2014年1月28日火曜日

増田勝彦(和紙文化研究会副会長)・温かな和紙の心を語る

増田勝彦(和紙文化研究会副会長)  温かな和紙の心を語る
1月は1年の中でも和紙を使った、和の生活様式がよみがえる時期です。
寒中、寒のうちは和紙の原料の寒ざらしや紙すきが行われる季節でもあります。
増田さんは永年和紙の研究や利用に携わって是れました。
もともと和紙を利用した表装の仕事を手掛け、その後大学では和紙の歴史や利用法等の講座を担当してこられてました。
和紙の利用は正倉院の文書から始まり、江戸時代には生活のあらゆる場面や浮世絵に代表される芸術品の材料としても活用されてきた日本独自の工芸品です。

和紙の使用の傾向、数十年前までは年末に障子を張り替えて、新しい年を迎えるという事があって、多かったんですが、この頃はマンションは障子紙が無くなって、正月に半紙を年賀として配るような風習も無くなった。
和紙を使ったポチ袋(お年玉袋)、慶弔の包み紙については、デザイン面、和紙の風合いからまだまだ愛着のある人がいる。
和紙が大量に作られた時代は夏は百姓さんが農作業で忙しい、冬になったらこうぞの伸びたのを刈り取って、和紙作りの準備が始まる。
山間が多いので、畑仕事は済んでから始まる。
刈り取った枝を大きなこしきの中で蒸して皮を剥く作業をみる事が出来る。
もともと栃木県から始まったが、地元の手すきの工房に行って、小学生が自分ですいたりして自分たちの卒業証書にしようと、地元の事をよく知ろうとお、社会勉強に一環として、また形がそのまま残るという事で、推奨されて各地で行われている。

営林署に務めようと思ったが、自分の性格に合わないと思い、表具の職を選びました。
表具はいろんな和紙を使う。 古い文書、絵画の修復を専門とする表具屋だった。
掛け軸、屏風などを作った。
手触り、透かした様子、はけの扱い、 水につかった時の様子、いろんな状態の紙の様子が解るようになった。
その後文化財研究所に勤める事になり、昔は高松塚の壁画の固定等問題にはなったが、最初の固定にも携わった。
海外の人に和紙を使った研修にも参加して、作り方の指導にもあたった。

昭和女子大の光葉博物館、顧問 大学では博物館関係のうちの保存論を中心に話した。
表具師として仕事をしていると、中国の元時代の京の紙を修理しなくてはいけない、鎌倉時代の古紙にに金泥で書いたものも修理しなくてはいけない。
それぞれの手触りが違い、疑問が起こったことに対して、研究の対象として、大学に移ってから研究の対象としての和紙になる。
和紙は中国から技術が朝鮮半島を通してきたといわれるが、中国では紀元前から紙と言うものが作られている。
日本にやってくるのは、7世紀のものがある。
絵や文字を書く材料がさがされたが、中国では木簡とか竹簡とか細長い者に文字を書いていたり、まれに絹に書いたり、石に刻んだりしていた。

文字ができるよりずーっと遅れて紙が登場する。
エジプトでも絵、文字を書きたくてパピルス層をスライスして重ねて圧縮しておくとお互いにくっついてシートが出来て、沢山のパピルス文書ができている。
パピルスが英語のペーパーの元になったといわれる。
日本では木簡、竹簡がルーツになっている。
正倉院に行くと1万点以上の和紙の古文書が残っている。
世界の7不思議だと思う。(7世紀のものが健全に残っている。)  通常通りに扱える。
麻からも随分出来ている、奈良時代の紙は麻からも紙が随分出来ていて、丈夫で、お経等一番大事なものは麻から作る、天皇が書く様な紙も麻から作る。
一般的なものはみつまた、こうぞから作る。
日本は楮の紙が出来てくる。 楮の技術が発展してくる。

楮自身は紙が伝わってくる以前から繊維として使われてきた。
正倉院にも地方の戸籍が残っており、紙の地域差がみられる。
越前、土佐、美濃が有名 手すきの和紙を作っているのが全国で200軒弱。
和紙関係者は大変な危機感を持っているが、ドイツ、イギリス、フランス、イタリアでも有名な紙の産地だった。
それらの国では数軒以下、国に依っては全然ない。
日本はそういう国から見ると、1000年以上前から手ですく作業がずーっと続いているのが、200軒あるという事は或る意味、不思議なくらいな事、日本人の感性と言うものだと思う。

