2014年9月29日月曜日

パックンマックン(お笑いタレント)     ・萩本欽一の人間塾 

パックンマックン(お笑いタレント)        萩本欽一の人間塾 
最近感動したこと。
(パックンマックン)2年前子供と一緒にウオーキングをしていたら、お爺さんが一人でラジオを持って、一人でラジオ体操をしていたが、久しぶりに行ったら、いつの間にか100人になっていた。
お爺さんは使命感を感じて、休めなくなった。
(萩本)お地蔵さんが綺麗に掃除されていて、おばあさんが30年掃除しているとのことで、「父ちゃんが戦争にいって、あのお地蔵さんに父ちゃん帰してくれ、父ちゃん帰してくれ」と言っていて、お願いだけだと悪いと思って、掃除をしたんだって、そうしたら父ちゃんが帰ってきたとの事で、本当は止めたかったんだけど、そうもいかないし、止まらなくなって、今もやっているそうですが、でも不思議なもんで、あんなに待っていた父ちゃんは直ぐに死んでしまったとの事。
でも今もやっているとの事。

(萩本) 子供にギャグを言うものではない。 小学校の1年の子供に通信簿が酷かったので「勉強しないと間抜けな顔になっちゃうよ」と言ったら、ある時お客さんが来て、他の二人は「いらっしゃい」といって迎えたが、その子だけが行かないので、どうしていかないのか聞いたら「俺、人様に見せる顔ではないからな」と言って気にしている。

アメリカの好きなところ。
(パックンマックン)ハグするのが羨ましい。
アメリカでは親孝行は義務付けられているというか、お母さんが一番大事。神様の次に偉い。
一番酷い言葉はおかあさんをけなすこと。
母親を大事にする文化。

欽ちゃんに聞きたいこと
座右の銘  大好きな言葉
(お客さん) 「一生懸命」 「プラス思考」
(萩本)  「自然」 悩むは自然ではない 時の流れに、のような  悩まない
足を踏まれて「痛い」とは言わずに「踏んじゃいましたね」といって、我慢したから小さい運が来るだろうと、そうして小さい運が積み重なるのではと思う。
悩むと素敵な人が誰も出てこない、悩まないと素敵な人が出てくる。

アドリブのきく人
(パックンマックン)酒を飲んだ帰り、カレー店にいって、叔母さんにご飯半分にしてくださいと言って、半分にしてもらったが、友だちがその半分のご飯を下さいと言って、皿に半分盛ってもらい、友だちが「カレーうまそうだな」と言ったら、叔母さんがその皿にカレーを盛ってくれた。  粋なおばさんだった。

(萩本)相棒とネタを打ち合わせる、夢を語ると、喧嘩をするので夢を語らない、二郎さんとは話をしない、付き合わない、だからずーっと仲良し。

(萩本)コントで台本は無い。 書いたら出来ない。 二郎さんにマラソンと言って、私はコーチ、あんたは選手、じゃあと言ったら終わっている。 そうじゃないとできない。
本を書くと活字が頭に浮かんできて、活字を追っかけているだけで中味がおかしくならない。
活字が無いと、お客さんを何とか可笑しくしようと、そのことだけ考えてやれば、おかしくなる。
55号は同じネタを二度やらないと言っていたんだけれど、同じコントを二度やれない。
二郎さんは30年付き合ってどういう人間だか分らなかったが、亡くなる寸前、最高だなと思ったとき、気が付いた時にもういなかった。

(マックン) パックンのいいところは、ネタを全然覚えない。
アドリブが物凄い、お客さんに受ける。 
(萩本)お客さんをどうやって楽しくさせるのかが一番で、その次ネタを思いだすこと。
(パックン) 相い方がアメリカ人というこの危険な状態に挑戦したマックンは素晴らしい、凄いと思う。
いつ帰国してもおかしくない、しかもハーバード卒業だし、日本の芸能界で長くやるはずがないじゃないですか、そんな危ない怪しい僕と組んだマックンが素晴らしい、マックンが僕を愛してくれていると思う。

(萩本)夫婦で素敵だなあと思ったのは、お父さんが亡くなってしまって、葬式であーら欽ちゃんて笑っているので、坊さんが何かあったんですか、といったら、なんも不安もない人で100%幸せで此の人から泣くという事が私にはないんですといったら、失礼な質問をしましたとお坊さんが言ったとの事。
亡くなる時に、お母さんがお父さんのおでこに、「お父さん 凄い幸せだったわよ」と言ってパンと叩いたという事だった。 最高に幸せを頂くと、泣くのではなくて、有難うと、そういうのはいいなあと思った。