らは自発的に紅衛兵を作り、毛沢東の意志に従って物を壊したり、人を殺したりして、集団的に革命的に行動しました。
故郷 長春は旧満州の時代、14年間日本人と一緒に働いたり生活していたりしましたので、文化大革命の時代に日本人との関係で、糾弾されたり、自殺に追いやられたりしたものが多かったです。
私の父もその中の一人で、病院で医師として勤務していましたが日本語が達者だったこと、旧満州の時代に日本人の法律事務所に務めたこと、日本人とともに病院を経営したと理由で、日本のスパイとして糾弾されることになりました。

父は医者の職を奪われ、肉体労働をさせられ、怒鳴られたり殴られたり家にも戻って来た父の身体は傷だらけで、刃の様に私の心に刻み込まれ、いつまでたっても消えることはありません。
父親の心にもっとも深い傷を付けたのは、私なのです。
当時小学生でして、日本のスパイの娘としていじめられ、うつうつとして、ついに或るとき家で爆発しました、どうしてこの家に生まれたのか、革命家の家に生まれればよかったのにと叫んで、家から飛び出しましたが、その間際に見た父の顔は今も心が痛みます。
私は苦しみから逃げようとしてすべてを怒りを父にぶつけた、外の圧力に恐々としていた父にはさらに内側から圧力を加えることになりました。
それは父親を自殺未遂に追い詰めた原因の一つになったのです。
文化大革命は人間の深い闇を見せつけましたが、文化大革命をリードした人、実際に人を殺した人の闇だけではなく、わたし自身の闇をも思い知る事でした。
文化大革命の大変が無ければ、私は本当の意味での親鸞との出会いはなかったかもしれません。

母は旧満州の時代、満州映画協会のタイピストとして7年間勤めましたが、日本人とかかわりがあったこと、日本語が話せることを必死で口にすることはなかった。
文化大革命後に、母は徐々に旧満州の時代の出来事、過酷な時代に日本人と育んだ友情などを話してくれました。
それをきっかけに私は旧満州の歴史上の人物、事件について詳しく調べ始めました。
人物、事件の多面な様相が現れてきて、それは今までの教科書、マスコミ、歴史記録と大きくずれています。
人類の歴史は各時代の勝者の都合によって添削されたものです、勝者が横行になり、敗者は卑賊になるという歴史観を踏襲してきた。
勝者は善の場に於いて、敗者をいじめることによって、自分の良い姿勢を証明して欲望を満たします、其れに対して敗者は悔しさを抱えて復讐の真理を育んで行きます。
一つの戦争が終わると、次の戦争の種をまく事になる、人類数千年来続けてきたこと。
663年白村江の戦いから1945年日中戦争終了まで、戦いの歴史を繰り返してきた、1000年の間に5回戦い繰り返してきた。

「旧満州の真実 親鸞の視座から歴史を捉えなおす」という本を出版する事になりました。
大きな時代の流れを見つめながら、父や母が体験したことなどを取りこんで組み立てた。
その中で1923年関東大震災の時 無政府主義者大杉栄、伊藤野枝 甥7歳(橘宗一) 等を無残に殺害した人物甘粕正彦の満州での姿を母から聞いたままに描きました。
親鸞の人間の悪としての、絶対平等性という親鸞の視座から彼の人生を捉えなおしました。
そこには深刻な存在の矛盾を抱えながら、人や国が泥沼にはまり込んでいった時代の中、懸命に誠実に生きようとした人間らしい姿が立ち現われてきたのです。
親鸞に出会って親鸞に教えられた痛みがあります、この痛みは親鸞思想の核心だと思います。
親鸞は人間を、闇を抱える存在として捉えます。
自我執着心→自分を中心にして自我拡大をしようとする心の働き。(欲望の満足を求める心の働き  財産、自分の勢力範囲を拡大しようとする働き)
分別心→物事が 静と動、善と悪、正義と邪悪 (黒白をつける) 
この二つは常に相関関係にあって、拡大してゆくように働く。
欲望の満足を求める人間は、自分の身を善の場におこうと欲望を正当化します。
戦争は集団が欲望を求める行い、しかし、国のため、正義のためと、大義名文によって正当化される。
正義感に煽られた欲望は歯止めが利かなくなり、おびただしい数の人間が人間によって殺されることになるが、人を殺したものに罪悪感がありません。
文化大革命の事を深く考えているうちに、このよう悩みを抱えている人間の心の奥底には、密かに育まれた隠ぺいな欲望、それは世の中に自分より劣った者を見出して、その存在を証明する喜びを求めることです。
自分より貧しい、能力のない人、不幸な人を見出すと一種の満足の喜びを感じるという心理、この欲望は食欲、金銭欲、権力欲等の様に形を取ったものではなく、欲望として意識されていないものの、実はいかなる欲望よりも深く求められ、最も人間心理に満足の喜びを与えるものなのです。
他者を見下すことによって優越感を証明する、これこそいじめやさーびす?(よく聞きとれず)の真理の根源です。
暴力的ないじめは隠ぺいされた欲望を肉体に満たそうとする働きの表れですが、文化大革命の時代の残虐ないじめ行為の真理の根源でもあり、日中両国の間の溝の底に潜んでいる闇であると思います。
闇を抱えた人間に親鸞が下した処方箋があります。

「誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞(ぐとくらん)、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の太山(たいせん)に 迷惑して定聚の数に入る事を喜ばず、真証の証に近づく事を快しまざる事を、恥ずべし、傷(いた)むべし、と。」
愚かな親鸞と読んでしまうが  愚は煩悩と闇の同意義語  煩悩を抱える人間を意味すると考えられます。  
罪深い人間の中の一人として、すべての存在の罪を一身に背負い、罪悪煩悩の奥の中にもがいている親鸞、すべての人間の姿です。
闇を抱えた人間に親鸞が下した処方箋は「恥ずべし、傷(いた)むべし」
痛みを伴う罪への自覚は、仏教に於いての懺悔。
「人は世の世の中に生きている限り、よく生きようとしても無意識的にも欲望の満足を求めたり、人の不幸を見て自分がそうならなくてよかったと思ったり、縁あって出会う人を傷つけたりするが、そういう存在の罪を鋭い痛みとして感じることは仏教の意味に於いての慚愧(心が刻まれるように心に切れ目を入れられるように、痛切な心に痛みを表す一文字です)

毛沢東思想の核心は階級闘争です、怒り、憎しみが増幅されて益々固く冷たくなる心が、親鸞の教えを味わっているうちに、逆の方向に育まれている事に実感しています。
言葉の意味を越える大切なものを教えて頂いた様な感じです。
「教行信証」の中の言葉 「煩悩の氷解けて、功徳の水になる」
人間の心の変化を、氷が水に溶けている様に例えている。
いつか中国の人々に親鸞の思想を、深く理解していただきたいという気持ちです。
未来の道は共に存在の悲しみを抱え、繰り返して過ちを冒し続けてきた人間の罪を共有していたむ、人間の悪としての存在の絶対平等性というところに立脚して、共に慚愧してゆく、そこには人と人、国と国が繋がってゆく道が開かれるのではないかと思います。