越前和紙、手すき和紙 越前奉書や鳥の子は高い評価 厚めの感じ。 
よーく揉むと柔らかくなるが、刀を手入れするときにうちこでといで、拭い紙として使われる。
いろんな工夫をする産地で岩野平三郎さんが日本画用の和紙を開発する。
「雲肌麻紙」という。  すこしむらがあるところを雲肌という表現をする。
東山魁夷平山郁夫 さん とか著名な画家がいるが、院展とか日展に行くと紙に描いた日本画が展示されている。
明治以降、近代的な日本画の表現に丁度いい画用紙だった。
麻とこうぞの繊維の組み合わせで新しい和紙を開発したのが岩野平三郎さんですね。
今でも続いていて、主材料になっている。
すみ流し、水の表面に墨を垂らして、花の油や鬢付け油で散らすと広がり、それを繰り返して、団扇で波を起こしていろんな形になる、そのまま移し取ったもの。
段紙?(だんし)、しわしわ 濡れた紙を2枚そのまま置いておいて、端からめくってゆく時に、2枚の表面と後ろの差で、しわの様な形になる。

土佐和紙、清張紙 こうぞの紙でしっかりして紙  尾崎しげるさんの工房で作っている。
温かみのある感じの紙。
土佐典具帖紙  薄くて透けて見える陽炎の羽のように繊細、海外では美術品の修復に結構使われる。
薄いから張っても目立たない。
こうぞの皮の白いいい部分だけを使っている。
うすようがんぴし、材料ががんぴと言う材料 薄さは同じで薄い。 謄写版の原紙用に作った。
平安時代はいろんな色に染めて重ねてふみを出すな度に使われた。
がんぴの木は栽培が難しい。  墨がにじまない紙

美濃和紙、書院の障子紙 本美濃紙は無形文化財として認定されている。 最高級障子紙
上品な白さ、うっすらとクリームがかっている。  むらがない。
むらがないのを助けるのが、とろろあおいと言う練り、おくらの花と全く似ている。
根っこを潰してから水につけるとヌルヌルの粘液が出てくる。
繊維がお互い絡まりにくくて、すくったときに、なかなか水漏れが遅くなるので、すけったを揺らして均一にする。 むらの無い紙ができる。
そば粉のつなぎにも一部では使われている。
薄美濃紙 表具の修理などにも使われる。

新しい和紙の使いかた、紙のチョッキとか財布とか、紙の布として、着物地、おび、ワイシャツを作ったりする。
和紙の繊維の織物として数社が工業的に作っている。 洗濯できるし、風合いもいいし
、温かい。
近代建築の内装の装飾にも和紙を使ったりしている。
いろんな使われ方がされている。
ヨーロッパでも見直されている。
薄くて柔らかくて、自分でいろいろ加工出来て、製品として安定している(1000年以上の実績がある)、修理し材として歓迎されている。
世界中で用いられていて、ニューヨークのメトロポリタン美術館の紙の修復部門では和紙が引き出しにきちっと整理されて置いてある。
大英博物館でもそうだし、美術館、博物館で和紙の置いてないところはないぐらい。

古文書、絵画の修復材料として、信頼されている。
酸性紙、酸性物質に犯されて茶色ぽくなって、ぼろぼろになるが、和紙はそういう風にはならない。
和紙が天井の汚れを取る薬品を含んでいて、天井にそってくれるという事でシスティーナ礼拝堂の天井、ミケランジェロの書いた壁画の修復に活躍した。
外国人も興味を持って東京文化財研究所に、1年おきに20名ぐらい研修生が来て、3週間から1カ月、修復と手すき紙の見学を含めて研修している。
安心できる素材、目に非常に穏やか、さわって感じのいいもの
和紙の作りが200軒残っているのは日本の感性だと思うので、材料としての紙ではなくて、素材そのものが持っているものを楽しみながら使うと言うのが日本人の心の中に捨ててはいないんだろうと思うので、実物を触ったりしてもらって、話を進めるようにしている
手作りなので、高いという事はあるが、伝統的工芸品が残ってるのはほかの国にはないので、皆さんにそれを伝える事が夢です。
江戸時代には膨大な印刷物が作られたが大量に虫に食われて、ごみ箱に捨てるものだといわれて、永年何十箱も集めてきたので、その繊維を生き返らせたい。
奈良時代の紙まで勉強しているので、すき返して当時の紙をよみがえらせたいと思っている。