2014年1月21日火曜日

辛島 昇(東京大学名誉教授)   ・カレーから学びとるインドの知恵

辛島 昇(東京大学名誉教授)  カレーから学びとるインドの知恵
昭和8年生まれ インドの歴史、南インドの中世史研究の世界的な権威で、去年の春にはその功績が高く評価されて、インド政府からパドマ・シュリという栄えある勲章を受けました。
又学士院賞を受賞し、文化功労者でもある辛島さんですが、カレー博士と言うちょっと意外な呼び名もおもちです。
辛島さんは留学や研究の為8年あまりインドで暮らし、そこで体験したカレー料理や食文化についての本を描かれました。
それが料理の世界を描く人気漫画で紹介されて有名になり、カレー博士と呼ばれるようになったのです。
このところインドへの関心が高まっていますが、私たちは今、悠久の歴史と広大な風土に育まれたインドの文化からどんな知恵を学びとることができるのでしょうか。

昨年末に両陛下がインドをご訪問された。
人々混じられたり、マハトマ・ガンディーの記念碑で花を捧げられり、親善を果たされて、日本とインドとの関係が一層親しいものになって大変結構なことだと思います。
インドとはどんな国なのか?
仏教がありまして、古代に日本につたわってくるが、インドでは仏教が無くなってしまうが、日本では仏教国と言う事で、仏教に由来する共通典はあるのですが、文化の在り方全体を見ていると、非常に違っているところがあると思う。
インドの多様性が原因と思う。
気候も多様で雪が降るところから熱帯間で有り、言語も系統による言語も4つもあり、個別では200とか300とかの言語っがある。
宗教でもイスラム教、ヒンズー教、ジャイナ教、仏教とか宗教が多様にある。
カースト制度があって身分が異なっているとか、食事でも異なっている。
多様性がインドには存在している。    日本では単一性が強調される。

20年前に「おいしんぼ」という人気漫画にカレーの本を書いたインド史の先生として、実名で登場されて事があり、それ以来カレー博士と言われる様になる。
東大の大学院にいるときにインドに留学しているが、1961年 50年以上前の話
南インドの歴史を専門にしていて、マドラス大学へ留学した。
寮でインドのカレーに出会う。 当時と食文化が非常に違ってきてしまっている。
ベジタリアンとノーベジタリアンの席が二つに分けられていた。
カースト制度と密接な関係がある。
肉、血、排泄物は穢れているわけで、けがれが食事に依ってつたわるという観念があって、同じ食器で食事をしないという事で、席も分かれるし、街の食堂でも別れていた。
3か月たって、嫌気がさしてきて、外食をしたり、食事の工夫をしてきた。
2年目からは洋食的な食事をするようになった。(カレーの経験はあまりしないで帰ってきた)

1969年に結婚していて、子供もいて一家でインドに行った。
近所との付き合いが和やかに行われて、インドの食事がこんなにおいしいものだと始めて解ってカレーが大好きになった。
カレーの本を書いたりしてカレー博士と言われるようになった。
カレーにもバラエティーが富んでいる。
或る人がレストランでカレーライスを注文したが、スープ皿に入ったお粥のようなものが出てきた。 それはヨーグルトご飯だった。
発音の問題 ヨーグルトの事をインドではRの発音が強くて、カレーとヨーグルトを間違えてしまった。
インドにはカレーライスと言う様な一品料理は無い。
カレーは香辛料をいろいろ混ぜ合わせてペースト状にして作ったもの。
スパイスはウコン、胡椒、ウマゼリ、カラシ、コリヤンダール、の5つが基本的なスパイス。
他にも高級なものがある。 クローブ、カルダモン、シナモン、ナツメッグ、アサフェティダ、ショウガ、トウガラシ、とか20種以上のスパイスを混ぜ合わせて、石臼で潰してペースト状にする。
それをいろいろなものに入れる。 スープ、炊きこみ、魚を焼く時にまぶす。
日本の醤油に似ている。 混合調味料。
カレーライス下さいと言うと、日本で醤油ご飯をくださいというようなもの。
西洋化しているレストランでは判るが、地方の小さなレストランでは判らない。

