2014年1月18日土曜日

東 快應( 安倍文殊院・執事長)   ・ 文殊様のたなごころ

東 快應( 安倍文殊院(華厳宗)執事長)   文殊様のたなごころ
奈良県桜井市にある安倍文殊院 は大化の改新の時に左大臣になった安陪倉梯麻呂の一族の氏寺として建立した古刹です。
阿倍 仲麻呂や陰陽師として名を馳せた安陪清明ゆかりのある寺です。
東さんは4人兄弟のすえっことしてうまれました。
幼くして父を戦争で、母を福井地震で亡くし、兄弟は別々に親戚に引き取られました。
中学生になって母方の祖母と巡り合い、実の親の事や兄弟の存在を知った東さん。
兄の励ましもあり、努力して大阪の大学を卒業します。
しかし大学時代の学生の仲間と起こした企業の経営をめぐって悩み、育ての親を亡くした喪失感から、文殊院を訪ねる事になります。
35歳のときに会社を辞め、40歳で得度、仏の道に入りました。
文殊様と出会って得たことは何か、伺いました。

昭和19年生まれ 太平洋戦争末期 各地で空襲が始まっている様な時代背景。
父は南洋諸島に出征して、玉砕。 父の顔を見ずにこの世に生を受けた。
昭和23年6月 4歳のころに福井大震災 その記憶はいまだに身体で覚えている。
私が逃げ遅れて、それを察知した母親が家の中に飛び込んで、私を助けようとして抱き上げ、放り投げようとして、母親は、倒れてきた柱の下敷きになる。 これで母親は亡くなる。
尾崎という家に引き取られる。 (東の姓名のまま)
5歳ぐらいの時に遊んでいると、杖をついたおばあさんが来て、私の名を呼ぶ人がいて、色々の度に飴をくれた。
思春期に母親にあいたいとの思いが募ってきた。
自転車で「なご」と言う村に行った。 横山という家に行った。
そこのおばあさんが飴をくれたおばあさんだと判った。
じーっと私の顔を見て、「清かよう生きとったなあ」と私を抱きしめてくれて、嬉しくて泣いたことを覚えている。
母親の写真を私に見せてくれた。  生れてて始めて見るおふくろの顔だった。
兄弟がいることも知らされて、嬉しくって仕方なかった。
手紙のやり取りをするようになって、手紙をバイブルのようにカバンの中に入れていた。

3人が会社を作った時は天下を取った様な気がした。
兎に角会社を立派にしようと考えていて、苦労しながらも形が整ってきた。
心の中に慢心が起きてくる。 (俺が専務であいつが社長か やっていることは同じなのに)
一身同体でやってきたのにもかかわらず、同僚との気持ちの齟齬が出来てくる。
俺が頑張っているから会社はこうなったんではないか、俺が引っ張っているんだとの思い。
私の礎となって助けてくれた養父母がそのようなときに立て続けに亡くなる。
別れの辛さを痛感した。  心が一遍につかれたように思った。
養父がうさぎ年生れで、私の親友がご住職の奥さんの弟にあたり、それが縁でこの寺にきて、文殊様と言う事で(うさぎが守り神) 亡くなった養父に会えるような気がした。

住職から部屋に呼ばれて、仕事上の心の葛藤、養父母が亡くなった事、親に対する恩返し等について私はどうしたらいいのか、相談した。
分をわきまえると言う事を、どうわきまえるか、改めて考えるように言われた。
立場、立場で分をわきまえるのは一般に言われるが、私のいうのは違う。
分の自分の立場に立った時に、いかにその立場を自分が力いっぱいの形で自分のなせることを成しきれるかが、先ず大事なんだ。 
偉い、偉くないという事は関係ないんだと、先ずは自分自身がいる立場で、どういう事を絶対為すべきなのかという事を、よくよく考えて自分の人生観を持って、見つめ直すべきだと言われた。
それだけ悩んでいるのなら、うちに来るかと言われた。
大分考えた末に、この人だったら、自分を導いてくれるのではないかと思えて、決断して寺に入らせてもらった。

