2014年1月15日水曜日

ヤマザキ マリ(漫画家)      ・人生なんでも行動してみるもんだ(2)

ヤマザキ マリ(漫画家)   人生なんでも行動してみるもんだ(2)
漫画家人生のスタートと、息子の誕生、育成と同じです。
がむしゃらはいいものだと悟った。
その時のコンディションが実は私は心地がいいと判った時期でもあった。
漫画で賞をもらって、それをきっかけに日本に帰ってきた。
自分の経験を生かした、フェレンツエの漫画を描いたりしていた。
そのうちに、イタリア関係の仕事がつぎからつぎへと来ること事になる。
帰った時に、私の子供の事は、母には言ってなかったので、一人増えたと言ったら、私の子供だったので、母は吃驚仰天して、しょうがない孫の代まで私の責任だと言ってくれた。 
これには感動した。

日本でイタリアレストランがはやっていて、日本イタリア協会があって、そこから事務局をやってくれないかと言われて、事務局に行くようになり、大学でイタリア語の講座を設けたいのでやってほしいといわれて、3校担当することになる。
日本人の思っている憧れのイタリアと私が知っているイタリアとは齟齬があるが、崩さない様に対応していた。
有るレストランで日本で素うどんに相当する様なピザを1500円で売っていて、之は原価は100円ぐらいじゃないのと思って、或るときTVディレクターにイタリアでは冷蔵庫の残り物でイタリア料理を作っていたりすると話したら、面白いという事になり、TV番組で「週末はイタリアン」ヤマザキマリのコーナーが札幌のTV局でやるようになる。
料理研究家でもなんでもないのに、やっていた。
主婦からは人気があったが、専門のレストランからはひんしゅくを買った。(原価を言ったりした)
温泉リポーターもやった。   来るもの拒まずでなんでもやっていた。

母は何の確証もない音楽という技を使って、北海道に暮らすようになって、最終的には根室、九州、札幌とか、そんなところにまで弟子を作って、車で楽器を積んで運転してゆき、漁師、牧場の子供たちに教えている。(土産を一杯積んで帰ってくる さけ、牛乳とか)
母のことを思えば、いろいろなことをやっていてもそんなに苦労とは思わなかった。
母がそろそろ又イタリアに言ってみないと言われた。
マルコじいさんはすでに亡くなっているが、母はその娘家族と親しい仲になっていた。
母からはその家族の事は変な家族だという事は聞いていた。
母を通じて、行ってその家族に出会う事になる。
その娘の息が大学生になっていた。 
息子が私に古代ローマの歴史の事とを目を輝かせながら、一週間一生懸命に話す。
帰って来てから、物凄い厚い手紙が、彼から毎日届く様になる。
ローマへの想いだとか、歴史、ルネッサンス、一人の人を取り上げて書いてあったり、面白い手紙だった。

或る日父親から 息子が病気になって入院してしまったと、電話がかかってっ来る。
あれは恋わずらいだよっと、笑って話す。
或る日、病院から電話がかかってきて「結婚していただきませんか?」といきなり言ってきた。
私は14歳年上だし、子供もいるし、と思ったが、じゃあ結婚だけでいいのとOKした。
(結婚の経験もなかったので)
子供とその人が又14歳違いだった。  その差の関係がいい感じだった。
マルコじいさんの孫と結婚するとは思わなかった。
人生なんでも行動してみるものだと思った。
動いてみると、その人には何か用意されている。  
それは決して私たちが人為的に作られたものではなくて、動いてみたところで活性化されて、機能を果たすのだと思った。

私は後悔しないので、失敗しても失敗は恥ずかしいことではないので、後で笑い話で、苦労とかも商売できるし、損はしていないと思う。
余り動じない人になりました。
彼は専攻が比較文学で、カイロ大学に入学していたので、カイロのイタリア大使館で結婚しました。
彼はカイロからシリアにいく。 2カ月に1回シリアに行くようにしていた。
シリアに引っ越すことになる。(当時はシリアは平和だった)
ダマスカスは世界最古の街 何にもない砂漠地帯にいきなり古代ローマ遺跡が出てきたりだとか、アッシリア人の古代遺跡が出てきたりだとか、古代の物が山の様に転がっている。
世界遺産になってもおかしくない様な神殿にカラフルなものが見える。
洗濯物で、何かうちに用事ですかと人が出てくる、そこに人が住んでいるんです。
住めるから住んでいるんですと言われた。

