昭和24年東京生まれ、早稲田大学では演劇を学び、昭和46年劇団表現劇場を結成します。
この時のメンバーは、大竹まこと、きたろう 斉木しげるさんでした。
昭和52年からはつかこうへい 事務所の「熱海殺人事件」、「蒲田行進曲」等に出演して一躍 注目されました。
以来舞台、映画TVと幅広く活躍しています。
又落語家としても定期的に高座に上がり、言葉だけで表現する世界を追求し続けています。
今月末には新たに能「船弁慶」の一人語りに挑戦します。
5月7日~6月30日まで北海道から関西まで、2カ月間旅公演をやってきました。「バカの壁」
加藤健一さんと一緒に30年ぶりの共演です。
爆笑大喜劇です。
「マッサン」の終わったあとだったので、熊虎さんよかったよ、と言ってくれてうれしかったです。
大阪NHKでのニシン御殿は建てっぱなしであるが、ひげ、帽子、メガネなどがすでに揃っていた。
熊虎は豪快であるが繊細で、情の深い人だった。
能「船弁慶」の一人語りに初めて挑戦。
戸惑いつつもきちっとやろうという覚悟です。
義経が弁慶たちと西国に落ち延びてゆくと言うのが話の内容で、今回は現代語訳を取り入れてという新しい一人語りの世界。
弁慶、義経、静御前等を一人で演じてゆく。
素読みに近いとか、講談みたいなタッチもあるので色々検討中です。
第一部が独り語り、第二部が能「船弁慶」が伝統的なスタイルである。
落語家としても高座に上がっている。
多い時は年に40ステージをやっているが、14~5年になる。
子供のころから落語は好きだった。(当時娯楽はラジオだった)
父も落語が好きで連れられて行ったりしていた。
芝居の中で落語を演じる場面があったが、林家正雀師匠に手ほどきをしてもらったが、自分で落語をやってみると人前でやってみたいという意欲が出てきて、鶴瓶師匠から声がかかって、演じたら褒められて、そのうちやっているうちに風間杜夫独演会の形で地方に呼ばれて、古典落語を12本覚えて、まくら部分は自分が作るわけで、好評だった。
古今亭志ん生が大好きで、録音を聞いたりして、独学でやっています。
聞く分にはいつでも聞けるが、自分の場合は一行一行文字で起こしていきますが、それが一冊のノートになる。
次に自分の声で吹き込みます、それを耳で覚えてゆく、それを3~4日集中してやります。
どこかの弟子にとの話もあるが、縦割り社会があまり好きでなくて、一人でいたい。
出囃しは「蒲田行進曲」
1997年から一人芝居に取り組んでいる。
たった一人で舞台に立って、最初は怖かった。
ずーっと見られている事に、視線が痛いと感じた。
2000年からスペインで「カラオケマン」を初演、好評で韓国4か所、中国3か所、アメリカ3か所、ルーマニア、ハンガリーでもやった。
最初は同時通訳から、その後パソコンで字幕を舞台に写す事を行い、絶妙なタイミングで行えた。
中年サラリーマンの生活の話。(どこの国でも共通する内容で好評だった)
5部作まで作って、2010年一挙に上演した、4時間45分舞台上にいる。
団塊の世代の人が主人公だったので、この時もう61歳だったのでもうこれはできないと思って終止符を打ちました。
2014年新たな独り芝居、年齢が95歳の設定になっている。
戦争をくぐりぬけてきた年寄りに、もう一度、あの戦争を語らせたいという事で、「正義の味方」と言います。(全国14か所回ります)
落語に出てくる下町の言葉は好きですね。 「まっつぐ」、「はんちく」等父はよく使っていました。
萩原朔太郎の詩 「時計」 繊細な細やかな世界が言葉になっている作品。
静寂の中に時計の音だけがあり、孤独を感じたり寂しさを感じる。
「時計」 朗読
「古いさびしい空家の中で
椅子が茫然として居るではないか。
その上に腰をかけて
編物をしてゐる娘もなく
暖爐に坐る黑猫の姿も見えない。
白いがらんどうの家の中で
私は物悲しい夢を見ながら
古風な柱時計のほどけて行く
錆びたぜんまいの響を聽いた。
じぼあん・じやん! じぼあん・じやん!
古いさびしい空家の中で
昔の戀人の寫眞を見てゐた。
どこにも思ひ出す記憶がなく
洋燈(らんぷ)の黄色い光の影で
かなしい情傷だけがたゞつてゐた。
私は椅子の上にまどろみながら
遠い人氣のない廊下の向うを
幽靈のやうにほごれてくる
柱時計の錆びついた響を聽いた。
じぼあん・じやん! じぼあん・じやん!」