岩田美津子(NPOてんやく絵本ふれあい文庫代表) ・”理想の絵本”をめざして
視覚に障害がある岩田さんは子供に絵本を読んでと言われ、試行錯誤のうえ指で触って楽しむ絵本を考えだしました。
絵本が増えるに従って他の視覚障害者にも絵本を貸し出すために文庫を作り点字で読む絵本の輪を広げてきました。
見える人見えない人が同じ絵本を楽しめる日が早く来るように頑張る岩田さんに伺いました。
私自身が全盲で母親になった時に何気なく絵本を与えましたら、私に読めという仕草があり、1歳半の時で、絵本は親に読んでほしいものだと初めて知り、絵本にかかわるきっかけになりました。
夫も非常に弱視で本を読めるような状況ではありませんでした。
自分自身で読んであげようと思っていて、他の人に読んでもらうという発想はなかったです。
透明なビニールシートを普通の絵本に重ねて点字があれば読めるようになるのではないかと考えました。
絵を判るには、透明なビニールシートを絵の形に切ってやれば輪郭が判ると思って試しました。
色彩は判らないが、形を触ることによって子供はここを面白がっていると言う事が、なんとなく伝わってきます。
1冊目が出来た時には長男が5歳になり、ボランティアの人に作ってもらった本を郵便で送ってもらって、子供にポンと渡しました。
親は読めないと思っていたので、点字もあり、子供は大喜びでした。(5歳と2歳がいました)
こんなに読んでもらいたかったのかと感動しました。
改良しながら本の数が増えていきました。
子供の為に読むことで無我夢中でした。
2,3年経つと100冊近くに溜まり、本を選ぶ喜びもありました。
友人に話をしたら、他の見えないお母さんに貸してあげたらと言われて愕然としました。
自分のことしか考えていない自分に愕然としました。
他の親子にも読んでもらいたいと思って、貸し出すための本だと意識は変わったがどうしたらいいか判らなかった。
手始めに視覚障害の友人の2,3人の人に貸し出しました。
資金の問題も出てきて、助成金の為の書類を書かなければならなくて、なんとか助成金をもらえる様になりました。
年齢により対応できる本の種類の問題もあり、それにも対応してゆきました。
昭和59年、マスコミにも取り上げられて情報が広がりました。
そのころから資金、ボランティアの提供が来るようになりました。
1000冊までは場所が無くて家具を放り出して、絵本だらけになりました。
そのうち本屋に泣きついて、2年世話になりました。
点字の本等は無料で郵送するので点訳絵本も無料で郵送できると思ったが、郵政省は駄目だと言う事でした。
透明なシートが張ってあるので見える人が普通に利用できるという事と、絵本を読んであげる人は目が見える人ではないかという事が理由だった。
実績を作るしかないと思って、企業の支援を得ながら3年間必死で貸し出しを増やす努力をしました。
郵政省に文章にして改めて掛け合って、帰ってきて、新聞社の知り合いが取り上げてくれて、記事を見た国会議員が、国会で取り上げてくれて、郵送料が無料になりました。(昭和62年)
それがなかったらいまの文庫は無かったと思います。
メディアにも取り上げられて、さらに資金、点訳のボランティア等の提供が増えました。
ボランティアの人も30人になり、そこからボランティアと関わる勉強が始まりました。
1996年にプロジェクトを作って「ちょきちょきちょっきん」を自費出版しました。
透明な樹脂インクを使って盛り上げて点字を作る機械があることを知りました。
透明な樹脂インクを使って絵を盛りあげることはできないかを尋ねたら、心を動かしてなんとか試作品を作ってくれることになりました。
発行元、ふれあい文庫 販売元は一緒にやってくださった出版社にやっていただきました。
8000部位出版しました。
それから6年後に次を出版することになりました。
出版社に集まってもらってどうしたらいいかを話をしてもらいました。
この類の本は儲からないが一種の社会貢献の様な意識があったのではないかと思う。
どうしたら広がらないのか、2002年に集まってもらいました。
情報交換からスタートしました。(録音中途で終了)