2016年4月27日水曜日

柳原尚之(料理研究家)     ・和食を世界に(前編)

柳原尚之近茶流嗣家(きんさりゅう・しか)・料理研究家) ・和食を世界に(前編)
懐石料理の近茶流嗣家  嗣家というのは後継者という意味です。
柳原料理教室の副主催を務めています。
平成27年度は文化庁文化交流使として 8月から11月にかけてニュージーランド、ブラジル、カナダ、アメリカを訪ね、大学や高校を中心に講演やでデモストレーションを行いました。

雑煮は伝統的な江戸雑煮です、おすましに焼いた角餅、鳥、蒲鉾、小松菜、近茶流は海老が入ります。
近茶料理が200年前から代々伝わってきて祖父が近茶流と改めました。
東京農業大学の醸造学科、大学在学中は発酵食品学を学ぶ。
祖父、父も東京農業大学でした。
醤油、酒等醸造でないと出来ない。
卒業後小豆島の醤油会社の研究員として勤務しました。
実験と実際との違いを勉強しました。
オランダ帆船スワンファンマッカム号に乗船してキッチンを務める。
オランダ人主体ですがそのほかの国の人も多く乗っていました。
フランス料理が主体ですが、今の和食の仕事にも役に立っています。

柳原料理教室で日本料理を父と共にやっています。
2009~2013年まで東大寺のお水取りで練行衆(料理を作る隠者)を務める。
お坊さんは1カ月間東大寺の房にこもるのでその間精進料理を食べる。
ご縁があり中に入って精進料理の仕事をしていました。
3月に入ると本業に入るので、一日一食になるので食べる量、調理法も変わってきます。
前のメニューは昭和27年(食糧事情が悪かった)からずーっと同じだったが私が頼まれましてメニューを新たに考えました。
東大寺の江戸時代の文献などを見て昔に戻る様にして、品数も増えました。
2010年アメリカのカリフォルニア州にある大学で食の国際会議に参加。
日本の「だし」を英語で話しました。
39人のシェフが行きましたが、一番若かったです。
かつおぶし、こんぶなどについてどうしたら判り易く説明出来るのだとうかと自分でも勉強しました。
イスラエルで開催された寿司コンテストで審査員長を担当、2014年アメリカ フロリダ州で開催された文化庁、外務省主催の現代日本の工芸展で和食の専門家として現地で、講演、デモンストレーションをしています。
TV番組で料理の考証、所作指導を行っています。
文献を開いて料理を作ったりしました。

文化交流使 伝統芸能の方を選んで海外に派遣して日本の文化を広めてもらう。
2013年和食が文化遺産になり、料理の人を出そうと言う事になりました。
2013年は大学の先生、2014年は私が派遣されました。
3カ月行くわけで、日本のすべてを見せたいと思って、器なども選んで50人分持って行きました。
トランク4つと段ボール3つになりました。
学生さんたちに教えたいと思いましてニュージーランドが最初となりました。
4日間の和食講座で、一日は和菓子、3日間は和食。
1日目は日本の全体の文化歴史的なこと、2日目は実演(普通1時間だが4時間かけてやりました)
学生の手をもって包丁の操作などを教えたので喜ばれました。(外国では見せるだけ)
出刃包丁は魚をおろす、柳刃包丁は刺身を引く時の包丁なので薄くて細長くなっている。
切れ味があると刺身の劣化が遅くなる。(生臭さが遅くなる)

人が北を背に南を向いていて、太陽が上がるのが東で左に相当するので左に重きを置くのでご飯になる。 (南半球では違う事に気付いた)
鳥獣戯画の容器、塗りのお椀は人気があった。
同じだしでもスプーンで飲むのと口を直にお椀から飲むのも味が違う。
ニュージーランドは自分の中でも試行錯誤でした。
パーマストンノース 中学と高校が合わさった様な学校で5年生の学校で講義。
クイズ形式でやりました、日本で食べたいものを5つ?(寿司とか)、これはなんの機械か、4択?(流しそうめん) うどんの話をして「だし」の話にもって行きました。
よせ卵のお椀での試食もしました。
首都ウェリントンでの講義、ヴィクトリア大学では飲食ができなかったので一口のだしを飲んでもらいました。
皆さん、いい香りですと言っていただきました。
今は当たり前のように生の刺身を食べるようになり、日本の味にも慣れてきている様に思います。
ウェリントン工科大学では魚のおろし方に特化して話ました。
ニュージーランドは島国なので新鮮な魚が手に入りますので、魚のおろし方がいいのではないかと思い、ほうぼうが手に入ったので刺身の薄作りにして出しました。
教えると日本人は同じようにしますが、盛り付けになると自由に盛り付けていました。