薬の成分がいろいろはいっている。 風邪をひいたりするとスパイスの成分の工夫をする。
各家庭で石臼をお母さんが引く事が昔は普通に見掛けられていたが、最近は無くなってきた。
仏典を見てみると、紀元前5世紀 お釈迦さまが山で身体的な苦行をされて、無意味なことを悟られて、山を下りてきて、村の乙女がお釈迦さまに食事を与えたが、パーヤサというが乳粥を召しあがった。
紀元後7世紀 中国の玄奘三蔵 ナーランダに仏教の僧院があるが、インドの食生活について述べていると事があるが、食前に供するものが乳らく(ヨーグルト) コウソ(溶かしバター)、ヘイショウ(麦の製品) 人々が食前に供するものと書いている。
玄奘三蔵の40年後 ギジョウ?と言うお坊さんが、海路でインドに渡ってナーランダの僧院で勉強したが、溶かしバター、乳らくを食べていたと記している。
麦、米を食べていたと述べている。
北インドではスパイスは多少出てくるが、ミルクの製品と麦を使ったパンの様なもの
チャパティ、ナンを想像してもらえればいいと思う。
南インドでは タミル語 寺院の壁面に刻まれている。 刻文
神様に食事をを捧げるが、作り方まで書いてある。
9世紀 神殿に神様に捧げる食事として、ヨーグルトとカーヤムで作るクーツル料理?があある。
カーヤムの組成は胡椒とウコンとウマゼリとカラシろコリャンダールで作ると書かれている。
現在のインドでカレーを作るときの基本的な5品と同じ。
カレー料理が9世紀には出来ていることが解る。

16世紀 ポルトガル人が一杯やってくるが、記述しているが魚カレーを食べた。
ご飯の上に魚を煮て作ったものをスープをかけて食べるという記述がある。
いろんなスパイスであじつけたもので料理を作っていて、ご飯とカレーが主なっていて、北インドとは違っていた。
北、南の食習慣は混ざり合ってゆくが、16世紀に成立したムガル王朝で、タージ・マハルという殿堂を立てた王朝 イスラム系の王朝
宮廷料理が両者の融合を表している。
カバーブ いろんなスパイスをまぶして、肉もヨーグルトに漬けて焼くと非常に美味しいカバーブができる。
ビリアーニ 炊き込みご飯にもスパイスが強烈に出ている。
両者が融合して、現在のインド料理の原型ができ上っている。

インド独立後 1960年 70年代 社会変化が起こってきて、西洋的な価値観、中間層が多くなってくると、いろんな料理を食べてみようという事で、いろんなインドの料理本が出来てくる。
宗教を越えたインド料理が出来てくる。
全部カレー味、ミルク仕様と言って共通性あ有るので、全体がインド料理であると1980年代以降生じてくるという状況があった。
しかし、今でもベジタリアンはベジタリアン料理しか食べないし、ノーベジタリアンの人はノーベジタリアン料理を食べ、宗教的にジャイナ教の人はジャイナ教料理しか食べないが、全体が皆がそれをインド料理として認識してくるように統一性が生まれてくるようになった。

インド語 インドにはいろんな言語があるが、ヒンディー語が多く離されるが、インド語は無い。
同じような特徴は持っている。
子音 舌を後方にそらせる様になっている。
主語+動詞+目的語  英語圏    
インドでは主語+目的語+動詞 と文法まで変わってしまう。
インドの多神教的な世界観と関連していて、インドには、実はこうだという発想がある。
ヴィシュヌ神 ヒンズー教の神 10の化身荷って現れる 亀、猪、になったりする。
ブッダもビシュヌ神の化身だったというよな話もある。
梵(宇宙原理)我(個人個人)一如(ひとつである)→我々自身の持っているものは実は宇宙を動かしている大原理と同じものである、それを悟ることによって人間は救われる、それが悟りである、そいう考えを「梵我一如
インドの思考は常に複数のものが意識されていて、一つのものではなくて、世界は単一ではなく、常に複眼で持ってものを見る、という処がある。
IT産業 インドは数学が発達しているからとか言われるが、インドは複眼的にものを見るというところにIT産業の強さがあると思う。
IT産業の一番有名な会社があるが、それを起こした人、ナラヤナ・ムルティ氏は   
常に変化、複眼的に変わっていくというそういう事を大事にしている。
日本は常に一つのものに執着して、それを追い詰めてゆくという様な処がある。

インドから学ぶべき叡知
世界ではいろんなことが起きてきていて、異なった価値観を元にした紛争が各地で頻発している。
そいう状況に対してインド文化が、文化と言うものはこういう風になければならないと発している重要なメッセージでそれを叡知と言いたいわけです。
人類は一つなわけですが、世界は一つではなく、いろんな価値観が存在する。
一つ、一つを尊重しながら、緩やかな統合によって人々全体としての未来を切り開いてゆくことが大切、叡知をインド文化は持っていて我々は学ばなければいけない。