桂 歌丸(落語家) ・声の出る限り 噺家人生65年(後編)
振り返ってみると落語にはめでたい話はない、全部失敗したりするもの等がある。
小話、忠臣蔵の主役の人物、陰の主役は天野屋利兵衛 討ち入りの時に、衣装などを整えた人。
露見して、町奉行松野河内守助義に取り調べられた時に、「天野屋利兵衛は男でござる」と言ってガンとして、口を割らなかった。
大石内蔵之助が病になって天野屋利兵衛が見舞いに行った時に、ゆすっても起きなくて、やわら大石蔵之助が寝とぼけたものか、かいなを掴んで、布団の中に引きずり込もうと思った。
驚いたのが天野屋利兵衛、飛び下がって両手をついて「天野屋利兵衛は男でござる」(笑い)
笑点 5月半ばで丁度50年目、司会者としては5代目、立川談志、前田武彦、三波伸介、先代円楽、そして私です。
談志さんが拵えた番組で、笑点の前身があって、金曜夜席と言いまして、プロレスが盛んなころ隔週にあって、談志さんがオーディションをやった。
私は紋付き袴で高座に上がって、前座がもりそばを持ってきて黙って盛りそばを食べて、手拭いで口の周りを拭いて、「おそばつさまでした」と言って降りてきた、それが受けました。
寄席で談志さんが大喜利を見ていて、それをヒントに金曜夜席が始まった。
先代円楽、春風亭梅橋(先々代の小痴楽)、三遊亭金平、漫才の和子・西〆子の西〆子、私等が出て談志さんが司会で金曜夜席をやり2年弱やって打ち切りになり、半年後に笑点が始まった。
長く続くのは家族全員で安心して見ていられる番組ではないかと思う。
悲惨な事故、陰惨な事件は一切触れてはいけないと言う事がある。(決めてはいないが)
座布団を取ったりやったりは全部司会者任せになっている。
司会者のユーモアセンス、人情が絡んだ判断材料等がある。
しゃれの通じない人間が増えてきて、円楽さんが私のことを攻撃するが、カンカンになって怒る手紙が来ることがある。
繋ぎに悪口、けなしが出たりするんで了解してほしい。
落語の世界は上下の関係が厳しい、一日違いでも先輩は先輩なのでキチンと守っていかなければならない世界です。
舞台に並んだ以上は同格だ言う事で、後輩という事で引かれてしまうとさめちゃう、楽屋に入ると皆さんちゃんとしています。
土台作りは凄い肝腎なことです、杭は一番硬いところまで届いていなかったらぐらついちゃいます。
笑点の高座ではわあわあやっていますが、楽屋へ入ってからは先輩後輩であり、立てることは立てちゃんとしてくれるし、こちらもちゃんとします。
「褒める人間を敵と思え、教えてくれる人、注意してくれる人を味方と思え。」今輔師匠から教わりました。
或る程度木になった時に、褒める人間は揃っている芽を切るのと同じ、これでいいのかと止まってしまう。
教えてくれる人、注意してくれる人は、足元に水を肥料をやって、木を育てて葉を付け、花を咲かせ、実を結ばしてくれる人。
でもこれは難しい言葉ですよ。
修身を復活してほしいが、その代わりに落語を聞く事だと思います。
義理人情が細かく入っているのが落語だと思います。(何かの時に気がついてくれればいい)
先代円楽さんの具合が悪くなって透析をするようになって、落語家を引退する事になり、「歌さん、頼む」と言われて、その一言でやる様になりました。
司会をやってどう変えるのかと言われたが、変えないと言いました、変えようと思っては失敗する、自然に変わってゆく事で波に乗ると思っている。
落語を残したい、会長職になっているので、或る程度は人の見本にならなければいけないとは思っている。
今は若い女性の人が多くなってきています。
笑点から落語を聞く世界に入った人が結構いるようです。
噺家としてはTVで落語をやる場合は会場のお客様を主にしてはいけない、TVの向こう側を主にしなくてはいけない、という教えを受けました。
ラジオでやる場合はTVへ出ていると思え、耳だけなのでTVに出ている様な心持で身振り手振りでやらないと、絵が浮かばない。
扇子が刀に見えないと、自分の芸が未熟なので、形、歌舞伎を見ろといったことにつながってくる。
欲を言えば浮かんだ絵に色がついてなくてはいけない、(白黒から総天然色にならなくてはいけない)
汚い話ほど綺麗にやれと、柳好師匠から言われました。
東京と地方の寄席でやる場合には私は地方の方が間を空けます。
40年ほど前に独演会を年に5回始めたが新作だと、2席ずつやるので作れない。
新作から古典に変えて見ようと思って始めて、古典に移って行った。
古典をやっていて、時間、お金で判らなくなってしまう事があります。
古典を残したいので誰かに継いでもらいたいと思っている。
海外での落語、ニューヨークでやったが、字幕をだしてやったが、笑いがちょっと遅れる。
大失敗だった、文法が違うので「さげ」が先に出てしまう。
パソコンで同時通訳するような方法でやり易くなった。
寄席を皮切りに噺家生活65年、笑点50周年と銘打って、普通の寄席ではやらない様なゲストを迎えてなんかやりたいなと協会と相談しているところです。
今輔師匠は人生の師匠であり、米丸師匠は芸の師匠で、歌丸という名前と顔を売ってくれた恩人は笑点だと思っていて、恩返しをしたいと思っています。