2014年1月22日水曜日

山田百合子(NPO法人・代表理事) ・施設の子どもの未来を支えたい

山田百合子(NPO法人夢の架け橋プロジェクト代表理事) 施設の子どもの未来を支えたい
62歳 衛星映像プロデューサーとして世界各国で知られた方です。
日本ではモータースポーツが定着していないころから、映像制作活動をめ多くの貴重な衛星映像を所有しています。
NHKでもモータースポーツの番組を多く手掛けファンの心を躍らせてきました。
山田さんの人生に変化が起きたのは、風邪から始まった脊髄炎の病でした。
山田さんは車椅子の生活と成り、映像制作も思うようにできない毎日が続きました。
そんな時、やりたいことができた自分の人生を子供たちの為に役立てたいと思い、児童養護施設の子供が夢を持てるように支援活動を始めました。
支援の仲間も徐々に増え続け、2011年にはNPO法人の代表理事になりまいた。
こうした活動で山田さんの人生も子供たちの明るい顔に救われたと言います。
モータースポーツの世界から夢の架け橋プロジェクトに力を注いでいる山田さんに伺いました。

衛星放送が始まったのが25年ぐらい前 モータースポーツの番組 
87年に会社を独立したときに偶然にFIを始めた年。 
バブル景気の最盛期なので苦労しんなかった。
ル・マン 最多優勝記録6回して、ジャッキー・イクス ベルギーでは王、長嶋の様な存在で、その人のコマーシャルを撮るので出掛けた。
幼稚園の子供たちがイクスさんだと見つけて、イクスさんが無事に戻ってくれる良いうに皆でお祈りしましょうと手を合わせてお祈りしたシーンを見て、感動した。
ジャッキー・イクスさんは尊敬されて名誉な事とさせている。
モータースポーツはヨーロッパでは尊敬されているが、日本ではそこまで行ってない状況。
ヨーロッパでは一つの文化として定着している。 レースに敬意を表する。
単なる競技ではない。 女性は着飾ってくる。
取材するチームに対する敬意として、チームの衣装に合わせるように言われ取材に出掛けた。
ベルトが違っていてベルトまで揃えるようにいわれて、ベルトを買いに行った事もある。

2000年10月 風邪から脊髄に菌が入ってしまって、脊髄に炎症を起こして、脊髄損傷ではないので、一生歩けなくなることは無いのでは、と思ったが、ぷつぷつと切れていて、一生寝たきりですと判断された。
自分では寝たきりになるとは思わなかった。
病院ではもう治ることは無いということでリハビリは出来なかった。
3か月たつと人間の体は固まるのでまずいと思って、マッサージを毎日2時間、自分でお金を払ってきてもらって、足をぐるぐる固まらない様に動かしてもらった。
痛み止めの注射をしていたが、止めてていかなければいけないので、痛みが凄くなって苦労した。
友達になるしかないといわれて、友達になりたくなかったが、13年付き合っている。

私は忙しかったので、神様が休みをくれたのだと思って最初は良かったが、痛みが出てきてとんでもない病気にかかっているとおもった。
或る方が神様があなたにメッセージを送ってくれているんだと言われた。
アイルトン・セナが亡くなって、10年になり番組を作ろうと思っていたときに出来なくなって、アイルトン・セナが自分の生れた国にセナ財団を作って、仕事を覚えさせたい、文字を覚えさせたいと、思っている矢先に亡くなった。
病気になったのが49歳の時だったので、リタイアを考える時期だったので、まあよかったかなあと思った。
母が好きなことをなんでもやりなさいと言って何でも応援してくれて、そういう親がいてなんでもできた。
アイルトン・セナも親がいないお子さんたちを面倒みる財団を作ったが、ふと日本の場合はどうかと、養護施設に連絡してみたら、いろんなことを抱えている。
もし私に親がいなかったらすごく悔しかっただろうと思って、私は恵まれた環境で仕事もいろいろな人に出会えて、そういう人たちのおかげで自分があるのだとしたら、今度はわたしが子供たちの為に何かお手伝いができるのなら、その経験が生かされるのかなあと寝ながら考えていた。
セナの亡くなった5月1日に鹿児島に入院していて、映像見せたり、モータースポーツの話をしようと思っていた。
市民ホールが偶然一年一杯詰まっていて、たまたま5月1日だけ空いていたので、これはやるしかないと映像を見せたり、話をしたり、右京さんも来てくれて話をしてくれた。

