谷川忠洋(ちょうちん製造会社会長) ・職場作りは障害者とともに
ビニール製のちょうちんの製造では国内のトップクラスのシェアーを持っています。
従業員14人のうち8人は知的障害の有る人達です。
会社で障害のある従業員を雇い入れたのは35年前のことでした。
最初は提灯作りの完成までの工程を教えようとしましたが、意思の疎通がうまくいかず十分に伝わりませんでした。
そこで谷川さんは工程を3つに分けて、流れ作業の製造ラインを作り、大分大学と共同で作業が簡単にできる器具を開発しました。
そうした努力が実を結んで健常者と障害者がともに働ける職場が実現しました。
谷川さんと従業員たちはどのように困難を乗り越えてきたのか、辿りついた新しい職場から生み出されているものは何か、伺いました。
基本は彼等に作業負担を少なくしようと、そのためにそれぞれのパーツに応じていろいろ工夫しています。
素材はビニールで作っています。
紙だと雨や風に弱いという弱点があるので、ビニールにしました。
販売促進、居酒屋さんなどでも使われます。
5年前にサザンオールスターズの復活コンサートとして提灯を受注しました。
年間25万個前後を作っていて、業界のトップです。
14人中8名が知的障害のある人です。
1981年に知り合いから相談があり雇用してほしいと言う事で5名一緒に雇用しました。
通常通りのマニュアルに沿って教えたのですが駄目でした。
或るとき私は鬼のように見えるとか言われたことがありました。
わたし自身の彼等に対する接し方が上から目線になっていたのではないかと、変えると共に工程を変えてゆく事を考えました。
①型組み、ひご巻き工程
②糊付け、生地貼り工程
③乾燥、型ぬき工程
この3つに分け、接し方も変えてゆきました。
覚えるのが苦手ですが、段々前向きに聞いてくれるようになりました。
集中力を長く保つ事が苦手なので、作業時間を工夫したりしました。
作業と検査、おやつの時間を取ったりしまして、集中力が高まりました。
どうしたら負担が少なくできるか、彼らの視点で物事を考える様になりました。
6年で半人前、10年で一人前大変だよと言われましたが、1年で戦力として育ちました。
提灯の型を作る時に大分大学の協力を得て、木の型だった物は以前は半年で寿命が来ていたが、アルミに変えて半永久的になり、作業も格段に良くなりました。
10数回現場に来てビデオに撮り持ち帰って学校で工夫していただきました。
材料もいろいろ検討されて、最終的にアルミに落ち着いた様です。
彼らが目も合わせるようになり、段々笑顔で話す様になりました。
技術だけでなく、人として成長したのではないかと思います。
15年前位から作業も早くなり品質もよくなりました。
言葉のキャッチボールも出来るようになり、その姿を見て彼等は成長したなあと思いました。
仕事をして行く上でのプレシャーとしては
①仕事を覚えないといけない。
②人とうまくやって行かなくてはいけない。
③8時間労働、通勤時間等で10時間と長時間拘束される。
この3つをどうやって負担を軽減するか、3週間の実習制度を設ける。
第二回目の実習も行う。
覚えるのが苦手なので、覚えるのではなく彼らが持っているものを引き出してあげる。
体験する事により、適性をみいだしてあげる。
大学生の時に、60年安保闘争の時でもありいろいろ悩んで、和辻哲郎の哲学書を何回も読んで、それが残り火の様にあったのかもしれません。
知的障害者の雇用の事があった時に、しなければいけないのはこういうことかもしれないと思いました。
最初はなかなかうまくいかないことが続きました。
巧く行かなかった原因の65%以上は私にあったと思います。
取り組み方を変えたりしましたが、実は私が一番変わったのではないかと思います。
まだまだいろいろ気が付いていないことがあると思う。
障害者の側から観る目で対応しないといけないと思っています。
彼らの余暇活動がまだまだと思いますので、この辺に注目して検討していきたいと思います。
地球温暖化の問題 ビニール提灯は石油からできているので炭酸ガスが出るので、再び紙に戻すことを10年前から考え始めて対応できる紙が出来まして特許を取りました。
ビニールと違って柔らかい光になります。
ビニールに近いくらいの強度を持たせることが出来ました。
提灯だけではもったいないので違う用途、別の商品に使えないかを検討しています。
人を増やす時は知的障害者を雇用して行きたいと思っています。