イタリアのローマでは2000年前と500年前と現在とが普通に渾然一体となった暮らしをしている事に凄く不思議に感じたが、シリアに来て、今まで人間が生きてきた歴史を掘り下げていったら、物凄く大きなことを含めて、ひっくるめて世界と言うんだなあと、時の流れの解釈が違うなあと思った。
見方が完全に変わった、時空に対する考え方が変わった。
創造力が更に肉付けされた。
他の仕事はしなくなっていたので、漫画を描く事に集約されて、いろんなことを沢山書いた。
日本の皆さんが敷居が高くなっている事に対して、イスラム教、イスラム世界圏に偏見があると、納得いかない事に想いがこみ上げて来て、シリアを舞台にした漫画を書いてみたりした。
いろいろ不便はあるが、不便には対処法があるので、それよりも外に出て、貰ってくる情報量の方が貴重過ぎてしまって、追いつかない、不便の事を省みる暇がない。

市場に行くのが好き 1000年前と同じ。
私はイスラム教ではないが、人間の力では補えない、神に対する信仰の神聖さに触れられる機会があるという意味でもシリアの生活は面白かった。
日本にいるだけでは感じられない経験と言う意味ではシリアはたっぷりした。
お風呂の無い生活が続いた。(シャワーのみ)
テルマエ・ロマエ」という漫画につながっている。
お風呂は浸かる為にある事が判らない
ローマには公衆浴場の遺跡があるが、現在は公衆浴場が無い。  
古代ローマ人と日本人が最も似ていることは、浴槽に洗う目的で入らなかった、リラックスするための要素として湯船を利用していた。
古代ローマの人達は、戦争で行った戦地にさえ、お風呂を掘って兵士たちの体力を回復させていた。
戦争時、日本人も船の上とか、占領した地域にも風呂を作ってリラックス、体力を回復していたという事実を知って同じことをやっていたことを知った。

構築していたわけではなかった。 昭和の銭湯の舞台  そこに古代ローマ人が出てくる事を思い出した。 
面白いといわれて、掲載してもらった。
いろんな思いが出てきて、とめどもなく出てきてしまった。
古代ローマ人は現在のイタリアの人とは全く違った人種で有った。
キリスト教と言うモラルが入ってくる前の時代だったから、リベラルであって、誇りを凄く強く持っていた。
硬い融通のきかないローマ人を書いてみたくなって、人情あふれる日本人に接したときにどうなるだろうと想像しただけで面白くなって、ルシウスというモデルができた。
劇画的 細い線のタッチで1ページ書くのに最初4~5時間掛かっていた。
絵画畑の人間なので、軽く書く事ができなかった。 今は漫画の書き方は修得できたが。
4等身の様な人の漫画は逆に難しい。 書いた事の無い絵なので、何とか格闘してきた。

ヒットしようと思って漫画は書いていなかった。
全国で500人~1000人が面白いと行ってくれたらいいと思っていた。
ネットで話題になり、賞を貰った。 漫画大賞、手塚治虫文化賞を頂く。
映画化の話もあり、キャストは日本人で、イタリアで(日本の京都の太秦のようなところ)撮る事になる。
阿部寛さん 中村勘三郎さんが本になる前にみていて、これは阿部さんだろうといわれた。
阿部さんはルシウスを本当によく演じてくれた。
本当に忙しくなってしまった。  酷い時は10個ぐらい連載した。
イタリアでは午後6時になると、皆仕事を辞めてご飯は必ず一緒に食べて団欒して一日が終わるという、しかし漫画家にそのようなことはできない。
家族との軋轢が出来てしまった。
旦那は最初漫画はいいと思ったようだったが、猛烈に忙しくなって、旦那は裕福な家で、仕事をしなくていい環境の中で文学ができたりしているが、生産して、経済力と密接につながっていることが理解不能だった。

起きてる時は心配するので、寝てから漫画を描くというような生活が現在も続いている。
これも纏めあげていればいずれ役に立つと思っている。
創造力が止まらない、放出していかないと健康で居られないと、自分で判っているので漫画を描き続けている。
天皇賞を見に行って、馬も苦労しているのだんなあと思い馬の事を書きたいとも思った。