セナが亡くなって、10回忌をやろうと思った時に、改めてセナの事を調べたが、天才ではあると思うが、すごい努力家だった。
夢を持って頑張れば、夢は叶うんだよと彼は伝えたいので、彼は頑張ってきた。
僕の姿を見てほしいと、地獄の子供たちにその姿を見せたかったんだろうなと思った。
私も養護施設の子供さんにも夢を追いかける何かをお手伝いができないかと思いました。
あなたはラッキーねといつも言われていた。 
こういう風にできたことはやはりラッキーだったので、病気したときには、出会えた人たちに応援してもらえれば、お子さんの為に、その役割を私が荷っているんだとすれば、もしかして神様がこういう姿にさせたのかしらと思った。(妹に話したらあなたはどこまでノー天気なのと言われたが)

スポーツ選手で大成した人は、ボランティアで福祉の方に移るが、どうして日本と違うのでしょうか?  その辺の精神が凄いと思う。
子供たちの芽を育てたいというような思いも有ると思う。
税金制度の問題も或る様にも聞いている。  応援に対しては税金の掛け方が違う。
税金制度で企業も儲けた金を寄付に使いましょうと出てくるのでしょうが、出来なくてそこが凄く残念。
現在養護施設に3万人子供がいる。 
2000~3000人が18歳で出てゆくが、夢を持って出ていけるのか、出てゆくと住む家が無くなってしまう。
アパート借りるのにも保証人がいないし、お金がないとアパート借りれない、そこから先ずつまずく。(住み込み制度がない)
路頭に迷う、優秀な子もいるが日本ではほとんど寄付を取れる仕組みになっていないので、日本の仕組みが良くなってほしい。

京セラの稲盛さんの主催のボランティアの「盛和塾」で私も15年やっていて、そこの仲間が賛同してくださる方が増えてきてくださって、ただその方たちで運営できるかと言うと出来なくて、半分以上は会社の協力を得ながら続けている。
18歳で子供たちが出てゆくが、住まいをどうにかしたいとテーマにしていたが、手が回らなかった。
今年で10年 稲盛さんの本を読んでもらって、読書感想文を書いてもらって、優勝した人に対して稲盛さんにコメントしてもらう。
絵画コンテスト、作部、レーサーの人を呼んで、話をしてもらったり、7年間の体験ツアー ブラジル、韓国、鹿児島、北海道に連れて行ったりする。
そこで養護施設の子供と一般の子供と一緒に生活をしてもらって、夢を育てていってもらう。
お互いに手紙、メールのやり取りをするようになってきている。

体験ツアーでカートに乗せる。 右京さん、脇坂さんとかが来てくれて一緒に走ってくれる。
最初乗り気でなかった子が眼を輝かせるようになった。
本人の気持ちが一番大事で、その背中をちょっと押してやる様にしている。
仕事を通して素晴らしい人達の出会えたことは、ラッキーだった。
トップに立った人はトップに立つ理由があるなあと思う。
経営者、にしても、スポーツで頂点に立っている人は、人間として凄くチャーミング かわいい。
そこが、人を引きるけるものがある様に思う。

夢の架け橋プロジェクト ファミリーが130名ぐらいになった。
行方を見守らくてはいけないし、増やしていきたいので わたし自身が夢を持っていたいし、応援したいと思ってくれる人間でないといけないので人間としても成長していきたい。
子供は後を継いでくれなくて、部屋は空いている、そういった人達と、養護施設のお子さんとがくっついて、養護施設のお子さんをかわいがってあげる事で、自分たちもハッピーになれる、子供たちも道を誤ってしまうのか、路頭に迷わず、国を支える大人に育ってゆくのかは大きな違いなので、そのきっかけになれる様な、そのきっかけを何とかやらなくてはと思っています。