文殊様は地元でもあまり知られていなかった事に対して、皆が知っていると思っていたのに、物凄いショックだった、知って頂く様に、なにか手伝いができるのではないかと、自分の分を、考えた。
宣伝、等へのお願いをした。
お寺は信仰の場であるから、品格と言うものが一番大事なんだ。 心の中に沁みこむ信仰が一番大事でそれをわきまえたうえでの、活動ならば、一片勉強と思ってやってみれば、と言う事になった。
相談を持ちかけられることが増えてきて、その時はまだ僧侶ではなくて、私が対応するケースもある、真剣に対応するが、それでは自分自身が駄目なんじゃないかと、偽善的な思いが湧いてきて、そういう人と対坐して話すのであれば、曲がりなりにも修行して、相手に対する思いを述べさしてもらうのが、正道であろうとおもった。
本山の東大寺で得度した。

「命と言う」命題を先代からいろんな話を教えて頂きながら、つくずく思うのは 無我因縁の法
私 と言う人間が今現在生きている。  
我々それぞれの人生において、いい時は自分がやったからこれだけ有るという慢心があるが、これは完全に間違っていると思う。
私が今ここに、こうして毎日元気に過ごしているという事の証しは一体どこにあるかとういうと、
父と母がいる事によって、私がいる、命を頂いた。
正三角形の頂点に私がいるとすると、私はどうやってここにいるかと言うと、父と母がいる、
父と母にもその父と母がいる。 
支える人が無限大に広がるが、その中のたった一人がいなくても、この私は存在しない。

自分と言うものは、おれが、おれがと言って大きな顔をして生きているが、実は儚い、自分は生かされて、今ここにあることを考えないといけない。
逆に考えてみると、私の子供がいるが、次の世代も、又その次の世代もと広がっている。
未来の家族、いずれの人に対して、如何に自分の存在が大きいか、過去からの自分を見れば、本当に生かされている儚い命かもしれないけれど、未来を見つめると、自分が今行っている行為、自分が生活している態度が全ての子孫に絶大なる影響を与える、それだけの大きな力を与える自分で有る。
だからこそ、自分の生きざま、今を生きる生きざま、たとえ苦しくても苦しくても、今しっかり生きる事によって、自分の将来、子孫に大きく影響して、あの人が頑張ったから今の自分がいる、子孫が感謝するし、認識すると思う。 これがお釈迦様の教えだと思う。

東日本大震災、自然の脅威、凄さをまざまざと見せつけた。
被災者は筆舌に尽くせない辛い目にあったと思う。(色々な死の別れ等)
先代のご住職は重い心臓病を患われて64歳でお亡くなりになった。
医師からは余命いくばくとの告知を受けられた、私に対して、「自分はこれからは病人は病人
としての人生を送る。
これからはこの病気と戦う、それが勝ち目がないとしても、力いっぱい病気と闘って人生を過ごしたい」と、おっしゃった。
病気と闘う時に、自分を支えてくれるときに、一番大きなもの、それが仏教なんだよ、文殊様は温かく見守ってくれているから無為な人生は過ごしたくないと、おっしゃった。
最後まで前向きな姿勢を貫き通した。
人間は「四苦八苦の世界」に生きてる。 それでも苦しみの世界に生きていかなくてはいけない。
今、3年経って被災者は頑張って生きている。
精神的に支えてくれるのが仏教。 信仰が折れかかっている心を支えてくれる大きな力になる。

無常 常ならずの世界に生きているのだから、又違う新しい面が出来てくるという事を信じて生きてゆくことが大事だと思います。
慈悲の心を胸に抱いて相手に接する。
足元をしっかり見つめて、自分ができる事をしっかりやれ、之がまず基本だという事を文殊様はおっしゃいると思う。
私たちが人生の壁にぶち当たった時に、壁をどうやって乗り越えたら、それが正しい人としての生き方か、それが判ることが智慧だとおっしゃっている。
壁の越え方はいろいろあると思うので、越え方は人それぞれなので、そういう生き方を諭してくださるのが、文殊の知恵と思っていただきたい。
その努力が尊いのだと文殊様は諭しています。