2014年1月11日土曜日

長岡照子(防災未来センター語り部)    ・備え忘れず残された私は生き抜く

長岡照子(防災未来センター語り部)    備え忘れず残された私は生き抜く
兵庫県西宮市 1995年1月17日の朝激しい揺れに見舞われました。
この阪神淡路大震災で、弟を亡くし、自らも腰を痛めて足に障害を起こしました。
一時期は鬱状態になって、家にこもりきりになりましたが、仮設住宅のボランティア活動を通じて次第に心を開く様になりました。
10年前からは亡くなった人たちの無念を伝えたいと、兵庫県の人と防災未来センターで語り部ボランティアを続けています。
神戸生まれの長岡さんが経験した昭和13年の阪神大水害、太平洋戦争、阪神淡路大震災
先を読み備えることが大切だという長岡さんが、86歳になった今、若い世代に伝えたいことは、なんなのか伺いました。

西宮市の団地の4階で地震にあった。 そのときは揺れよりも地響きを感じた。
いきなり、布団ごと上下した。 全部棚から落ちてきた。  声も出なかった。
息子も上から落ちてきたもので阻まれたが、何とか脱出して、私を通り越して玄関の方に向かっっていって、先に私を助けだしてくれずに、ドアを開けようとしたが、ドアが歪んで開かないので、息子が体当たりして暫くしてから開いた。(逃げ道の確保が先ず必要)
後の余震が長くて怖かった。
仏壇と琴が倒れてきていて幸いに琴が仏壇を上手く支えてくれて、その間に起きれないで居た。
ようやく息子が私を引っ張り出してくれた。
(今から3年前には足が動けないようになって手術をした。)
水を確保しようとして、浴槽からは水がちょろちょろ出たので、そこから段ボールの内側にビニール袋を入れて、水を確保した。
水道管が破裂して水たまりができて、その水たまりから水を掬って持ち帰った。
給水車が来てくれるようになって、寒い中、2時間待って水をもらった。
切断されてしまった高速道路でバスが、落ちそうになっていたのは、西宮神社の前のところ。

明石に住んでいた弟が亡くなったことが嫁さんから知らされた。
私の弟である長男が、17歳で戦時中、特別幹部候補生志願して、戦闘に参加しようとしたが、通信兵になり、浜松の飛行場で仕事をしていたら、敵機がきて、機銃照射でやられて、右手が肩の少し下あたりから無くなってしまった。
苦労して左手一本で1級建築士を取ったが、右手が無いことで落胆して、自殺未遂をする。 7回
其中で奇跡的に命を取り止め、仕事をするようになり、そのうちに人を使くようになって、夫婦でがんばってきたが、阪神淡路大震災の時に下敷きになってしまって、病院に入って4~5日頑張ったが、亡くなってしまった。
新聞で語り部募集の記事があり、これらの苦労を無駄にしてはいけないと思った。
私は大震災で腰をやられて、歩くとコツンコツンと音がして、段々右足の方が痛み駄目になってきた。
息子の店もやられてしまっていた。
心身症となる。 心の病なので人と話をしなさいといわれたが、団地なので話す相手もいなくて、外には出なくて、気持ちが開く事も出来ずに、鬱になってきてしまった。
仮設159個出来る。 そこにボランティアで参加するようになる。
仮設住宅の表札が無くて、判りにくいので、かまぼこの板に絵を描くことを思いたち、新聞社等に協力を依頼してかまぼこの板の募集を行った。
一杯送られてきた。
動物とか花とかいろいろ描いて、仮設住宅に取り付けた。
協力者が出てきて、女子大学生、大工さんなどが協力してくれて、相談に来たりして来ているうちに、病気も良くなってしまった。
私の実家は紙問屋をしていた。  昭和13年に大水害にあう。 その時に水が大事だと思った。
水道は止まってしあったが、井戸水があり、それで助かった。
生きるためには、何よりも水が大事だという事が判った。

太平洋戦争の空襲がその7年後にある。 実家は燃え焼けてしまった。
身の周りの必要な物は、リュックに詰め込んでいて、それをしょって逃げることをいつもしていた。
戦後は明石の県営住宅に入って5~6年生活していた。
非常時の身の守り方は、身について、人よりも先を見るようになった。
60歳前後の女性たちが来て、笛を首にかけていて、「笛を持っていますよ」と言ってくれた。
バックなどい笛をいれておいても役には立たない。
役立ってくれていて、ホッとする。  無駄ではなかったと思っている。
かまぼこ板は東日本大震災の仮設でも持って行った。
大震災から19年、語り部をはじめて10年 伝えたいことはいっぱいあるが、負担が重い。
自分の命を粗末にしすぎる。 世の中平和なほど命を粗末にする。
親が子を殺す、子が親を殺すことはなかったですよ。
所謂、「自己本位」になっている。

昔は親は子供に為に犠牲になってもいいと思っていたが、今はそれが無い。
昔は、震災直後は分け合って食べていた。 「我欲」が強くなってきてる。
「欲ではなくて自分の命」だけは守って欲しい。 授けられた尊い命 命の大切さ、尊さ。
今はあまりにも命を粗末にしすぎる。
6400人の方の無念さを持って帰ってその人の分まで生きてください。
自分が10年生きられるとしてら、その人たちの分も1年2年加えてください。
皆さん、したい事は生きている限りは出来るが、その人たちはしたいことができずに断ち切られて、突然の不幸で命を亡くしているので、・・・それだけです。

①逃げ道の確保  ②水の確保  ③知らせるための笛の確保 ④携帯ラジオ  ⑤携帯電話  
を身につけること 、寝るときには袋に入れて、プラスチックの安全ピンで布団に付けておく。
強い揺れで思わぬ方向に飛んでいってしまうので、留めておいた方がいい。