2014年9月27日土曜日

神居文彰(平等院住職)     ・修理は何をあらわしたのか

神居文彰(平等院住職)    修理は何をあらわしたのか
56年ぶりの大規模な修復作業を経て、よみがえったばかりの平等院鳳凰堂についての話です。

日本の古代建築は約150年に一度修理をしてゆく事が出来れば、継続する事が出来ると言われています。
平等院鳳凰堂はデザイン、美しさを追求したため、その半分、60~70年に一度中規模修理が必要で、130~140年に一度大規模修理が必要だといわれる。
昭和26~31年にかけて行った昭和修理、大規模修理。
今回は中規模修理。折り返し点。
日本は木の文化なので痛みが早い。 必ずメンテナンスが必要。
今回の修理は  
①鳳凰堂の外装の色、塗装(枯れている色が無くなった元の鳳凰堂の方が美しいのではないかとの議論があったが、新しくする) 
鳳凰堂が赤く塗られたら落ちついた色で、議論が無かったかのようだった。
②瓦 平安時代の瓦が現代まで使われていることが判った。 
 5万点のうち1500点が平安時代の瓦
 一番状態が良くなかったのが昭和の時代のもの、割れている瓦は非常に成分、粒度が均一。
 平安時代のは石ころ、大きい粒、小さい粒があり不均一、その方が丈夫だった事が判った。
③金工品等

常見 永久にそのままだという事
断見  全てが断絶する、無くなってしまうと考える。
様々な結びつきによって、現れたもの、両方に偏ることなく、連綿と続いてゆく事。
顔には約6兆個細胞が有るが、細胞は分裂を繰り返してゆくが、一つの細胞が50回分裂を繰り返すと、その細胞の命が終わる。
20時間ぐらい細胞分裂が繰り返され、50回、60兆(身体全体で60兆)  60兆の細胞が入れ換わるのに約1月。
一月前と今の顔は違うのか? 変わっていかない。

世界遺産 2つの考え方 
①オーセンティシティー(authenticity 真正性) 間違いなく正しくそのものが伝わり続けているか? 
②インティグリティー (integrity 真実性)  本当のものなのか?
古代建築を見た役員が1400年前と言うけど、或るところは江戸時代、明治、 どこが1400年前なのか?

例え、部材が変わっても、調達法、削り方、技法、理念それは変わることなく今まで続いている。
非常に豊かな真正性の考え方だという事で日本でも世界遺産の登録が進んできた。
修理の時 鳳凰堂の周りに丸太と番線だけで、鳳凰堂を覆った。(1000年の歴史で初めて)
修理の場所だけ足場などを作っていた。
鳳凰堂は4つ 中堂、翼廊(左右)、尾廊 で出来ている。
丸太の数 鳳凰堂を覆うのに、5000本、 1本300kg  建物を覆い修理をする。
鳳凰堂は東を向いている。 夕方には真背中に太陽が沈んで行く。
鳳凰堂の背後にはかつて、おおきな小倉池があったが、水蒸気が上がるので、空気中に沢山の水分が入り、青い光を吸収するので真っ赤な夕日を見ることができる。
日想観 3~4世紀 中央アジアで此の考え方が非常に強く思想化されてゆく。 当時仏を見たい。
見るための方法を模索されてゆく。
沈んでゆく夕日、その姿をいつまでも見ることができる、そんなメディテーション(Meditation、瞑想
これが仏の極楽浄土(?よく聞き取れず)を見るための最初にすることだといわれる。

必ず迎えなくてはいけない、誰も避けることのできない、いつ来るかわからない、その時間。
日想観  日本では日が沈んでゆく時、眠る時、眠っている時も、私を守ってくださいという、一息、一息が救済を願う声だという思想が出てきたり、眠っている時も必ず守ってくださっているという時間の表れだとされる。
眠る時「お休みなさい」・・・これは安らかに、安のんで、穏やかな時間を、という  声を出して確認しあう。
鳳凰堂は真東を向いている、沈む夕日、真っ赤に燃えてゆくそこに映える鳳凰。
鳳凰のつま先まで金色をしていることが判った。
鳳凰は青銅で出来ている。 屋根の上に、鳳凰が降り立つと云う事を思ってこの鳳凰を据えた。

鳳凰堂は大切な命の先の命が生きる場所の御堂を再現したものであるという事を、改めて感じていただけるのではないかと思います。
来光図が描いてある。  お迎えの瞬間。 男の人が横たわって、周りに祈る人ケアをする人、泣いている人が描かれている。 別の部屋には普通に談笑している姿も描かれている。
古文書に書いてあるが、病んでいる時、唇が渇くから綺麗な水でうるおしてあげなさい、亡くなった後の儀礼ではなく、病んでいる時の繊細な配慮。
看取ってあげなさい、だから私たちかけつけようとするでしょう、間に合わなくても、最も近しい人がその時間を共有出来るように、そばにいこうとする。
鳳凰堂の中にはそのような絵が書いてあります。
西側の扉の絵が日想観の絵。 左側がほとんど水(海)、そこに沈む夕日。
平等院の庭は浄土庭園の完成でもある。(日本の原風景を落とし込んでいる)

沢山のハスが描かれているが、銀箔で描かれていることが判った。
白蓮華 写実的に描かれているものだった。
螺でんで 蝶が描かれている。
昔は古い塗装の上に塗っていたので、古い塗装が内部に残っていて、酸化鉄系、鉄を焼いて鉄が混じった土を焼いて赤くしたもの。
焼き方によっていろんな赤が出る。
鉄系の顔料は非常に持ちがいいので色がなかなか変わらない。

扉には四季の絵が表現されている。
変化してゆくものを受け止めて、その時その時、そしてこの生きざまに振り向けてゆく、四季の捉え方、それを鳳凰堂が表現してあった。
鳳凰堂の表現は、自然の中に在り、自然を表現し、命のありようを考える。
自然と一体化している、自然に解放された空間ではないかと思っている。
鳳凰、社会が幸せになると降り立つ鳥です、喜びの鳥。

(わたし自身あまり内容を理解できず、散漫な表現になってしまいました事をお詫びします。)