水谷八重子(女優) ・いつも輝いて(後編)
映画デビュー 1957年 「青い山脈」 いきなり中津川に連れて行かれました。
アフレコでした、撮影の事をあまり知りませんでした。
踊り、日舞は6つの時に花柳流の家元に弟子入りしましたが、直ぐ戦争になり疎開しました。
あまり日本舞踊は好きではありませんでした。
ダンスは好きで自分でもできると思って3週間アメリカの学校に行ってみたりしましたが、クラシックという基本があって初めてジャズダンスをやる、プロのダンサーになるためにはあくまでもクラシックの基本が大切で私には遅すぎるという諦めはありました。
草笛さんの番組(1961年)に出た時には踊りが出来るところだけをなんとか撮ってもらって、その後日劇でショーダンスができるようには成りました。
同じ1961年 NHK放送「若い季節」に出演(3年間)ビデオに移行する段階だったが生放送だった。
生放送だったのでハプニングがいろいろありました。
台本の遅い小野田先生だったし、生放送だったので余計大変だった。
穴を空けずによく出来たと思いました。
その前の「お父さんの季節」で黒柳さんと一緒だったので、その頃からお付き合いをしていました。
黒柳さんが紅白歌合戦の司会をした時に歌手として出演しました。
ミュージカルの曲は皆さんが知らない曲が多くて、皆さんが知っている曲を自分で消化して歌えたらいいなあと思っています。
最近10年朗読にも取り組んでいます。
住大夫先生の素浄瑠璃を聞いた時に、語りを聞いているうちにドラマの風景が見えてきた。
もし朗読が住大夫先生の様にお客さんが思ってもらえるところまでいけたらいいなあと思います。
朗読もやりたいという欲望があります。
CD2枚組の朗読の作品。
読みあげてくるとリズムがあり、自然と読みなれてくるとリズムに乗っていける。
樋口一葉の「大つごもり_」という作品も毎年12月に続けています。
明治時代の作品は日常とは離れてしまっているので難しい、言葉が細胞と同じ、日々入れ替わっていきますので時代に依りイントネーションが違うので、明治、大正、昭和の時代を舞台にしている新派はそういう日本語の勉強を常日頃勉強していないといけないと思っています。
同じ言葉でも時代によってアクセントとか使い分けをしないといけない。
使われなくなった小道具の使い方を使って、出来ると言う事を勉強していかなければならない。
そういったことを伝えていかなくてはいけない。
たすき掛け 自然に動作できるようになるまで、たすきを渡して練習してもらって本番では自然にうまくできるようになりました。
欧米化してゆく生活の中で新派を観て、故郷のおばあちゃんちに帰ってきたようだと言う気がしたと思っていただけたらしめたと言う様な感じです。
久保田万太郎先生の作品をこれだけ持っている新派なので次に繋げてゆくという役目を持たされて当然だと思います。
リュウさん(『冬のソナタ』のテーマ曲を歌う)との共演の歌「キッス」
今年も舞台が続きます。