2016年4月8日金曜日

村田芳久(旅館経営)      ・桜にかけた私の人生

村田芳久(旅館経営)      ・桜にかけた私の人生
徳島県 吉野川市で旅館を経営、地元の街道に桜の木を植え続けて50年になります。
村田さんが桜の木を植え続けてきたのには深いわけがあります。
太平洋戦争の時に出征兵士を見送った山道が、戦後車道に変わった際、その道を戦死した村人の兵士を偲ぶ桜街道にしたいと思至ったからです。
昭和40年代に桜の木を植え始めておよそ50年、桜街道は 30kmにおよび、徳島県でも名だたる桜の名所になっています。

12月は気温が高くて、桜がちょっと様子がおかしいと思っている。
桜祭りは食べものはうどん、そば、お団子など、舞台を作って新国劇や歌の発表会などのイベントを考えています。
昭和11年生まれ 80歳 あっという間でした。
昔は人は沢山いて、畑をしていた時代で近くに東山銅山があり、1000人位が働いていました。
昭和16年出征兵士を送っていたが、父親が昭和17年にビルマ戦線に出征したのは覚えています。
山桜が枯れてしまったり、道に植えたらいいのではないかと、家の周りから、出征して見送っていったところ、展望台にも小屋を建てて、植え始めました。
お遍路さんの目を楽しませる桜街道にもなっています。
相手が自然の木なので苦労というような思いは無かったです。
出征の人達を偲ぶ想いが原点になっています。
日本が戦争に負けてしょんぼりして兵隊が帰ってきたり、父親が負傷して昭和18年に帰ってきました。

今の日本は平和だと思います。
あなたたちのおかげで今の日本があるんだと、ゆっくり見に帰ってくれと思っています。
植えた一本一本に思い出があります。
今年植えたのは、道路縁は痛みが早いので変わった種類のものを植えました。
約30kmにのぼり、約2000本になります。
出征兵士を送った高台に記念碑を建ててやろうと思って歌碑があります。
「国の為散りにし春を折々に帰りたまえよこの桜路を」という自分で作った句の碑文です。
赤紙一枚で出て行かなくてはいけなかった。
旅館の周りも桜のひろばの様になっていて、山道を登ってゆくと桜記念館があります。
12畳分位の小さい記念館です。
周りには枝垂れ桜が植えてあります。
桜の写真が飾ってあります。(桜の50年が判る様になっています)

初めのころは一般の方からは道路に木を植えて何をやってるんだろうと言う様な思いはあった様です。
妻が居る時には本当に忙しい時期でした。
冬場の一番忙しい時に抜けだしたりして怒られるが、段々怒られなくはなりました。
自分自身を信じてやっていたら、通る様になります。
関東、中国地方、等からも見に来てくれます。
後継は頭の痛いところで、若い人が継いでくれるか、誰か見てくれるのではないかと思っています。
どうしても一つやりたいことがあると思っているが、今時点ではまだ言えません。
人生振るかえると、これで言いんだと思いますが、桜にたいする今後の想いはあります。